伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神木の重要性

2009-07-09 11:30:30 | Weblog
鎮守の森(ちんじゅのもり)と言う言葉があります。
鎮(ちん)には、「静める」「おもり、おもし」と言う意味がありま
す。それは、大切な物を静かに守る森(杜)と言う意味です。
古い神道では「神社=もり」と表記して読ませたそうです。
神社=森なのです。
本当の古代の神社には人工的な社殿が無くて、森=山を参拝
しました。 森林の一部の森を聖域として禁足にし、その空間
に感謝の磁気を捧げたのです。
ここから先は禁足であるとした目印が、注連縄(しめなわ)の
起源の1つです。 縄を張って立ち入りを禁止した訳です。
人間の侵入が無い森は、酸素を産み出す植物だけの気が
充満する空間と成ります。
この空間に対して、生きる人間の感謝の磁気を放射する事に
より、植物の気と人間の磁気が絡み合い、渦(うず)が巻き始
める様相を感じます。 ここで生じた気が近隣の地域を清め、
住む人間の心に作用するのです。

神官の起源の1つは、注連縄の前に小屋を建てて常駐し、
人間が注連縄の奥に立ち入らないように見張り、森を守って
いた番人
とも言えます。
つまり、木の無い神社は、神社では無いのです。
神気が降りて来れません。
神気が降りる神社の木は、とても良く育ちます。
田舎では見事に木が密集した神社を、田んぼの中に見掛ける
ことがあります。 神社に在る木の量と勢いを見れば、誰でも
良い神社かどうか判断できる面があります。

この禁足にしてまで守った森は、植物の気を維持する為です。
現代の神社では、境内の1本1本の神木が霊的に森を意味し
ています。つまり、境内の神木には触っては生けないのです
植物の気が乱れて、神気が降りる事を阻害します。
神気が降りるように神社を守る眷族が居る神社では、神木を
触る人間に対して怒る事があります。
眷属と言うのは、時にはスズメ蜂の様に容赦をしない存在で
す。伊勢神宮の内宮では、鬼の眷属が神木を護っているのを
良く観かけます。写真にも写ります。
骨折と言うバチを当てる事もあります。
触るだけではなく、神木に抱き付いた人はどうなるか?
心中で謝るべきです。

自宅でも神社を設けることが出来ます。
神棚の「榊と水」を森とするのです。
青々とした榊と水に感謝の磁気を放射する参拝が大切です。
榊を触る時は、事前に手を洗浄する気遣いが大事です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (530)
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