伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自神への自覚しだいです

2010-10-30 11:27:50 | Weblog

日本語とは本当に不思議で奥深い言葉です。個(アイウエオ)の母音(ボイン:色んな意味で女性的かもしれません)で構成されている発音は、神界で鳴り響いている音とも共通します。
日本語=神界言葉とも言えます。今朝に思いました事は、
「一寸の虫にも五分の魂」(
どんなに小さくて弱い者でも、それ相当の思いや意地を持っていること。小さくても、ばかにできないたとえ
)を思いました。
日本語のことわざ的な文句には、何気に真理を示唆するものが多いです。

今の社会には自分自身の事を、一寸の虫なみにダメな奴だと思い込んで、本当に自信(じしん:自神)を無くしている人が多いです。
時が経てば消えて行く人間の外見には、一寸・二寸という見かけの違いはあります。
しかし、魂の大きさは皆さん同じです。神様からの分霊なのです。
魂には五分・六分の違いは一切なくて、全員が「十分」な同じ大きさなのです。
ただ違うのは、魂が自覚(じかく:気付いている事)しているか否かの違いだけです。
では、何に気付く違いなのか?
それは、自分の心に神様が居ることに気付いているのか?
たとえ自分で気付けなくても、自分の心に存在すると言う神様を信じられるのか?
が、各人で違うのです。これが、人間の人生に影響し、人生を変えます。

だから、私の魂と皆さんの違いは、内在神への確信具合が違うだけです。
私も生きる上で、苦難や災難や悩みも発生します。(去年、雷に打たれましたから~)
表面では、それらに遭ってはいても、しかし心の深奥では常に不変で絶対安心した気持ちで居ます。
そして、この世の出来事を味わい、苦しい事にも「シビレさせてくれるね~」と楽しんでいます。

人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。
死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。
今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。
感謝の先祖供養や神祭りも、それをする自分自身を見詰める行為なのです。

この世で何が起ころうとも、楽しんで生きましょう。
期間限定の事ですから、どんな事も大したことでは無いです。絶対に大丈夫です。耐えられます。
過ぎ去れば、どんな事も良い思い出へと変わります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。
タイトル名に必ず、質問、と記入してください。
病気や体調については、医師の診断を受けて優先してください。ここでの話は、
あくまでも参考意見です。


簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
「いかないのです。まずは、心に神様を意識して生きましょう。」


リーマンの最新著書:伊勢と白山の統合写真集。価格も奉仕です。
伊勢神宮から白山へ、その聖なる軌跡

コメント (459)
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