伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神話が生きている聖地

2010-12-04 10:59:00 | 国史夢想

私は過去記事において伊勢神宮の伊雑宮(イザのみや)が、古代ユダヤの預言者イザの意志を受け継ぐ御宮であるとしました。(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/6053fd34a3610196abb3aeb876a55ca1
また、ユダヤ教とキリスト教の聖典である旧約聖書には、伊雑宮に神剣を置いた記述があることを指摘しています。(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/30d0fed757fdf7342e816b8f1bac1ba2

最近、人づてに伊雑宮の近所に住む老人の話を聞きました。
この話は真実だと神示に出ますので、記録として残しておきます。
歴史とは、文書よりも人づてによる口伝にこそ真実が残るというのは、多くの民俗学者が述べています。
つまり文書とは、時の権力の影響を一番に受ける対象であり、廃棄や改ざんが必ず起こるからです。今でいうところの政権交代が起こりますと、過去の物は改変されるのです。
だから、精神的な指導者で、過去の文書を後生大事に拠り所として、教えをたれる人間が居れば、それは100%ニセモノです。

世界でも日本の皇室だけが、とにかく二千年以上も「天皇」の位を無くさなかったのは奇跡であり神様の神意です。
ただ、その長い世紀の間には、皇室の意志ではなく、時の権力者により権威の政治利用がなされて、神社もその影響対象だったのです。

古老からの話:
「内宮は格上で、伊雑宮は下なんよ。だから向こうには天皇陛下が行かれて、こっちには皇太子殿下が来られる。
でもね、本当はこっち(伊雑宮)が本だったんだよ。
遷宮の年度も伊雑宮が先に早かったんだ。でも途中から内宮を先にして、伊雑宮が後回しにされるようになった。

内宮に白い馬がいたろう。あの風習も伊雑宮の馬からだったんだよ。
(馬も習慣も内宮に)持って行かれてしまったんだ。
ここの住民は、だから歌に残したんだよ。記録に残すと処罰されるからね。
♪~~~本は磯部の白い馬や~~向こうに嫁いで~いつぞや戻る~~ヨイノヨイノ♪
伊雑宮の本当の入口は今のところではなく、昔は裏の田んぼ側にあった。伊雑宮と商店の間の道から裏に回るのが本道だったんだよ。
徳川時代にここの磯部(イソベ)の信仰こそ、本当の原始のアマテラス信仰の始まりの地だと熱烈な運動がここの住民で起きた。でも幕府には認められなかった。50人も処刑されたんだよ。
そして、その伊雑宮への信仰の勢いだけは利用されたんだ。その熱烈な信仰運動は、いつのまにか内宮のために転用されてしまったんだよ。
昔、豊川稲荷の方で木材が必要になった。そこで、ここの近くの千田寺(ちだじ)の木を送ろうとして、境内の楠の根を調べたら石棺(せきかん:石の箱)が出てきた。みんな驚いたよ。
中には鏡や勾玉があった。この周囲は倭姫(やまとひめ:天照太御神を背負い歩いた卑弥呼であり皇女)の伝説が多い。
だから、この場所(伊雑宮)こそ倭姫の最後の地だと色めきたった。しかし、この話が役所に伝わると、国が特高警察をよこしてきた。
戦争のために国を挙げて、内宮中心に神道をまとめていこうとしているところで、奇妙な噂を流されると困る、とのことだった。この周辺の住民全員は石棺について緘口令を敷かれた。一切話すなってね。
当の石棺も、誰か権力者が持って行ってしまった。今はどこにあるのかわからない。
考古学的な調査がなされたかどうかも知らない。だが、あそこの寺の楠の根に石棺があったのは事実だ。もしかしたら、単に宝だけを埋葬しただけだったかもしれない。
その千田寺周辺は廃仏毀釈でとにかくしこたまやられた。ここらはみーんな千田寺の檀家だったんだが、みーんな神道に変えられた。千田寺は後に火事にあった。今はただの草むらになっとる。なーんものこっとらん。
安楽島(あらしま)にもイザワノミヤがあって、そこでもうちこそ本だと主張しているそうな。
あの安楽島あたりは実は持統天皇の密貿易港があったという伝説がある。
あそこで聖徳太子クラスの人間でないと身につけられない、腰の装飾品のベルトが発見されたことがある。和同開珎(わどうかいちん:1300年ほど前の通貨)もたくさんでとる。わし自身、見つけたこともある。
あと、伊雑宮の近くの佐美長神社(さみながじんじゃ)では、昔はスサノオを祀っとったんだよ。(これは重要な証言です)    以上。

感想:
太陽神である天照太御神を祭れば、そこから太陽が沈む方向にスサノオを祭るのは、伊勢と熊野地方の関係を見ましても明らかです。
佐美長神社がスサノオ神ならば、その境内に在る四つの小さな御宮は、祓戸の大神(はらえどのおおかみ:http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/8047e15a00f01dab64291713d88e7877
)の四神であることになり、現在の形の意味がハッキリとします。
伝説では佐美長神社は、倭姫に稲穂のありかを教えた鶴を大歳神(おおとしかみ:ヒゲの生えた老人の姿の神様)として祭る神社です。
12月1日に読者が、佐美長神社に参拝して写した写真には、鳥居の上ケタに水墨画のような生き生きとした鶴が現れています。自然に雨水の水垢とカビ菌により出現しています。
左側に親の鶴が居て、右側は子供の鶴が四体いるように観えます。
まさに親鶴=スサノオ、子供鶴=祓戸の四神と、神意を表現しています。
同時期に古老の証言と写真が、別々の人から私に寄せられたのも神意だと思います。
伊雑宮の近辺は、今でも神話が生きているようです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典


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だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
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コメント (506)
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