はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

大阪の凸凹地形をぶらり その3(天王寺七坂)

2015-04-23 22:17:26 | 大阪の凸凹をぶらり
大阪は明治のはじめまで「大坂:おおざか」と呼ばれていました。(もっと昔は、難波です。)やはり、坂が多いところからきたのでしょうか?「坂」が「阪」に変わった理由は、諸説あるので省きます。
ということで、今回は天王寺七坂と呼ばれる坂をぶらりです。
この七坂も、前回の空堀商店街と同じで、上町台地を松屋町筋から谷町筋に向かって上る傾斜地なのです。
また、松屋町筋に沿っての地名は、下寺町というのですが、まさにお寺が並んでいるところです。

七坂の一番北側にあるのが、千日前通りから生国魂神社に向かう、「真言坂」(しんごんざか)です。


松屋町筋に戻って、少し南に行ったところに源聖寺のところにあるのが、「源聖寺坂」(げんじょうじざか)です。


さらに南に行くと、「口縄坂」(くちなわざか)があります。口縄とはヘビを意味する古語で、坂道の起伏がヘビに似ていたことから付いたとか?




次が、「愛染坂」(あいぜんざか)です。坂の上に愛染堂があります。愛染かつらの木があり、あの有名な「花も嵐も…」のモデルになったとか。


その南にあるのが、「清水坂」(きよみずざか)です。ちょっと疲れてきましたね。


次に、「天神坂」(てんじんざか)です。もう少しです。


そして、最後は「逢坂」(おうさか)です。


この坂の途中に、安居神社(やすいじんじゃ)があります。ここも来年は有名になる予定です。なぜなら真田幸村さんが討ち死にした所だからです。前回の真田丸もそうですが、幸村さんは大坂の凸凹地形をうまく利用したんですね。


この逢坂を上りきったところが、四天王寺さんです。四天王寺も創建当時はすぐ西側が海だったそうです。松屋町筋あたりが海岸線?今でも彼岸には、西門から夕日が見られる名所です。(これも上町台地効果ですね。)
ところで、坂は七つありましたでしょうか。お疲れ様でした。

大阪の凸凹地形をぶらり その2

2015-04-18 18:06:08 | 大阪の凸凹をぶらり
長堀通りの南側に、松屋町筋(まっちゃまちすじ)から、谷町6を通って、上町筋まで続く空堀(からほり)通り商店街があります。実は、その南側に空堀(水の張ってない堀)があったのです。
秀吉さんが大阪城を守るために築いた堀のうち、この周辺にあった南惣構堀(みなみそうがまえぼり)は、水を入れない空の堀なので、空堀と言われるようになりました。
その後、大阪冬の陣のあと、講和の条件として埋められてしまったのですが、それでも凸凹は残ったのです。

(道路も微妙な凸凹を描いています。)

(上町筋から空堀通り商店街がはじまります。)

(商店街から南側を見ると、堀に向かって凹になっていました。)

(同じく、見事な凹です。)

(この道は「熊野古道」です。10メートルだけ空堀通りを通ります。)

ところで、空堀通りも傾斜しているのです。なぜなら、松屋町筋から上町筋へは、ちょうど上町台地を上るかたちになるのです。(上町筋のあたりが、山でいうところの、頂上稜線みたいなものです。)

(松屋町筋側から見た商店街です。上っています。)

(上りでは、自転車を押して歩いていました。下りはスイスイでした。)
少し足をのばせば、まだまだ凸凹地形に出会えます。谷町筋を歩いていると、西側が急に低くなっているのが実感できます。

(谷町8丁目あたりから西を見ています。底が見えません。)

(谷町6丁目の観音坂です。)

(長堀通りから見上げる榎木大明神)

最後に、「高津原橋」の話で締めくくりましょう。この橋は、横断陸橋ではありません。もともとは両側はつながっていましたが、市電を通すために、開削して道路(長堀通り)にしたようです。つまり凸を削って凹にしたということですね。

大阪の凸凹地形をぶらり その1

2015-04-17 15:57:26 | 大阪の凸凹をぶらり
大阪市内には、けっこう凸凹地形があるんです。大阪で凸凹地形といえば、上町台地ですよね。台地といっても、山あり谷ありの地形です。今回は、そんな凸凹を訪ねました。
まずは、JR玉造駅から始めましょう。駅から少し歩くと、三光神社(さんこうじんじゃ)です。えっ、「知らない」って?実はこの神社、来年には有名になるんですよ。というのも、来年のNKH大河ドラマ『真田丸』で登場する真田幸村さんが、冬の陣で、徳川方をさんざんに苦しめたところが、「真田丸」なのです。(砦というか出城というか、大阪城からは少し離れたところにあります。)

(正面からの三光神社。階段を上っていきます。)

(真田の抜け道というのもありました。)

(東側からみた三光神社。段差がわかりますか。砦の東の端だったようです。)
三光神社から、もう少し西に行くと、善福寺があり、その左側が坂(心眼寺坂)になっています。

(善福寺は、どんどろ大師として有名。門前には。)

(歌舞伎「傾城阿波の鳴門」で有名な、お弓 おつるの「ととさまの名は…」)

(けっこう上っています。右側のフェンスが明星高校のグランドです。)
坂の途中に、心眼寺があります。「真田幸村出丸城跡」の碑が建っています。三光神社からこのあたりにかけてが、「真田丸」のあったところと考えらています。

(境内には、幸村さんのお墓もありました?)
幸村さんは、夏の陣で四天王寺近くの安井神社で討ち死にするのですが、遺骨を納めたお墓は存在しないようです。かわりに、供養墓や供養塔が全国各地にあるそうです。
次の目的地に向かって、上町台地のてっぺんに向けて、長堀通りを上っていきます。

(上本町筋から長堀通りを東に眺めると、長い下り坂になっています。)
今回は、ここまでです。凸凹地形というよりは、「真田丸」の話になってしまいましたが、少しは凸凹を感じてもらえましたか。
次回は、「空堀」あたりの凸凹です。