はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

古代史の舞台を歩く 藤ノ木古墳の謎

2015-06-25 20:05:52 | 古代史の舞台を歩く
法隆寺はあまりにも有名な寺院です。きっと皆さんも一度ぐらいは行かれたことがあるでしょう。ところが、その法隆寺の南大門から西に5分ばかり歩いたところにある、藤ノ木古墳のことはあまり知られていません。

法隆寺に残る古い記録には「ミササギ山」と記されており、崇峻天皇陵と記すものもあるそうです。(それなら宮内庁も知らん顔できんけど…。)
藤ノ木古墳は、直径50メートル、高さ9メートルの円墳で、出土品から6世紀後半に築造された古墳と考えられています。
1985年(昭和60年)からはじまった発掘調査で、一躍注目をあびるようになりました。(今から30年前ですね。)馬具などの他にもすばらしい副葬品が発見されたことと、未盗掘の石棺からは2体の被葬者が確認されたのです。この2体については、骨から鑑定すると二人とも男性で、一人は青年で、もう一人は壮年ということらしいです。(ただ、骨の残り方が悪く、壮年とされている人物は女性ではないかという説もあるようです。)

現在、2人の被葬者の有力候補が「穴穂部皇子(あなほべのみこ)」と「宅部皇子(やかべのみこ)」の合葬説です。古墳の築造年代が、蘇我氏に暗殺された時期と合っていることや、本来なら一人用の石棺に、急いで埋葬したのか2体が埋葬されていること、副葬品が豪華なので、それなりの権力者であった、等の理由からです。(ちなみに穴穂部皇子は聖徳太子の伯父さんです!)
ただ、ここも決定的な遺物が出ていないので、被葬者は謎のままです。ひょっとしたら、はじめに書いた崇峻天皇の可能性も?被葬者については、またゆっくりと考えることにしましょう。いづれにしても蘇我氏と物部氏の抗争や、聖徳太子が摂政を勤めた推古天皇さんなんかも絡んだ、ドロドロした時代の出来事です。これも歴史ロマンですかね?


ところで、藤ノ木古墳の石室に入ることができるんですよ。藤ノ木古墳がある斑鳩町(いかるが)のふるさと納税5万円を納めると、古墳の石室の貸し切りがあるそうです。いかかですか?

ソムリエさんが選ぶワインは美味しかったです

2015-06-22 20:18:18 | 美酒と美食
関西美酒倶楽部の2回目の集いは、ビストロでいただくワインでした (関西美酒倶楽部は会員4名の会で、うち1名はお酒が飲めません 前回は3月に日本酒の蔵本に行きました。)
今回の会場は、心斎橋にある某ビストロです。関西美酒倶楽部の仲間の行きつけのお店です。
ワインは、ソムリエさんが選んでくれます。(とても素敵なソムリエさんです。)まず、はじめにいただいたのが、こんなワイン 美味しい

ワインも美味しいですが、お料理も美味しいです

白ワインを2種 もちろん、お料理に合わせたワインです。これまた美味しい

肉料理には、赤ワイン これが最高

ローヌやったかな まあ、美味しかったらいいのです

デザートも美味しかったです (ラム酒が燃えています。)デザートワインもいただきましたよ

ということで、ミュスカデ?やシャルドネ?ワインの名前はほとんど覚えていませんが、美味しいワインをいただくことができました
家で飲んでいる1000円前後のワインとは、確かに違いました (当たり前ですが。)



秘境駅号の思い出

2015-06-22 19:37:10 | 鉄道の旅
秘境駅のイメージは、山の中にある無人駅や目の前は大海原といった風景です。まあ、都会に住む人間(鉄ちゃん)のあこがれではありますが。しかし、そこに駅があるということは、そこに暮らしがあるということで、鉄道が生活の足となっているんですね。ところが、そういう秘境駅のある路線は、路線そのものが存続の危機にさらされているようです。ロマンチックな秘境駅の裏には、過疎化や合理化など日本の抱える現実があるんですね。

さて、秘境駅を訪ねるのは、けっこう大変な旅行で、そう簡単には行けません。
ところが、JR飯田線には、秘境駅を訪ねる「秘境駅号」という臨時列車があるのです。1日で6駅もの秘境駅を訪れることができるのです。飯田線には、全国秘境駅ランキングの上位に入る駅がたくさんあります。(ちょっと昔の旅の記録ですが。)

秘境駅号は、豊橋から発車します。秘境駅を訪ねるといっても、りっぱな列車でお客さんも団体客が多いです。(あんまり秘境に行く雰囲気ではありませんが…。)
(豊橋駅の秘境駅号)
(ヘッドマーク)
(小和田駅の古い駅標)
小和田駅は、全国秘境駅ランキングのベスト3に入る駅です。この駅に行くための車道はなく、歩道のみです。 さらに3県(静岡・愛知・長野)の県境に位置しています。

(小和田駅は3県の境界に)
(名前がすばらしい中井侍駅)
(飯田線はトンネルが多い)
(ランキング上位の田本駅)
(終点の天竜峡駅)




おかげさまで1日で6駅もの秘境駅に行くことができました。でも、やっぱり秘境駅は、1両編成の列車で、一人ホームに降り立つ、映画のワンシーンのような風景がにあいますね。それも高倉健さんみたいな…。

古代史の舞台を歩く 祟りのはじまり

2015-06-20 10:20:17 | 古代史の舞台を歩く
京都に上御霊(かみごりょう)神社があります。我が芭蕉さんも、元禄3年の師走に「半日は 神を友にや 年忘れ」という句を作っています。この神というのは、ここに祀られている8人の御霊です。早良親王をはじめ非業の死をとげられた方ばかりです。義仲びいきの芭蕉さんらしい句だと思うのですが…。そして、早良親王とは桓武天皇の弟です。

早良親王の前に、桓武天皇のことを少し話しましょう。桓武天皇は、794年(なくようぐいす)に平安京を造った天皇として有名です。桓武は平安京を真っ先に造ったのではなく、はじめに長岡京を造りました。その理由は、平城京の地理的な問題の他、諸々ありますが、東大寺などの既存仏教勢力から距離を置くことがねらいだったようです。

ところが、弟で皇太子でもある早良親王は、仏教勢力側の人物でもありました。そんな中、桓武天皇が一番信頼していた官僚の藤原種継が暗殺されるという事件が起こりました。その事件に連座して早良親王は乙訓寺に幽閉されてしまいます。無実を訴えてハンガーストライキを続け、淡路国に流される途中で亡くなりました。遺骸はそのまま淡路島に葬られました。

そして、桓武を苦しめる出来事が次々に起こります。翌年、桓武夫人の母が亡くなり、2年後には桓武夫人が亡くなりました。その翌年には桓武天皇の母が亡くなり、また翌年には皇后がなくなりました。同年、息子までが重病になりました。病気の原因を占うと、早良親王の祟りということでした。(これが、人が祟ったはじめての例のようです。)

桓武天皇は、都を長岡京から平安京に移し、早良親王の遺骸を大和に移送し、崇道(すどう)天皇と追号しました。

(白壁に囲まれた崇道天皇八嶋陵)
(伝説の残る八つ石)

崇道天皇陵のある八島町へは、JR桜井線の帯解駅(おびとけ)から20分ほどです。帯解寺にも以前、伊勢街道を歩いているときお参りしました。伊勢街道(上ッ道)沿いにあります。日本最古の安産祈願の寺としても有名です。現在も美智子さまや雅子さまなど、宮内庁御用達のお寺です。

九州の鉄道がよかとです その3

2015-06-19 18:03:40 | 鉄道の旅
九州鉄道の旅も第3回目です
九州は温泉が多いところです なかでも人気があるのが湯布院温泉でしょう そして、湯布院温泉の名前がそのまま列車の名前になったのが、特急「ゆふいんの森」号です (2013年11月の記録)
(由布院駅のゆふいんの森号)
(ゆふいんの森号のロゴ)
(先頭車両からの眺め)

ところで、湯布院温泉といえば、無量塔・玉の湯・亀の井別荘という御三家が有名ですね (お値段もかなりお高いですが…。じつは亀の井には泊まりました) 
2013年の旅でお世話になった庄屋の館もなかなかいい宿でした。コバルトブルーの湯が最高でした お湯につかりながら由布岳が眺められます
(コバルトブルーの温泉)

鉄道の旅を続けましょう 由布院から大分までは1時間たらずで到着です。次は、大分から宇佐をめざします。特急「白いソニック」号に乗車です
(白いソニック)
宇佐駅はアルファベットでUSAと書きます。(それだけのことですが) 宇佐駅からタクシーで10分のところに宇佐神宮があります。
宇佐神宮は、全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。歴史のある神社で、「宇佐八幡宮神託事件」が有名です。「続日本紀」によれば、「宇佐八幡宮より称徳天皇に対して、道鏡が皇位に就くべしとの託宣があった。しかし、勅使として遣わされた和気清麻呂が神託は偽物であると報告して、道鏡の企ては破れた。」という奈良時代後期の出来事です。ドロドロした皇位継承に絡んだ事件ですが、これも勝者側からみた歴史なので、真実は闇の彼方ですね。あっ、鉄道の旅でしたね

最後は、小倉まで特急「青いソニック」に乗車です
(青いソニック)

思い出の九州鉄道の旅もこれでおしまいです。まだ乗ってないのは、「あそぼーい!」と「海幸山幸」だけかな