今日から九州国立博物館(福岡県太宰府市)で
特別展「国宝 阿修羅展」が始まりました♪
⇒http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s16.html
会期は、9月27日(日)まで。
私はもちろん前売り券を購入済み☆
平日の夕方を狙って行こうと思っています。
仏像好きさんには、同じ太宰府市内にある観世音寺の仏様たちを訪ねるのもよいかと思います。
『源氏物語』ゆかりの地のひとつとして、観世音寺のページを改めて作成しようと思っていますが未作成。
写真も近々、撮りなおしにいこうと思っています。
簡単に(?)大宰府と観世音寺についてご紹介させていただきますね。
奈良時代、「大君の遠の朝廷(おおきみのとおのみかど)」と呼ばれた大宰府は、西に水城(みずき=土塁)・北に大野城(おおのじょう)・南に基肄城(きいじょう)に囲まれ九州全体を治める役所として存在していました。
大宰府は平城京のような条坊制・・・碁盤の目のような街並みが広がっていたと考えられています。
現在の大宰府政庁跡には、建物の配置を示す礎石が残るのみです。
大宰府政庁正殿跡(正殿の礎石はレプリカではなく実際に使われていたもの)
写真中央付近、遠くに見える山が大宰府の鬼門封じの宝満山(ほうまんざん)です。
宝満山(ほうまんざん)は竈門山(かまどやま)・御笠山(みかさやま)とも呼ばれています。
ちなみに大宰府は「四神相応の地」ともいわれています。(*^-^)b
東:青龍・・・御笠川(みかさがわ)
南:朱雀・・・南に広がる平野、もしくは二日市温泉
西:白虎・・・水城(みずき)を抜ける官道
北:玄武・・・大野山<四王寺山・大城山ともいう>
観世音寺は、天智天皇が母の斉明天皇の追善のために発願され、大宰府政庁の東に位置します。
かつては「府の大寺(ふのおおでら)」と呼ばれた大寺院で、49の子院を有していました。
現在は、江戸時代に再建された金堂と講堂(往時のサイズよりも小さいです)を残すのみです。
観世音寺境内にある「国宝 梵鐘」。
日本最古の梵鐘の一つで、平安時代、京から左遷された菅原道真もこの鐘の音を聞きました。
観世音寺は九州における観音信仰の聖地でした。
菅原道真が観音信仰に熱心だったことは有名。
観世音寺宝蔵
建物が大きすぎて、写真におさまりませんでした。
こちらの仏像たちにぜひご対面いただきたいですね~。
平安時代後期または鎌倉時代に制作された仏像がほとんどです。
目を惹くのは、高さ5メートル前後ある仏像三体<十一面観音立像・馬頭観音立像・不空不空羂索観音立像>です。
見上げていると首が痛くなります。
思わず手を合わせずにはいられません。(-人-)
高さは2メートルちょっとですが(これでも充分な大きさだと思います)、平安時代後期作の阿弥陀如来坐像の柔和なお顔も好きです。
興福寺の阿修羅像が作られた時代とは隔たりがありますが、九州国立博物館にお越しになってお時間のある方は、観世音寺拝観もオススメします。
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会期は、9月27日(日)まで。
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仏像好きさんには、同じ太宰府市内にある観世音寺の仏様たちを訪ねるのもよいかと思います。
『源氏物語』ゆかりの地のひとつとして、観世音寺のページを改めて作成しようと思っていますが未作成。
写真も近々、撮りなおしにいこうと思っています。
簡単に(?)大宰府と観世音寺についてご紹介させていただきますね。
奈良時代、「大君の遠の朝廷(おおきみのとおのみかど)」と呼ばれた大宰府は、西に水城(みずき=土塁)・北に大野城(おおのじょう)・南に基肄城(きいじょう)に囲まれ九州全体を治める役所として存在していました。
大宰府は平城京のような条坊制・・・碁盤の目のような街並みが広がっていたと考えられています。
現在の大宰府政庁跡には、建物の配置を示す礎石が残るのみです。
大宰府政庁正殿跡(正殿の礎石はレプリカではなく実際に使われていたもの)
写真中央付近、遠くに見える山が大宰府の鬼門封じの宝満山(ほうまんざん)です。
宝満山(ほうまんざん)は竈門山(かまどやま)・御笠山(みかさやま)とも呼ばれています。
ちなみに大宰府は「四神相応の地」ともいわれています。(*^-^)b
東:青龍・・・御笠川(みかさがわ)
南:朱雀・・・南に広がる平野、もしくは二日市温泉
西:白虎・・・水城(みずき)を抜ける官道
北:玄武・・・大野山<四王寺山・大城山ともいう>
観世音寺は、天智天皇が母の斉明天皇の追善のために発願され、大宰府政庁の東に位置します。
かつては「府の大寺(ふのおおでら)」と呼ばれた大寺院で、49の子院を有していました。
現在は、江戸時代に再建された金堂と講堂(往時のサイズよりも小さいです)を残すのみです。
観世音寺境内にある「国宝 梵鐘」。
日本最古の梵鐘の一つで、平安時代、京から左遷された菅原道真もこの鐘の音を聞きました。
観世音寺は九州における観音信仰の聖地でした。
菅原道真が観音信仰に熱心だったことは有名。
観世音寺宝蔵
建物が大きすぎて、写真におさまりませんでした。
こちらの仏像たちにぜひご対面いただきたいですね~。
平安時代後期または鎌倉時代に制作された仏像がほとんどです。
目を惹くのは、高さ5メートル前後ある仏像三体<十一面観音立像・馬頭観音立像・不空不空羂索観音立像>です。
見上げていると首が痛くなります。
思わず手を合わせずにはいられません。(-人-)
高さは2メートルちょっとですが(これでも充分な大きさだと思います)、平安時代後期作の阿弥陀如来坐像の柔和なお顔も好きです。
興福寺の阿修羅像が作られた時代とは隔たりがありますが、九州国立博物館にお越しになってお時間のある方は、観世音寺拝観もオススメします。
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