晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※写真の無断転載禁止!!

七夕に「織幡神社」を想う。

2010年08月16日 | 日記
写真は、織幡神社<福岡県宗像市鐘崎>の北西から見た海と「地ノ島」です。
鐘の岬と地ノ島との間は、航海の難所として古くから知られています。
地図をみる[Yahoo!地図]



今日は旧暦の七夕 7月7日ですね。

昨日は、海が見たくなって、ぷちドライブへ出かけたのでした。

“海が見たい”だけで、海で遊ぼうとは思っていなかったという。(笑)
だって、日焼けが怖いし暑いし~。


そんな中、津屋崎海岸を過ぎて、福岡県宗像市の鐘崎(かねざき)へ。

鐘崎というと、新鮮なお魚というイメージです。←食べることばっか。
近所のスーパーで売られている魚のパックにも「鐘崎産」とか「鐘崎直送」なんてシールが貼られているくらい。


でも、私の中では『源氏物語』に「金の岬」として地名が出てくるので、印象深かったりします。

『源氏物語』<玉鬘(たまかずら)>巻で、京を発って大宰府へ向かう 幼い玉鬘と乳母(めのと)ファミリーは、金の岬(鐘ノ岬)の沖を船で超えていくのですから。



昨日は織幡神社の前を通って、海岸際に車をとめて、ぷち休憩。
その時に撮ったのが今日掲載の写真です。

玉鬘たちもこの海を通ったのね(創作上だけど)と、しばし想いを馳せましたが、あまりの暑さにすぐに車に戻りました。(笑)


鐘の岬にある織幡神社(おりはたじんじゃ)のことを『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』「源氏物語ゆかりの地をめぐる」内でご紹介しようと思っていますが、いまだページを未作成。

以前、写真を撮りに参拝したのは、2008年の夏でした。
社殿は小さな山の上にあるため蚊に襲撃されまくり。

涼しくなってから再度、織幡神社の写真を撮りにいく予定です。

2008年に撮った写真と見比べてみたら、入り口の鳥居の前に新たに狛犬がいました!!
他にも変化があったりして



織幡神社[織幡宮]がどうしてこの名前なのか・・・武内宿禰(たけうちのすくね)が神功皇后のために旗を織ったからだそうです。

今日が針仕事の上達を願う日でもある七夕(棚幡・棚機)だったと気づいたのは、夕方のニュースを見てからでした。
なんとなくリンクしている・・・すごい偶然。




万葉集より

ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも
 我は忘れじ志賀のすめ神



この歌が、鐘岬(かねのみさき)を詠んだ最も早い例だそうです。by『平安時代史事典』
宗像大社の駐車場や志賀島(しかのしま=福岡市東区)の志賀海神社境内に歌碑があります。





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