北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

陣馬山登頂

2015-11-23 17:20:00 | 散策・ハイキング
11月21日(土)、陣馬山に往復登って来た。



高尾駅北口から陣馬山行きの9時34分のバスに乗り、約35分で終点の陣馬高原下に着いた。土曜日で晴れ、それに、テレビの「アド街」と日本テレビに「高尾山」は紹介されたばかりだから、高尾山や小仏行き、陣馬山行きバスは、かなりの混雑であった。

写真は陣馬高原下バス停から20分歩いたところの分岐点で、右側の和田峠経由行きルートで登り、帰りは左側の山道から帰って来た。



和田峠にある茶屋。ここまでが舗装されており、自動車、バイク、自転車で来られる。



ここからが本格的な山道となる。



茶屋のすぐ左に陣馬山山頂まで約20分の表示あり。このような階段がしばらく続く。



これはと言うような真っ赤なカエデでは無い。



陣馬山山頂は11時40分着。



登った証拠だとパチリ



山頂の有名な白馬。台座には標高857mとあるが、京王のパンフレットには855mとあり、どちらが正しいのかな?



「信玄茶屋」で「けんちん汁」を注文。持参したおにぎりと共に食らう。実に美味。



「清水茶屋」からうっすらと見える富士山。陣馬山山頂にはもう一軒「富士見茶屋」がある。




富士山は、高尾山山頂より大きくはっきりと見える。



冠雪の富士山は、やはり素晴らしい。



思わず「紅葉」の歌を歌いたくなる。ここは全方位見渡せるロケーションが良い。家族連れが多いが中には、赤ちゃんを抱えて登ってきた人もいた。



13時に陣馬高原下のバス停に向かって下山する。



陣馬山山頂すぐ下に右側のコースが「新ハイキングコース」と表示されており、このルートを下ったところ、とんでもない事になった。

落ち葉はもちろん、水分を含んだ道で所々滑りやすく、木の根がむき出しで杉の木にコースの目印らしい表示があるが、幅広くアバウトなコースで危うく迷う感じでもあった。

以前、丹沢の水無川の沢登りに行った時に買った、キャラバンシューズは40年経ち、決して壊れてはいないが重く、スポーツ用品店の「ヴィクトリア」が下取りセールをしていたので、買い替えた。

その新品の靴を履いても、私は滑って2~3回も転んで尻餅をついたのである。
右手でストック(トレッキング・ポール)を持って慎重に降りていただけに、情けなかった。



その日は高尾駅まで戻り、15時に南口駅前の行きつけの「たまの里」でチョイ飲みセットで疲れを癒した。ここも又、満席の混雑ぶりであった。

写真は、それ以前に出来たばかりの高尾山口駅隣接の「高尾山温泉」である。極楽湯のフランチャイズで京王電鉄が運営している。

もう2回は入ったが、入場料は1000円。ただしシーズン料金は1200円となる。露天風呂が気持ち良いし、ビールで一杯。メニューも豊富で美味い。ただし混んでいますよ。

西新宿シニア活動館で演奏

2015-11-20 17:05:00 | 音楽・日々是尺八
11月18日に西新宿シニア活動館にて、尺八ミニライブをしてきた。40席がほぼ満席。

月に一度「つのはず友遊カフェ」という催し・イベントがあり、地元の角筈地区の方々が参加できる。会費は200円で飲み物とお菓子がいただける。

昨年も縁がありそこで演奏をしたのだが、今年も楽天からでは無いが「オコエ」がかかり、演奏をしてきた。トークと尺八独奏である。

簡単に内容を知らせようと思う。もちろん演奏そのものでないのは勘弁願いたい。

プログラムは民謡の「こきりこ節」で始まった。
今回は尺八で民謡・文部省唱歌・ポピュラー・クラシック・歌謡曲・邦楽曲の中から選曲してみた。

「こきりこ」は長さ7寸5分(約23㎝)の竹で作った民族楽器。2本持って打ち鳴らして踊り歌う。

2、「月の砂漠」 加藤まさを作詞、佐々木すぐる作曲。千葉県の御宿海岸に、2頭のらくだに乗った王子様とお姫様が建てられていると言う。一番をニ短調で二番をト短調で演奏。

3、「秋の夜半」ウエーバー作曲。オペラ「魔弾の射手」序曲で佐々木信綱作詞。一番をヘ長調で二番をハ長調で演奏。尺八に良く合う。

4、「アメイジング・グレイス」 イギリスの牧師が作詞した讃美歌

5、「ラ・ノビア」 チリの作曲家ホワキン・プリエートが作曲。1962年ペギー葉山がブラジルでこの曲を知り、あらかわひろしが日本語に翻訳してヒットした。本意でない結婚を前にした女性の悲しみを歌った曲。演奏している私が泣かないように頑張った。

6、「G線上のアリア」 バッハ作曲。バッハの死後の1871年、管弦楽組曲をバイオリンのG線のみで弾けるようにドイツのバイオリニストが編曲した。
この曲を本年8月にミューザ川崎で上野耕平氏のソプラノサックスで聞き、実に素晴らしい曲だと深く感銘して、是非演奏したいと思った。

7、「王将」 餃子の王将ではありません。
村田英雄が西条八十宅に何度も足を運んで作詞してもらった曲。尺八に合っているので昨年に続いて演奏。前奏と間奏もあり、二番まで。

8、「浪花節だよ人生は」 歌詞を「肩を抱かれて」と歌いだすと途中で「アレ?」となるから注意。前奏と間奏もあり、二番まで。

9、「春の海」 言わずと知れた宮城道雄作曲の名曲。もちろん箏の前奏部も尺八で演奏。この曲は一尺六寸管で前半の部分まで。

ここで、「皆で歌おう」という訳で、あらかじめ歌詞を配っていただいた「四季の歌」と「ふるさと」。

最初に一通り尺八で演奏をして、「四季の歌」は当然4番まで。「ふるさと」も同様に演奏した。皆さんしっかりとした歌声だった。

私の演奏は午後2時30分から始め、3時15分に無事終了した。

私もコーヒーをいただき皆さんと歓談したのだが、中には長野県出身者もおり大相撲の御嶽海の活躍の話で盛り上がった。昨年まで西新宿で働いており、知り合いもいらっしゃったので、楽しかった。でも、「まさか尺八をやっているとは知らなかった」と言う人もいた。

外へ出ると雨がポツポツと降り出していた。

その後は急いで、新宿から中央線で友人が待つ国分寺に行く。国分寺は初めてで4時30分の約束にピッタリ。

調べてあった南口の地下の居酒屋に行く。久しぶりの再会を楽しんだ。

ところが、若い女子会の4人が近くで大ジョッキを立て続けに2杯くらい飲んでおり、甲高い大声と笑いがうるさく、こちらも負けじと大声で話したので疲れてしまった。

当方、共に近況と愚痴を言いながらも、周りが余りにもうるさくて7時前には退散を余儀なくされた。

外に出たら、雨は土砂降りであった。



高校同窓の尺八吹き

2015-11-15 12:32:00 | 音楽・日々是尺八

高校の同窓生で何人尺八をしているか興味を持っていた。
一学年下の山口五郎門下の宮島源盟は以前から知っていた。

私が大学生の頃であったが、駒瀬竹子という高齢の箏の先生と知り合い、おさらい会に賛助出演した事があった。
その時、尺八の中川青童と宮島氏の父親(浩童)を知った事から、様々な交流があった。

中川氏には、ある時の正月に市田のご自宅に呼ばれた。
市田は市田柿で有名な場所で、当時は天竜下りの乗船場があった。

余談だが、天竜下りの船会社は2社あり、そのうちの一社に我が家の2階を貸していた。
ごく普通の民家だったので、和室のふすまで仕切られたままであった。何人か来られてガイドさんの練習をしており、私達の家族は皆、自然にガイド案内を覚えた。

「天竜の流れが皆さん方をお待ちしていたかのようでございます。これより天竜峡まで1時間30分。船頭は誰々、ガイドは私、誰々でございます。」と言う感じである。次に「伊那節」や「天竜下れば」の歌の練習もしていた。

従業員のおじさんがポマードをたっぷりつけており、座椅子に座ってふすまに寄りかかるので、母は「ふすまが汚れて困る」とぼやいていた。2~3年で出て行ったようだ。

話を戻すと、中川青童は爺さんだったが感心したのは、自分で作成した稽古帳があり、例えば曲目を横に並べて、縦に練習した回数の正マークをつけておられた。「八重衣」等、かなり正マークが並んでいた。
誠に、こまめである。

その時、三絃の井上道子先生と合奏した息子さん(当時30歳前後の中川雄之介)のカセットテープ「残月」をいただいて、何回も聞いた。

その雄之介さん(私より10歳年上だった)本人に私は、約45年後に初めてお会いしたのである。
まるで、幻のような出来事だった。

あれから何年経ったであろうか。我が母校に邦楽班(ほとんど箏)が出来て、長野県大会に毎年のように優勝するほど力をつけた。そして今年まで16年連続で、長野県代表として全国大会に出場。

優秀賞は数多く、2010(平成22)年には文化庁長官賞、そして2013(平成25)年には文部科学大臣賞を受賞した。実質の全国大会優勝である。

後日、東京国立劇場大ホールで披露演奏会があり、聞きに行った。肥後一郎作曲「絃歌」は一糸乱れぬ、素晴らしい演奏だった。

終了して楽屋に、指導者で知り合いの大平睦先生を訪ねたところ、同じ同窓生の尺八竹友会所属の石川優輔氏を偶然知った。

話を聞けば、石川氏は中川雄之介氏と同期であると分かり、さらに我が母校に貴重な箏5面を寄贈した竹村孝生氏の存在も地元紙で知り、これで首都圏に私も入れて4人いる事が分かった。

そこで示し合わせて4人で、新宿の居酒屋で飲んだのである。
点と点が結ばれて、線で結ばれた瞬間である。線も丸くなり円となり、それよりも縁を感じたひと時だった。

その時、中川氏に父親の青童氏からいただいた、くだんのカセットテープ「残月」のいわれを説明してお返し(?)した。

竹村孝生氏は柳内調風の弟子で86歳でありながらお元気で、年賀状には「無聊(ぶりょう)をかこっている」と書かれていた。
辞書で知らべてみたところ「退屈で不平・不満がある」と言う意味だった。

そこで竹村氏とお付き合いしだしたが、いつも焼酎はボトルを注文し、お湯割りで軽く5~6杯は空ける程強い。
「100歳まで生きようと思う」と誠にお元気な人であるが、どうやら尺八の演奏はリタイヤしたらしい。

別の尺八竹友会の知り合いによると、さらにもう一人同窓の尺八吹きが海外にいるらしいから、都合6人と言うところだろうか。


邦楽界のコロッケ そのⅡ

2015-11-11 19:50:00 | 音楽・日々是尺八
尺八三本会の先生方(青木鈴慕・山本邦山・横山勝也)が当時、暮れの懇親会で各門下生や縁のある箏の先生方をお呼びして、カラオケなどをしていた。

都内のスナックを借り切って、筝曲家の沢井忠夫・宮下伸・中井猛先生方もお見えになった。

そこで、私の余興の時に宮下伸先生の目の前で、宮下秀冽作曲「三十絃・尺八二重奏曲」の物マネを口と動作でした。対象の三十絃は宮下伸で、尺八は横山勝也である。

宮下先生の演奏方法で絃を爪でこする「シュー」や、箏の裏面を左こぶしで叩く、竜角の外側を「カリカリ」と弾く方法と、横山先生の長管での「ムラ息」奏法をマネた。

その時、宮下先生が私のところに来て「違う。私の演奏方法はこうだ」と実演してくれた。もちろん「エアー箏」である。
「腰を入れて、シューとした後は絃のところで止めるんだ」と、ノウハウを教わった。直伝である。鈴慕師は笑って見ていた。「君、直接教わって凄いね」と言われた。

これを後日、日本三曲協会の新年会でやったのである。
新年会は家元を中心に、かなりの先生方がお見えになっていた。

次は尺八三本会の「風動」で三人の特色を出そうとした。
曲は「起承転結」で出来ており、「承」の部分から始めた。口尺八である。
青木鈴慕は迫力のある演奏で、山本邦山は実際以上の速さと、横山勝也は長管による「ムラ息」をオーバーに演奏してみた。

続いて、山本邦山作曲「壱越」。山本邦山はテクニッシャンだから、普通の人よりテンポが速い。
それを強調する為に、もっと速く尺八で演奏をした。

一楽章は途中で止め、続いてワザと邦山作曲「尺八二重奏曲第二番」の三楽章の冒頭を演奏して、誤ったふりをして頭を掻き、再び「壱越」の三楽章へ行き、もの凄い速さで演奏して途中グリッサンドで終わらせた。

会場にいた山本邦山本人に「すみません」と謝ると「君ィ、気持ち悪いよ」と笑っていたので受けたと思った。私のやりたい趣旨は分かってくれたハズだ。

鈴慕会の人に今でも、「山本邦山より手が回る」と言われる時もある。
どうもその時の印象が強かったらしい。「コロッケ」が森進一や美川憲一、五木ひろし、野口五郎、淡谷のり子らを物マネする時に、本人以上に本人らしく見えるのは「芸」だろう。
特徴を強調するためにオーバーな表現にはなる。

実際、邦山より手が回るかは分からない。

宮下伸先生も喜び「青木先生も喜んでいるだろう」と言われた。

後日、渋谷の東邦生命ホールにおける筝曲家の演奏会で宮下先生にお会いした時に、招待席から手招きをされて「隣に座れよ」と言われたが、畏れ多く遠慮した。

邦楽界のコロッケ そのⅠ

2015-11-09 20:52:00 | 音楽・日々是尺八
「邦楽界のコロッケ」とは自称であり、他称ではない。

今や「コロッケ」と言えば、食べる「コロッケ」より物マネの「コロッケ」を思い出す程である。
私の物マネは邦楽界の筝曲家や尺八奏者の物マネで、二通りある。
一つは口でメロディーを奏でて、動作で物マネをする事と、もう一方は尺八演奏そのものでマネする事である。

最初の物マネのキッカケは、野坂恵子の二十絃筝「天如」の演奏を見た時に感じた時のを「六段の調べ」に置き変えて、口譜で「テーント-ンシャン」と歌い(これがいい加減な歌い方)、奏法をマネたのである。陶酔するように。

これは23歳位の時に、京都で演奏会があり、尺八は青木鈴慕師、橋本和夫(竹咏)と私の3人が出演した時の事だ。
演奏会終了後、鈴慕先生の部屋で酒盛りに呼ばれ、そこに箏奏者も何人かおられて、そこで野坂恵子の物マネが受けたので、その後、日本三曲協会の新年会で何度か披露をしたのである。

ある時、新年会でエレベーターで遭遇した女流筝曲家の大御所の先生に「あなた又、今日物マネやるんでしょ。楽しみにしているわ」と言われた。

日本三曲協会では毎年新年会をホテルで行っている。
ある時、赤坂プリンスホテル旧館での新年会は、青木鈴慕師が幹事で、山口五郎もそうだったと思う。

あらかじめ余興の打ち合わせで、鈴慕先生に高田馬場の研究所に呼ばれた。
そこで、私は青木鈴慕と山口五郎の「鹿の遠音」を口で演奏する案を示して、実際にやってみた。私が感じた二人の演奏の違いを、ものすごく強調することにした。

比較する為に山口五郎はキレイなメロディーで、スリ手は艶っぽく、ビブラートをオーバーにかけて、青木鈴慕は力強く、強力な立ち上がりの音「ツレー」を強調し、ボリュームを上げるところは、右手でクレッシェンドの表示をした。
笑いながら見ていた鈴慕師のOKが出た。

そして、当日の「鹿の遠音」は山口五郎の前で、本人の物マネ演奏(?)したのである。
これが山口五郎本人にも受けて、すぐにビールを持って私のところに見えたので、私の方が驚いた。

鈴慕師には「あの位偉い先生でもマネされると嬉しいんだよ」と言われた。
これに気を良くして、物マネが続く事になった。