北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

新聞に投稿が掲載される

2021-05-26 10:36:00 | 随想
5月26日に私が投稿した文章が新聞に掲載された。
初投稿なので、幸運だった。

掲載されたのは東京新聞の「つれあいにモノ申す」のコーナー。
ただし氏名もペンネームも出てないから、誰だか分からない。

文章は次の通り。

別荘
妻が「ここは鳥が鳴くし、緑に囲まれて、まるで別荘みたいね」と満足そうに言った。
ちょっと待って。四季折々の花が咲き、芝生もきれいなのは、私が丁寧に手入れをしているから。私も褒めてほしい。
(夫婦で旅気分・72歳)

となっている。
ほとんど投稿の通りだが、最後の()部分が替えられた。

私は(料理はホメない夫)と書いたのだった。



参考までに掲載された新聞をご覧ください。

立川談四楼

2021-05-24 15:03:00 | 芸能
5月23日の東京新聞に「モノ言う落語家」立川談四楼が大きく取り上げられた。

半ページにも及び、本人もその取り扱いの大きさにびっくりしていた。(師匠のブログによる)



右側の写真は師匠お気に入りの写真で、ブログにも載っている。

左下の写真は上野広小路亭で、かつて私もこの写真をアップしている。
立川流はここを定席としていて、私は何回も通った。

私と談四楼師匠との関係は、度々取り上げてきたから、ここでは省略する。

新聞では落語は「生きるために必要だ」

内容は、緊急事態宣言の中、上野広小路亭の夜席は17人程度。本来なら終わって芸人同士軽く一杯が出来ない。スーパーで食料と酒を買って家飲み。

落語の二協会がクラウドファンディングを始めた。

政治家に対するコメントが鋭い。
アベノマスク批判、犬抱いて座っていたり、ワクチンで電話回線がパンク。上の人が勝手に先に打って、そんな話はないよ。

官房長官は寄席を「よせき」と読んだ。こういう人たちの収入は減らない。
モノを知らない人が、収入の途絶えた人をいじめているんだ。

一番の要望は「補償」だ。
政治家は言葉、です。全く心に響かない。「私を説得してください」
文化芸術、エンタメは「彼ら」に言わせると不要不急。

でも、絶対的に必要なんだ。ビタミンであり、タンパク質。
ドイツの文化大臣も「具体的に生きるのに必要なんだ」

政治家の皆さんに落語を聞いてもらいたい。古典落語の「浮世根問(うきよねどい)」や「やかん」など。

コロナ対策でうまく行っている国は国民の声をよく聞いている。
政治は日常。政治を語るのは「ダセえ」じゃない。(以上新聞より)

飯田で一緒に飲んだ時も、よどみなく「立て板に水」だった。

NHKラジオで土曜日の朝、時々「立川談笑」も話をする時がある。

落語家は本当に話が上手い。政治家も原稿の棒読みではなく、もっと抑揚を入れて、魂を入れて、二ホン国民のためにもっともっと働いて欲しい。

ビールの飲み比べ

2021-05-20 11:44:00 | グルメ

最近のビールの話である。



これは発売と同時に販売中止になったアサヒ「スーパードライ 生ジョッキ缶」である。(写真左)

「泡が出る ゴクゴク飲める」「日本初 全開!生ジョッキ缶 」の謳い文句で、予想以上に売れたそうだ。

缶上のプルタブが全面になっており、この生産が間に合わないという。

たまたま手にしたので飲んでみた。泡は確かにクリーミーに出て、生ビールを思いださせた。味は「さらりとした飲み口、キレ味さえる、いわば辛口の生ビールです」と表示してあるが、ウーンさっぱりかな。

私は通常、ビールはレギュラーより小さなものを買っている。

サントリーのプレミアムビールはやはり美味いが、アサヒ、キリンより高い。

そこで私はキリンの「一番しぼり」を買っている。やはり通常はこれだ。

ビールと言えば思い出話がある。

大学2~3年生の頃の夏休み、父親の紹介で飯田市のキリンビール販売店でアルバイトをした事がある。

そこはキリンビールの特約店になっており、その店から街中の酒販売店へとビールを届けた。

トラックに運転手とアルバイトが2人乗り、樽の生ビールと20本入りの大瓶を何ケースも積んで行った。

飯田市は旧市内の店は近いところに何件もあるから、頻繁に降りて運ぶからつらい。

毎日おかみさんに指示されて、時には木曽方面の大平峠や、大鹿村まで行くのだが、街中と違って道路が悪い。舗装されていない道だとガタゴト走るから、飛んだり跳ねたり随分弾んだ。

そんな田舎に限って、量が多く、ケースを重ねるのに私の力では4段辺りからかなりきつかった。
しかし、アルバイトだから毎日ピクニック気分で楽しかった。

運転手は扱いが荒い。時にはケース上を滑らして、大瓶の栓を壊してビールがあふれ出た事があり、その時のビール臭さを忘れない。

その後45年程経た、今から5年前の飯田市お練り祭りに帰省して、おかみさんに会った。
昔話をして、おかみさんも「いろんな所に行けて良かったね」と笑いながら会話した。

やはり大学生の頃、飯田市で「いとこ会」があった時、キリンビール瓶の絵に「キリン」の字が書いてあると言われ、必死に探した事を思い出す。

キリンラガーが全盛の頃、アサヒが「スーパードライ」を開発して、爆発的に売れた。

そして各社は「ドライ」を次々に開発しだした。ひと頃はまるでドライだらけだった。

その頃、会社の部下の女性の結婚式に招待されて私が祝辞を述べる時、卓上にスーパードライが出ていた。

とっさに彼女をホメようと「スーパードライのように頭の切れが良く」と浮かんだ。
アサヒビールの売り文句は「切れが良い」だった。

ただ、アサヒは「ドライ」にこだわり、他社は新製品の開発で売り上げを伸ばしたが、アサヒは伸び悩んだ。

そこで、生ジョッキ缶の開発である。

果たして、アサヒは起死回生となるか。