石仏み~つけた

大和とその周辺の石仏や磨崖仏を探し歩いています

三重県上野市 四十九 地蔵立像磨崖仏

2012年08月28日 | 石仏

 

 資料にたった一行「上野市四十九 地蔵立像磨崖仏」と書いてありました。

四十九といえば守田の地蔵十三仏磨崖仏の近く・・・

あの辺に未だ磨崖仏が隠れていたのか・・・

早速探しに出掛けました。

 

三重県上野市四十九町

 

上野インター方面から守田の地蔵十三仏磨崖を通り過ぎ

最初の家が見える辺りの道下に在りました。

 

 

上野にはもう未知の磨崖仏は無いものと思っていただけに

感慨一入です・・・

 

案外身近な所にも隠れているんですね~

こんな出合が在るから石仏探索続けられるんですよね。

 

前の五輪塔等が無ければ気付かずに通り過ぎてしまいそう・・・

 

 


三重県 上野市 荒木 大釜地蔵石仏

2012年08月27日 | 石仏

 

 剣豪荒木又右衛門の誕生地、荒木集落の地福寺地蔵堂に

珍しい半跏地蔵石仏が祀られています。

 

三重県上野市荒木

元、寺田橋袂に在ったものを地福寺に移動したと云う事です。

光背を深く彫り込み頂部が庇様になっています。

不自然な破断面が見られ、元は磨崖仏だったのかも・・・

 

宝珠がおにぎりに見えるのは気のせい?

「其処な旅人、にぎり飯一つ喰わんか?」とでも言っている様な・・・

何かほわっとした感じのお地蔵さんです。

 

 

 

 


和歌山県 日高町 西山の地蔵石仏

2012年08月16日 | 石仏

 

日高町に西山地蔵が在ると言う事で船津磨崖仏の帰りに寄ってみました。

 

和歌山県日高郡日高町小池

小池集落にある西福寺の裏山頂上に地蔵堂が在り、地蔵石仏が祀られています。

豊漁を祈願する漁業神として、又寝小便を治す子育ての神として

人々から信仰されてきたと云うことです。

 

錫杖、宝珠を持ち蓮華座に立つ通常型の地蔵立像です。

丸みを帯びた親しみ易い像容。

 

このお地蔵さんも人々の厚い信仰心で撫で擦られた為か

お顔がつるつるになってしまっています・・・

 

岩の形が不自然な割れ方をしている為

元々は磨崖仏で在ったのではないでしょうか・・・

紀州路は磨崖仏が希少ですので

もしそうであるなら一寸勿体無い気がします・・・

 

此処の地蔵堂は遠い昔の記憶に在るような・・・

何か懐かしい感じのする、昔の儘の地蔵堂・・・

 

今も沢山の涎掛けが結ばれています・・・

 

 

 


和歌山県 日高川町 船津の磨崖仏

2012年08月15日 | 石仏

 

大和周辺の地で同じ近畿圏に在りながら極端に磨崖仏の少ない紀州路。

その希少な磨崖仏の中の一つに会いに行って来ました。

 

嘗ては龍神から日高を抜け御坊まで、筏をつくり木材は運ばれていました。

岩の多い激流を筏で下る筏流しの難所で、無事を祈る為に刻まれたと云う事です。

 

和歌山県日高郡日高川町船津

大和方面ではあまり見掛けない磨崖の如意輪観音です。

 

日高川に甚大な被害をもたらした紀州大水害の後、上流に椿山ダムが出来てからは

嘗ての日高川とは様変わりした穏やかな川面を磨崖仏は見続けています。

これからもずっと・・・・・・

 

 

 


兵庫県 たつの市 觜崎地蔵磨崖仏

2012年08月13日 | 石仏

 

 兵庫の石仏三ヶ所の再会の序と言ってはなんですが

どうしても見てみたかった磨崖仏に会いに行きました。

 

 

兵庫県たつの市新宮町觜崎

觜崎の揖保川に沿った岩山の壁面に刻まれた地蔵磨崖仏です。

文和三年の銘が在り、紀年銘のある磨崖仏としては県下最古のものです。

 

嘗ては屋根が設けられていたことが伺えます。

 

 植物の蔓があたかも触手の様に、地蔵さんの首の辺りに伸びて来て

一寸残念な状態になって居ました。

 

その内に飲み込まれてしまいそう・・・

 

何とかならないもんでしょうか・・・

 

少し上流に在る四体の磨崖仏。

風化が激しく消えかかっているものも・・・

 


兵庫県 加西市 山伏峠の石棺仏

2012年08月06日 | 今昔

 

兵庫の石仏再会編、三つ目は山伏峠の石棺仏です。

三十年ぶりにネガを見た時、此れは何処の石仏???状態でしたが

説明板を撮影していた為山伏峠の石棺仏であることが判りました。

この石仏は全く記憶から消え失せてしまっていました・・・

 

まずは昔のネガから・・・

縄掛け突起付きの家型石棺蓋石そのままの内側に阿弥陀座像が刻まれています。

播磨石棺の石棺仏で一番の大きさという事です。

 

石棺の蓋石に7体の地蔵が刻まれています。

半跏の地蔵を中央に、左右に小型の地蔵6体を配しています。

播磨の石棺仏では唯一、長持ち式石棺を使った石棺仏で

縄掛け突起をそのまま残していて、この石棺仏の魅力になっています。

 

石棺材を舟型に形成し、阿弥陀座像と左右に地蔵が刻まれています。

 

味の有る昔の手書きの説明板

 

現在

昔と何ら変わり無く其処に在りました・・・

兵庫県加西市玉野町山伏峠

 

半跏地蔵に六体地蔵というのも珍しいものです。

 

昔と違うのは花立の数くらいでしょうか・・・

 

こんな素晴らしい石仏さん達を忘れていたなんて・・・

 

素っ気ない説明板に変わっていました。

三十年経って一番変わっていたのは説明板・・・