新横浜 占いの真龍堂

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占術をツールとしたカウンセリングルームです

神社めぐり 1741 朝気熊野神社

2021-08-31 05:47:35 | 占い
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縁結び、縁切りにご利益がある神社を巡ります


今回は 朝気熊野神社 です

ご祭神

 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 速玉男命 (はやたまのおのみこと)
 事解男命 (ことさかのおのみこと)

 摂社(せっしゃ)には
  ・ 交通安全道開きの神 : 猿田彦大神
  ・ 学問の神 : 朝気天満天神
 をお祀りしています。

朝気熊野神社は甲斐国、つまり現在の山梨県が開拓された時、
この地域に設けられた村落の守護神として創祀(そうし)されました。

当時はまだ「朝気」という地名はなく、
その後日本武尊(やまとたけるのみこと)が
山梨県甲府市の酒折宮にお泊りになった翌朝、神社の辺りに
煙が立ち上がるのをご覧になって立ち寄られ、
村人が歓び迎えて朝餉(あさげ=朝食)を献上したということから
この地域は『朝気(あさけ)』と名付けられました。

以来、朝気地域の守護神として朝気熊野神社と名乗り、
社地周辺の古代遺跡が物語る如く、人々が定住し栄えて来ました。
現在では、氏子はもとより、県内外各地からも広く崇敬を集めています。

生前の伊邪那美命(いざなみのみこと)と
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)から
家庭円満・良縁成就・益々繁栄のご神徳をいただいています。

また、伊邪那美命(いざなみのみこと)の死後、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から追従してくる
邪鬼を振り切り現世に無事戻られたことから悪縁消除・無事健康の
ご神徳をいただいています。

「伊邪那岐命」の吐いた唾から生まれた
「速玉男命(はやたまのおのみこと)」は、
「伊邪那岐命」の吐かれた唾が玉のように光って見えたところから
「ハヤ=美称=速」「タマ=魂=珠(宝)=玉」とされ、
漲る生命力を象徴しています。

掃き払ったところからお生まれになった
「事解男命(ことさかのおのみこと)」は、
「事」を「離(サカ)=解(サカ)<コトサカ=関係を裂く、離縁の意>」
から新たな命を授かったので、悪縁消除を象徴しています。


◇所在地

山梨県甲府市朝気1丁目11−1

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR身延線 南甲府駅 

<朝気熊野神社 ホームページより >
http://asakekumano-jinja.org/



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◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇

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神社めぐり 1735 津島神社

2021-08-30 05:51:43 | 占い
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縁切りにご利益がある神社を巡ります


今回は 佐沼津島神社 です

御祭神

神武速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)

天正19年(1591)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした
葛西大崎両氏は市民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。
秀吉の命で伊達政宗はこれを包囲したものの沼川深田である
佐沼水域の難攻不落に万策尽き、
津島神社(北方鎮座、現在は津島本宮社と改称)に祈願したところ、
忽然と白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降り立ちました。
深沼ではないことを知った政宗は篭城軍を一気に攻め、
城を落とすことに到りました。
後の慶長19年(1614)政宗は領主津田民部景康に城の鎮護を命じ、
津島神社を城下である現在地に遷座し、
佐沼城において今後謀反なきものとするため社殿は佐沼城に向かって
北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天王と称し祭りました。
人々から「ごてんのうさん」と崇め祭られ、
今もこの呼び名で親しみをよせられ崇敬されています。


◇所在地

宮城県登米市迫町佐沼西佐沼147

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR東北本線 新田駅

<津島神社 ホームページより >
http://tushima-jinja.jp/



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神社めぐり 1740 苗村神社

2021-08-30 05:19:59 | 占い
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良縁にご利益がある神社を巡ります


今回は 苗村神社 です

御祭神

那牟羅彦神 
那牟羅姫神
國狹槌尊

相殿神

大國主神 
事代主神 
素盞鳴尊

当社の御鎮座は上古に属し、
平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう)に列座された
長寸(なむら)神社にして、格式の高い式内社であります。
社伝によれば垂仁天皇の御代に当地方を開拓された御祖をお祀りしたのが
創祀とされます。

即ち当社神域に現存する古墳或いは域内外より出土する陶物は、
何れも古墳時代の遺跡或いは遺品であり当時既に祖先の遺業に励んだ
部民の聚住を物語っています。

これ等の先人達は、先祖に対する報恩の念により祖霊を神として、
当神域の東の方にお祀りしたのに創り、この祭神こそ当地方最高の祖神と心得、
地名である那牟羅(なむら)と同音になる長寸(なむら)
(長は最高位 寸は村の古字)の字に替えて長寸神社と申し上げました。
この御社を后の世になって東本殿と申すようになりました。

その后、時代の経過と共に稲作農耕が愈々盛んとなってきました
平安時代の安和二年(969)三月二十八日、大和國芳野金峯山に鎮まり給うた
國狹槌尊(くにのさつちみこと)の御神霊が、
この神域の西の方に御遷座されるようになり、
社殿を御造営申し上げ、此処に御鎮座になりました。

この御社を東本殿に対して西本殿と御呼びします。

現在の西本殿は、社蔵されている当地方最古と言われる
徳治三年(1308)の棟札によりますと、建保五年(1217)に修造され、
更に徳治三年に再建されたこと、及び当時の修造には遠隔の地まで沙汰せられ、
有力な豪族が神事を司ったことが明記されています。
しかもその当時の建築様式(鎌倉時代)は、その后度々の修造もありましたが、
当時の様式は今によく伝えられ、棟札と共に国宝に指定されています。

現時の社名、苗村の称号は社蔵の古文書によりますと、
もとこの地域は日本書紀垂仁紀三年三月新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)の
條に曰う吾那邑(あなのむら)でありましたが、
その后、那牟羅(なむら)に改まり、更に長寸(なむら)に替えられました。
次いで寛仁元年(1017)正月、朝廷に門松用の松苗を献上することの
栄に浴して以来、年々の吉例となり、時の帝、後一條天皇はこれを嘉みせられ、
苗村(なむら)の称号を賜り、以后苗村神社と呼ぶ、と記されています。

斯くて、創祀以来社運年毎に栄えて来ましたが、
何時の時代も苗村郷三十三ヶ村の総社と、
人々の信仰の中心となってきた大宮であります。

取り分け天文五年(1536)朝廷の当社に寄せられた格別の恩命は、
未来永劫に亘って誇りとする処で、社有の記録には、
同年三月二十二日、後奈良天皇は、当社に「正一位」の神位奉授し給い、
同四月十九日に勅使として中御門宗藤・山科言継を御差遣になり
神位記を奉納され、ついで、神主盛継に修理大夫任官の口宣を御くだしになる。
この時、征夷大将軍足利義晴より勅使参向に当って三箇條の禁制札を下地される。
續いて同五月九日、更に天皇は「正一位苗村大明神」の勅額の御下賜があり、
又同月十二日関白太政大臣近衛植家公を始め三十人の公卿は、
京都において法楽歌会を催され、同月十六日中御門宗藤卿は、
使者を以て当日の和歌を送られ、同十九日神主盛継はこれを
神前に奉納された記録が今に残っています。

天正年間には、織田信長が、天下太平を祈願し当社に
馬鞍一具と太刀七振りを寄進している。
誠に当社の栄誉これに勝るものなく、社名自ずと四海に遍くところであり、
今日三十余郷の氏人達は、累代に亘って神仕えされてきた
春日皇子の後裔である現神主を中心として、
この栄誉高き御宮に余念をまじえず、
只管崇敬奉仕申し上げる処であります。


◇所在地

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR近江八幡駅
近江鉄道 京セラ前駅

<苗村神社 ホームページより >
https://www.soyajinja.com/



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神社めぐり 1739 白崎八幡宮

2021-08-29 06:28:21 | 占い
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今回は 白崎八幡宮 です

ご祭神

主祭神

【應神天皇】【仲哀天皇】【神功皇后】

配祀神

【武内宿禰命】【埴安姫命】【事代主命】【素盞嗚尊】【菅原道真公】
【五男神】【大山祗神】【金山彦命】【少童神】

白崎八幡宮は、鎌倉中期建長2年(1250年)、
時の領主、清縄左衛門尉源良兼が遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して
室木に垂跡することを知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神として
今津琵琶首に創建奉斎したのが始まりです。

南北朝時代の貞和4年(1348年)には弘中堂内源兼胤を願主として
現在地の白崎山に壮麗な社殿を造営、社領を寄進・奉遷し、
旧岩国十七ヶ庄(錦見・川西・今津・室の木・牛野谷・中津・車・
向今津・門前・平田・海土路・藤生・黒磯・青木・保津・
六呂師・叶木)の産土神と仰ぎ、領民と共に深く尊崇しました。

その後、戦国時代の明応5年(1496年)には兵火に罹り本殿が
炎焼してしまいしたが、明応7年(1498年)宝殿を修築。
文亀3年(1503年)に舞殿・籠所などを再建。
以降、弘中三河守源隆兼に至るまで、代々弘中氏が大宮司を奉仕。

弘治元年(1555年)三河守失脚により、孫の今地良房が宮司を継承し、
今地家が代々奉仕しています。
江戸時代には、岩国初代藩主吉川廣家が慶長5年(1600年)岩国に
入封した後、慶長16年(1611年)に社殿を再建すると共に社領を献じ、
武運長久と国郡豊饒を祈願しました。

歴代の藩主も白崎八幡宮を尊崇し、現在に至っています。
創建以来750年の式年を平成12年(2000年)に迎え、
後世に残る平成の大造営事業として境内地を拡幅、
社殿を北側後方へ移築し、神楽殿・社務所を改築、
大駐車場を完備しました。

縁切り祈願

異性との縁だけではなく、
様々なしがらみからくる悪縁を断ち切れますように。
異性との縁だけではなく、様々なしがらみからくる悪縁を
断ち切れますようにと神さまにお願いするご祈願です。

DVをかかえるご家庭や、仕事上での上司や同僚・後輩との悪縁、
ご近所づきあいにおいての悪縁を絶ち切りたい方に
お受けいただいております。また、物欲や食欲・色欲など、
色々な欲望の縁を切ったり、事故や災難・悪運や借金などから
縁を切るご祈願もいたしております。

お申込みをいただいた後、大安の佳き日に白崎八幡宮のご神前にて、
白崎八幡宮のご祭神であらせられる
應神天皇・神功皇后・仲哀天皇をはじめとし、
境内末社の劔神社に鎮座する「剣の神さま武甕槌大神
(剣で蟲を断ち切る)」及び、粟嶌神社に鎮座する
「ヤマタノオロチ退治をされた素盞嗚命(蟲を断ち切る)」の
ご神徳をお頒ちし、皆様の縁切り祈願をご奉仕いたします。

ただし、神社では相手を不幸に陥れるご祈願は一切行いません。
相手を呪う・恨むなどの祈願はお断りいたします。


◇所在地

山口県岩国市今津町6-12-23

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR岩国駅前バス停から乗り、八幡バス停で下車(6分)し、徒歩2分。

<白崎八幡宮 ホームページより >
https://www.sirasaki.com/



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神社めぐり 1738 佐太神社

2021-08-28 06:13:49 | 占い
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縁結び、縁切りにご利益がある神社を巡ります


今回は 佐太神社 です

当社は出雲國風土記に「カンナビヤマの麓に座す」
佐太大神社(さだおおかみのやしろ)或いは
佐太御子社(さだみこのやしろ)と見え、
延喜式(えんぎしき)には佐陁大社(九条家本)、
また出雲國二宮と仰がれ、出雲國三大社の一つとして
杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても
杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた御社です。

中世には伊弉冉尊(いざなみのみこと)の陵墓である
比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った社と伝え
旧暦十月は母神である伊弉冉尊を偲んで
八百万の神々が当社にお集まりになり、
この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから
当社を「神在の社」(かみありのやしろ)とも云い
広く信仰を集めています。

盛時には神領7千貫・神職224人を有し、
年間七十余度祭禮が行われていたと云いますが、
太閤検地で領地を減じられ神職75人となったと云われています。

江戸時代を通じて出雲國10郡のうち佐陀触下(さだふれした)と
呼ぶ秋鹿(あいか)・島根(しまね)・楯縫(たてぬい)
・意宇(おう)西半の3郡半の神社を支配下に置き、
歴代藩主の信仰も厚く、出雲國内でも重要な地位を占めてきました。

また、旧暦8月24日・25日の御座替祭(ござがえさい)には
この佐陀触下の神職・巫女が参集奉仕する慣わしで、
この祭で舞われる神事舞が出雲國内をはじめ他の里神楽に
大きな影響を与えたとされ「出雲神楽の源流」とも云われています。

明治3年、神社制度の改革が行われこの触下制度は廃止となります。
51社あった末社もそれぞれが村々の氏神として独立し
20ばかりとなり、神領、神職とも大幅に減じ著しく衰退しました。
しかし、佐陀宮内の氏子はじめ神領6ヶ村の旧氏子、
その他多くの崇敬者による復興運動により、
昭和3年国幣小社に列せられました。

戦後は佐陀宮内地区の氏神社となっていますが
その由緒・歴史から近郷諸所の惣氏神としてはもとより
全国各地から広く信仰を集めています。

様々な歴史的困難にもかかわらず、本殿三社をはじめ、
国・県の指定文化財も多数有し、古伝の祭祀を守り受け伝えている
点において神道学、民俗学等の面からも
注目を置かれているところであります。

悪縁切り・良縁結び御守り・祈願割符

佐太神社摂社 田中神社の御祭神 木花開耶姫命 磐長姫命
にまつわる悪縁を絶って良縁を結ぶご利益を授かりましょう。

このお二柱の女神様は北殿の御祭神 瓊瓊杵尊のお妃様で 
妹の木花開耶姫命は花のように美しく、
姉の磐長姫命は容姿が醜く親元へお返しになった事から 
縁切のご利益があるとされています。

祈願割符は裏面に願主様の名前を記し、願をかけて二つに割ります。


◇所在地

島根県松江市鹿島町佐陀宮内73

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR松江駅より一畑バス恵曇方面行きで約25分佐太神社前下車すぐ

<佐太神社 ホームページより >
http://sadajinjya.jp/



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