Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ゲームの魔力に負けずに、音楽の世界に勤しむ事を誓う。否、日蓮正宗の信心、お寺が最優先だ!※ゲームの良き効用の編集後記も参照!

2023-12-19 16:47:14 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は今日、Amazonの任天堂スウィッチの、ソフトのコーナーを覗いてみた。
 すると、スプラトーンとか、一番気になったのが、新品が三千三百円という安値で、「マインクラフト」とかいう、今、人気ソフトの、一番手か三番手かに、候補として挙がっている、ゲームソフトが、マイクロソフトから出ているらしい。
 これに最初は、くらっときて、買おうか、とも思ったが、そこのレビューでは、このゲームの沼にハマる、子供が多いとそこで字を追って読んだ。
 子供はいいだろう。持て余す位の、多くの時間を、子供達は、私よりも若いのは当然として、沢山の時を持っているのだから。
 だから、親が共働きで、両親が中々うちには帰って来ない。そんな時は、時間も忘れて家の中だけで遊べて夢中になり時間も忘れてしまえる、そんなゲームと言う、大人が作ったファンタジー、虚構には、親もついつい同意してしまい、その値段プライスにもやられてしまい、ついに子供に買い与えてしまう。
 そこがワナだ。それがゲーム機ソフト会社、この場合、WindowsのPCソフトなどを手掛ける、マイクロソフト社は、罪作りだと思う。子供は一番時間があるから、まだ良いが、私などの、五十をとおに越えた者にとって、これは危険な賭けの様なものだ。
 私には、こんなゲーム、それも時の経つのを麻痺させ忘れさせる、麻薬の様な、時間感覚を失わせるゲームソフト等よりも、紙や電子書籍を問わず、本を読むだとか、音楽の、私が現在一生懸命になって取り組んでいる、電子ピアノ・キーボードの、楽譜覚えだって大変なのに、それに指使いも、一生懸命にやるものなど、この世には私には沢山のコンテンツ、趣味の極みを極めてゆきたいものなどというものは、これらゲームソフトの比ではない。その他、そろばんのもう一度復習も兼ねて、計算力の最後の磨き上げの勉強もしてみたいし、本来ならば、体が幾つあっても足りない位なのだ。
 そんなゲームソフト等、買わないで命拾いした。
 それに、もてあそび過ぎて、既に買ってしまったゲームの類が、我が家には他にも沢山あり、それらにも手など一切付けていないゲーム類が、沢山眠っている。それらゲームの中で、一番やる機会が多かったのが、オセロや将棋、ピアノの鍵盤のワンオクターブが入っている、「世界のアソビ51」と言う、任天堂が気前よく、何でもゲームを盛り込んだゲームソフト位である。それも今ではもう何ヵ月も放りっぱなしである。やらず仕舞いだ。
 他には、もう、やる時間も余裕も、手間暇も、ちょっと今の自分には、やる事が他に一杯あって、テレビも見なければいけないし、ラジオも聴いているし、インターネットの、PCやタブレット、スマホで、チェックして置かなければいけない情報とかが、私にはもう、この体というか頭と言うか、一つのゲームに何時間もなんて、とんでもないが、とてもじゃないが、時間を割けない。悪いけど。
 だから、今日は、私は気まぐれで、任天堂スウィッチの、ソフトのコーナーを久方ぶりに見て、ゲームだけは、この物価高の中、確かに去年買った、その世界のアソビ51だって、値段がそれ程変わったとは思わなかった。だから、急いで買う必要もない。それ位の話である。
 それに、私の場合は、音楽の、演奏もそうだが、聴くべき音楽、自分で現物のCDを買ったり、電子ダウンロードで購入したり、過去、図書館や、今はレンタルは営業していないが、ツタヤなどでレンタル等で借りたりした音楽資産、等々が、PCの中には一杯あって、それらを毎日、沢山の、240GB以上の楽曲が我がパソコン内には眠っていて入っている関係から、それらを聞いて、又もや一から、音楽遍歴というか、音楽の旅が、毎日繰り広げられている訳です。これは、音楽好きな私にとっての、一番の幸せタイムな訳です。
 その時間をとてもじゃないが、ゲームなどで奪われたくはない。この音楽の嗜好の為に、この間買った、DVD「大草原の小さな家」は、まだ、一話しか見ていないし、これも矛盾はするが、ザ・ビートルズの、「ゲットバックセッション」のブルーレイも、音楽としてならば、いつでもPCやタブレットで鑑賞しているのだが(その間に、本や新聞、ネットなどの活字を追っている、言わば「ながら族」)、早速、ビートルズのブルーレイすら見る時間がない。
 これに加えて、最近の私は、ここ半年間位の間に、複音ハーモニカだ、電子ピアノだ、と、楽器演奏まで手を付けて、関係して、行なって、学んでいる始末。どこにゲーム機器、ソフトを遊ぶ時間があるんだ、と言う話。
 どうせ、又何度もゲームソフト等買ったって、集中もせずに、買って死蔵してしまうのが目に見えているし、決まっている。今までが、そうだったのだから。
 だから、私はそんな無駄遣いは絶対にしたくはない。しない。もう判り切った事だから。
 どうぶつの森と言うソフトも、もうかれこれ、一年近く、半年以上、全然行なってはいない。これも無駄遣いだった。
 じゃあ、何でそんなゲーム機器を買ったのか、と言えば、これは去年の私の10月の発作的な余計な買い物に原因があるので、暇がある人はさかのぼって去年の10月の過去記事を読んでほしいと思います。

 それにつけても、これが一番大切で、極め付けなのが、私にとっては、信仰・信心の、天下一の「日蓮正宗」の為に時間を大いに割かなければならない事も、忘れてはならない重要なキーポイント、点である。これが今日の赤丸ポイントだ。
 私にとって、極めて近所にある、日蓮正宗無量山寿海寺へ通い、そこで読経唱題行、自行化他にわたる、仏道修行が、何と言っても、心休まる時となっているのだ。これが失われたら、私の心も死滅する、してしまう。
 絶対に、お寺に通う。この一点に於いて、そのキッカケ、決意を乱すモノは、これは「魔」に他ならない。
 この大事な時に、「ゲーム」などと、呑気な事などやってられない。一番に、削除、オミットすべき案件、事柄だ、ゲーム機器は。
 だから、私は、大好きな音楽も、時には「魔」と充分なり得る存在なので、時間を自分なりに決めて、いつまでもダラダラとやらずに、潔く家にいる時は、信心一本で、出来ればいいんだが、家にいるとその音楽のみならず、PC、本・活字、その他、テレビやラジオといった、娯楽に負けそうになる時がある。
 こういう時こそ、お寺に通って、お寺で信心信仰の修業に専念すべきなのだ。この、一番の課題、命題が、今までの私自身が、判っていなかった。
 だから、これはお寺のI塚さんが言っていた言葉なのだけれども、家には一杯の「魔」があり、それに心寄せられ、心が奪われてしまう時がある。特に私(wainai)の様な一人暮らしで、一杯の趣味を持つ私にとっては。
 そこで、そういう時は、「お寺」へ行くのが、一番の薬、効用があり、お寺には魔は一切ない。だから、○○さん(私)は、お寺に行くことが先決、特に○○さんは、家がお寺に近いんだからと、そう、I塚さんは私に言われた。
 とにかく、仏道修行が先に、何よりも先に優先、位置しており、何を差し置いても、勤行唱題が、日蓮正宗信徒に於いての主眼、主題、主目的である。信心、お寺ファースト・第一主義が最大限の、最大公約数の幸せへの道、源泉なのである。
 これを逃して、私は自由気ままだ、何て抜かすバカがどこに居ろうか。だから、私は、この世の中で一番のバカ者かも知れないが、その少しでも、自分がバカと知った以上は、そこから脱したい、逃れたい、との向上心を人一倍持って、この今の難しい苦しい難局の時代に於ける人生を元気ではつらつと生き抜きたいと思っている。それしか方法はないと願ってもいるし考えている。正にこの道しか有り得ない。

 閑話休題。それはさておき。
 私のヤマハの電子ピアノに、今日の午後、中国から空輸~郵便、で届いた、先日も購入した、ピアノの鍵盤の音階の、ドレミファシールが届いたので、間違いなく、一枚一枚、丁寧に貼り付けました。この間の44鍵は大変でしたが、少し余裕もありました。しかし、貼っている所が61鍵は決まっていたので、助かりましたが、その数が多い分、これ又、大変でありました。
 一番大変で、けれども究極的には貼る位置が一番決まっていて、悩む事がないのが、88鍵の鍵盤を持つ、完全な、現代の、電子ピアノにしろ、アップライトにしろ、グランドにしろ、大型の本格的なピアノでしょうね。
 とにかく、本日は、お寺に行って、頑張って一時間お題目を唱えて、御住職様の御説法も聴き、久しぶりに閉門だったお寺にも活気が湧き、お寺に集った皆さんのお顔を拝見出来、久しぶりに再会できた喜びにあふれて居りました。
 私も、このお寺で、自身の深化と成長の為に、そして何より、お寺に貢献出来得る人財と成れるよう、努力に努力を重ねて、仏道修行に精進して参ろうと思いました。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。
私が丹精込めて、ドレミファシールを貼っていった、ヤマハの電子ピアノ・キーボード。私は音楽が大好き。特に今は電子ピアノ・キーボードがお気に入り。きっといつかは、立派に人並みに楽々と演奏して、弾けるようになりたい。

※編集後記:ゲームについての一考察、ゲームの効用
 この稿では、随分とゲームについて「魔」だとか、勝手な言い分を述べてしまったが、私は今でも、それら、ゲームのとりこになっている、ゲーム愛好者、ゲーマーに対しては、それだけ熱中して、取り組むモノがある者、一生懸命さが、私としては好感が持てて、好きだ。一種の尊敬の念をも持っている。
 うちに来ていた、割かし美人めの、若い婦人というような、ヘルパーさんがいたが、その方と私は、もう、何年と言う間も、全くと言っていい程、冷戦状態と言おうか、コミュニケーションが全く取れずに、ただ、時間だけが過ぎていく、という感じのケースが多かった。 
 だが、私から、ひとたび、ゲームの話を持ち掛けてみて、その彼女が、どういった反応を示すかを見てみると、何と彼女は、私が購入した、任天堂スウィッチの愛用者で、旦那さん、お子さんと、三人でそれらゲームのファンであり、私とそのヘルパーさんは、そのゲームの話題で意気投合して、持ちきりだった。
 他にも、私とは話が疎遠であり、全くと言っていい程、話しをしなかった方、ヘルパーさん、この女性も、何とゲーマーであり、その家庭にも、お子さん、旦那さんが居て、一緒にゲームを、この場合は、ソニーのプレイステーションの4だか何だかをやっている、と私のその頃のゲーム熱をあおるような、面白くその方のお話しを拝聴できたのである。
 それだから、私としても、ゲーム機器は、確かに時間が勿体なくて、今は、全然ホコリをかぶったままで、(福祉関係者の方々は、勿体ない、使えばいいのに、とは言うが、私はいまいち、それらゲームには付いていけない。才能が全くないのかも知れない…。) 、一日一分間たりともやってはいないのだが、それら、ゲームに取り組んでいる方々の人格までは、否定する積りも毛頭ない。むしろ、尊敬申し上げている。
 私が家で、それら、ヘルパーさん達が我が家へ来ていた頃、私は、彼女らが好みそうな音楽、楽曲を、パソコンで流したりしたものだが、幾ら流しても、それら方々には、全く通用はしなかったのであった。それよりも、ゲームのお話しの方に、彼女ら女性陣は、大好きなコンテンツだったみたいなのである。
 私は今、大いに反省している。その、何でも、趣味を持つ方々に対して、それが自分が嫌いだからと言って、一方的に人格否定に走らなくても良いのではないのかと。
 それらゲームを、一家そろって、テレビにゲームを接続して、それもおそらく、迫力ある大画面テレビなのであろう。私のうちとは雲泥の差だろうが、いいじゃない。そんな風な、平和的な日常が繰り広げられていて、子供さんと、両親が、一緒の趣味を持つ。私は家族が居ないのが問題なのであって、これはひとえに、私の個人の不徳と致す所ではある。
 私は、そう言った、今言った、ヘルパーさんとの短いような長いような時間を経て、そのゲーム機器を媒介にした、縁として、こちらと相手との間の垣根を取っ払って、その間を取り持ってくれたゲームに対しては、むしろ、私は下手くそでゲームには余り近寄りたくはないのだが、コミュニケーション、心のキャッチボールが取られた時点で、大いに感謝の念をいだいている。(この、後半の編集後記の文章、今日現在、12月24日日曜日朝の私のブログに、再掲、再び記事化して、皆様にお届けしようと思います。何分ネタ切れの感も無きにしも非ずであるが、でも、まだ話す事はまだまだ沢山ありますよ。しかし、これは、ゲーマーの方々への一つのケジメですから、私個人としてのですね。以上です。)
これが、そのURLです。
 ほとんど、同じ内容の文章なので、このURLに飛ばなくても良いかと思われますが、一応、念の為、載せて置きます。

再度。以上。よしなに。wainai


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