Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価はミニ池田を目指す、日蓮正宗は末寺の御住職様、御法主上人に見習う

2021-04-23 13:14:28 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会は、池田大作を本仏として、池田を師匠として進んでいる。我々日蓮正宗法華講は末寺の御住職様、それから御法主上人猊下様を基調として見習っている。
 創価はミニ池田を目指し、我々は御住職様に親しみ敬い、尚且つ、御法主上人猊下に心から従う。どちらがまともか、創価は在家団体であり、池田なる俗物はただの一凡夫に過ぎない。
 だから創価は気色悪い。まだミニ各地に散らばる末寺の御住職様、の方が可愛げがある。
 池田大作のどの写真でもいいが、見ると、汚らしい程の脂ぎった肥満体であり、チビで、これのどこが宗教家、宗教指導者なのかと思う。ただ気持ち悪い。
 それでもそこの団体に収まると、そこの団体の構成員には蓼食う虫も好き好き、良く見えるらしい。
 人の第一印象は大事である。誰もが抱く池田をチラと最初に見た印象は裏切れない。学会員はみーんな騙されている。
 大体、顔や体付きを見ただけでも怪しさプンプンなのに、池田の二言目には、やれ、私は宗門に寺を何か寺も寄進してやった、それをあの坊主共は、私に感謝もせず、云々と、自分がさせて頂いた、という恭順、尊敬、謙遜の念では一言も言わず、自分の手柄話、自慢、慢心、驕慢謗法の権化と池田は化してしまっている。
 それが末端の創価信者にまでその害毒が及び、一大謗法団体が築きあげられている始末。
 タチが悪く、しかし、一人一人の学会員の心は迷い、さすらい流れ、惑っている。
 この方々を、一人でも多く、早く目を覚まさせ、創価を去る決意を持たせる為なら、私は命を懸けて闘っても良いと思っている。

絵本「きつねのでんわボックス」を読む

2021-04-19 17:56:13 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
夜にNHK第二放送ラジオを聴いていて、この本のアナウンサーによる読み聞かせのポイントを聴いていて、つい感動して購入した絵本「きつねのでんわボックス」(戸田和代作 たかすかずみ絵)である。
母きつねと子ぎつねの元気なころが冒頭で語られる。母きつねの「ぼうやがうれしいと、かあさんはいつもうれしいの」と子ぎつねの成長を見守るが、やがて子ぎつねは秋になると死んでしまう。
やがて、母キツネは、田舎の電話ボックスに明かりがともり、人間の男の子にひそかに思いを寄せる。男の子は、入院している母親がいるが、その電話での会話に母キツネは共感する。
母キツネは毎日ぽつんと立つ電話ボックスに通うようになる。しかし、ある日、電話ボックスが取り外されることになり、………。
悲しいが感動に満たされる。とてもいい話で、終わりの方はささやかな奇跡が起こる仕掛けで、感動的だ。
この絵本は、ネット通販のレビューを読むと、読み聞かせのお母さんの方が逆に泣いてしまった、という話で一杯だ。
感動したい方は是非。

創価学会式で葬儀はしない方が良い理由

2021-04-12 20:19:09 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 幸いうちでは、日蓮正宗時代には葬儀をしたが、創価学会に在籍していた期間に亡くなった身内は居ないので、本当に幸いで創価学会式の儀典部による同志葬(友人葬)は行なった事がない。今は日蓮正宗なので安心している。
 この友人葬、儀典部なる素人が故人を送る為、死んだ人は浮かばれず、故人を地獄界などの過酷な世界へ送り込む儀式となってしまう。その儀典部の幹部の人も、死者の業罰をこうむり、ろくな死に方もしていない人が多いと言う。
 やはり、死んだ時は引導を渡すに足る、立派な日蓮正宗の御僧侶に頼み、葬儀をしてあげた方が亡くなった者も喜ぶと思う。
 日蓮大聖人の御書にも載っているが、昔の中国で、法華経を嫌った大層有名な書家の親子がいた。その父が亡くなる時、遺言で法華経だけはダメだ、と言い残した。
 しかし、その時の中国の国王が、法華経の題字を書いてくれ、とその子供に頼む。子供は王様の頼みなので大いに迷う。その晩、子供は夢を見る。父親が地獄界から、どうか法華経の題字を書くように、そうすれば私は地獄から救われる、と懇願している夢だった。子供は妙に思う。これはどういう事か。居ても立っても居られなくなった子供は王様に直訴してその題字を書かせて頂きたいとお願いした。
 そうして、法華経を書き、夢で父親が法華経を書いた事を感謝し、救われた様を見た子供は安堵する、と言う話だ。
 死んだ者が言った事が絶対なのではなく、仏法の定理から見れば、法華経こそが最高最上の教えなんだ、と言う話であった。
 例え、創価式の葬儀をあげても、その非に気付いたならば、後からでも日蓮正宗寺院にて頼んで法要してもらえば、助かる可能性はある。それだけ創価の葬式はコワイ仕業、地獄送りの儀式なのだ。