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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

大御本尊の否定により、創価学会に明日はない

2019-10-28 19:39:24 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価の人の本尊観は、ニセ本尊(本人が「ニセ」だと気付いていない可能性が高いが)でも構わない、或いは大御本尊(創価本部は否定)を本人は信じている、大誓堂(創価の教義では歴代上人の血脈相承は否定しているが日昇上人筆)の本尊を信じている、或いは己心本尊、肉団の胸中の本尊を信ずるか、いずれかだ。
 本尊雑乱、ここに極まれり。大御本尊を否定、乃至は謗法の地にあるので崇拝の対象としない、にしても、大御本尊を受持の対象としないと数年前に決定してしまったのは、創価の教義上、いつか誰かがやらなければならなかったのだろうが、勇み足、創価九十年の歴史と伝統を傷つける結果となった事は疑いようもない。
 大御本尊は、創価の近年入信した方は判らない(寧ろ意図的に遠ざけられてきた人々だから)かも知れないが、創価のルーツを考える上でも、非常に大事な教えの根幹。これを否定する事は、創価のよって来たる、心の故郷を忘れ去ったも同じなのである。創価が創価でなくなる、実に愚かしい愚にも付かない所業を創価は池田不在の間、原田会長以下はしでかしてしまった。
 今の学会員達は気楽なもので、どんどん創価の教えが代わってきているのに誰も異を唱えない。大体、教えがコロコロ変わるのが邪宗教の本質だと、創価学会第二代会長戸田城聖先生も語っている。三代池田大作のいなくなる迄のそれまでの言葉にも違背する。創価原田一派の暴走劇は、止みそうにない。
 もう誰も創価を止められない。創価の未来は、ここに終焉を迎えるのか。我が、日蓮正宗の人も高みの見物なのである。
 顕正会にも劣る、創価の現状。顕正会の人間達にまで馬鹿にされて、それでも創価に恥じる所はないのだろうか。

創価のニセ本尊も経本も酷い代物、それに比べ日蓮正宗は立派の一言に尽きる

2019-10-23 21:01:52 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私が二十五年以上前、初めて勤行なるものに取り組んだ時、私のうちの仏壇に祀ってあった御本尊は日蓮正宗のコンパクトな第二十六世日寛上人の昭和三十年代の御本尊のみ。お経本も、日蓮正宗の格式高いものしかなかった。
 これで暫らく、一、二年は戦い切った。正に正宗魂こもった勤行であった。毎日が楽しく、清々しく、素晴らしく、「エセ正宗信徒」なんだけれども、創価とは言いながら、そんなものだった。
 それが、創価学会の座談会に出てみると、皆とお経本が違うような気がした。その頃も、創価の座談会は、長行を省く、方便自我偈のみが多かったが、中々お経本まで持って来ている人も少なかった。
 ある日、学会の文化会館に行くと、売っていた!ニセ経本が!
 私は、買わないとマズイとその時は判断し、買ってしまった。
 それを家に持ち帰り、観念文を読んでみると、三大会長への祈念、等々、ほとんど自画自賛の創価狂学丸出しのお粗末さで、その時はっきりと、「こんな経本、嫌だ」と思い、暫く仏壇に封印していた。
 しかし、魔の働きで、今の新たな時代はこんな経本を使うんだ、と自分を否定するように創価経本を使い出した。
 でも、すぐに嫌気がさし、勤行もサボりがちになった。
 これと同じ結果だったのが、ニセ本尊の購入である。
 今から二十年ほど前、私はホテル勤務の為、ホテルの従業員寮に住まっていた。そこで先輩学会員を部屋に案内したのが運の尽き。
 すぐに、この本尊学会のとは違う、しまいには日顕(上人)のだ、と言われる始末。何としてでも本尊を代えようという悪意を感じた。
 クリーニング屋をやっている別の年上の学会男子部は、「日寛だと○○君(私)は言うが、日宥とも読める。戸田先生時代の御本尊だと言うが、何でこの本尊がここにあるのか判らない」と言った。
 その学会員も、初めて見る昭和三十年代の日寛上人の御本尊に恐れをなし「戸田先生の時代に頂いた御本尊なら、我々は手出しは出来ない。お母さん、郡山の自宅にお持ち帰り下さい」とその御本尊様は危うく難を逃れた。
 そして、本尊送り、寮にニセ本尊が安置された。暫らくはうれしいぬか喜びで題目等を唱えていたが、次第に雲行きが怪しくなってゆく。
 職場でのイジメ、それが元での自堕落となっていく生活、昼夜逆転、遅刻早退欠勤の憂き目…etc。
 そこの職場も、年末になり、ある日、フロアに出ていくと誰もいない。朝番は一階の食堂にかかり切りで、誰も三階のフロアを手伝わない。
 しょうがないから私一人で腐らずに誰に文句を言うでもなくやり遂げる。しかし、そんな芸当がいつまでも続くわけはなかった。
 私は体調を崩し、女子からの苛めにも遭い、その職場を逃げるように去った。
 けれども、創価学会員の先輩の男子部員には、見て見ぬふり、白を切って無視された。
 結局、創価家族などと言っても、その程度のものなのである。
 その後、その学会男子部員への怨みから、キリスト教への猛烈な信仰の志向があった。
 そのキリスト教も、やり続ける内、何か頭と胸を押さえつけられるような苦しみ、うめきがあり、又、性懲りもなく創価への復帰。
 創価に戻ると、キリストをやっていた頃よりは自信を取り戻すが、しかし、もうマンネリ化の権化のような私であった。
 何が正しいかなんて全く判らない。常に暗中模索の状態。しかし、正しい正真の信心、信仰、日蓮正宗への改心、寸心を改める機会は、創価側から発信されていた。
 即ち、度重なる教義・会則の改変、観念文の改悪、究極は大御本尊の否定。と、ここまで来れば、どんなに私のように頭が固く悪かろうとも、その事実だけは胸に突き刺さった。
 こんなおかしな会、団体にいてていいのかな、今、大事な、何かおかしな事言ったよね、学会会長、学会幹部さん達よー、とね。学会員を騙して、皆をどこか、地獄の底へでも突き落としに皆引き連れて迷子にさせようとしているのが見え見えだったもの。
 私は泥船には乗りたくは無かった。誰が何と言おうと、今の創価はおかしい。池田ももう出てこない。文化会館に行くと「懐かしの池田センセー」という古いフィルムを見せられるのみ。もう、ここには、何も学ぶべきものが残ってはいない。あるのは、昔の栄光の、日蓮正宗宗門と手を取り合って団結していたのが嘘のような腑抜けた今のふざけた体制と居残る古い体質の残る会員達ばかり…。全てが夢。現実を突き付けられると、何も言えぬ学会員達。
 もうお粗末過ぎて、何をかいわんやです。あの、戸田先生時代の輝ける創価学会など、今の創価にはない。腐っても鯛というが、鯛が腐れば、捨てられるだけですよ。
 故に、私は創価を去った。きれいさっぱり、あと腐れなく、脱会した。
 日蓮正宗には、そういった、過去に邪宗邪教に染まったが抜け出して生まれ変わった者が実に多い。日蓮正宗には、だから、何度も宗教を変わったような、そういった心の傷を持った人が多く、それだけに宗内は優しい人、優しい感情に包まれ、この世の浄土のようだ。
 私は、常に、この日蓮正宗への愛情、御恩返しを考え、行動を示していきたいと考え、思っている。日蓮正宗ほど素晴らしい宗教はない。

「顕正会破折 Q&A」を読了

2019-10-21 12:53:44 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 昨日、寿海寺にてお会式があり、御本が御供物として皆に配られた。
 日蓮正宗法義研鑽委員会編による、「顕正会破折Q&A」という御本だ。昨日の内に読んでしまった。
 顕正会という団体は、国立戒壇の事や、日蓮正宗が御遺命に違背しているだとか、実に事実に反した事柄に猛烈にこだわる集団だという事が、この本を読めば分かる。全くもって話にならぬ。正直、面倒くさくて、余り関わり合いにはなりたくない気持ちが半分、しかし、理路整然と文証理証現証の三証をもって反論し、彼らの目を覚ますには、この御本の内容は打って付け、大変勉強になった。
 今日日、顕正会などに入っている人々は、日蓮正宗のみ教えからは遥かに遠ざかり、自分らでは進んでいるつもりでも、日蓮正宗法華講より十年二十年も遅れをとる、時代遅れの宗教だ。
 こだわっているのが、今はもう亡き正本堂とか、狭く切り立ち環境の悪い天母山(あんもやま)に戒壇を、とか、時代が昭和で止まっている。それもこれも、会長の浅井昭衛がおじいさんで、昭和の古臭い人間、胡散臭い昭和のペテン師だからだ。
 この御本は、顕正会員自身にも読んでもらいたい。むしろ、顕正会の人の方がこの本をかぶりついて読みたくなる本じゃなかろうか。
 消費税込み350円。大日蓮出版。

台風19号、郡山市にもたらした甚大な被害

2019-10-17 09:24:54 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
 土曜日から日曜深夜にかけての台風19号の惨禍。学者の武田邦彦氏は、百年に一度の大災害と言った新聞記者に対し、言い過ぎだと仰っているが、被害は狩野川台風には及ばないが、およそ十年に一度クラスの台風だったんじゃないでしょうか。
 土曜日の夜は、雨が叩き付けるように降り、怖いの一言。それに携帯のエリアメールの連続受信のけたたましい音が拍車をかける。
 郡山全域が避難勧告のメールだったが、うちは幸い、郡山でも土地の標高が高い部類の所にあり、避難はしなかった。
 本当は避難したかったが、正直避難所がわからないという手際の悪さ。大体の避難する場所はわかっているが、それが野ざらしの公園だったり、今あいてるのかわからない小中学校だったり。
 何事も起きず、何の被害も無かったのが不幸中の幸いだった。
 今、市内は混乱を極めている。水没した箇所、福島交通などはバスが何十台も浸水してしまった。しかし、徐々にではあるが、落ち着きも取り戻しつつある。
 本当に郡山市全体が大変な目に遭った台風被害であった。

創価名誉会長、池田の変節について

2019-10-14 12:52:00 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 昨日、日蓮正宗無量山寿海寺にて、御報恩御講があり、御講終了後、勉強会となった。最後の締めは御住職様の池田大作の変節についての講義だった。
 創価学会名誉会長の池田大作は、会長就任挨拶の時の、日蓮正宗を外護し、守り抜くと誓った辺りは本当に日蓮正宗信徒としても立派な挨拶であった。
 ところが、何十年か経った今では、言ってることが180度まるっきり違う。とても同じ人の発言とは思えない。
 私は質問した。何故、池田大作はこうまで変節したのか、と。
 Bさんが答える。池田大作を宗教家だと思ってはいけない、彼は宗教家というより寧ろ、ペテン詐欺事業家、質(たち)の悪い土建屋の親分みたいなものだと。
 何しろ、戸田城聖氏の下で、池田は大蔵商事なる金融業(今でいうサラ金業者)で、外交を担当し、病人の布団を取り上げ持ち去るなど、かなりの借金取り立てを手掛けていたという。
 その意味で、宗教に入る人は元々純真無垢な人が多く、ただでさえ騙されやすいのに、若者相手に、時には池田自ら宴席を設けて誑(たら)し込む等、いとも簡単に人を騙すのが得意な口八丁手八丁の人間だったのだと。
 そして、池田自身慢心を起こし、増上慢となり、どんどん学会を違った方向へと変えていった。実に鮮やかに詐欺師そのままに振舞った。こんな池田のような男を長に頂く創価が哀れである。
 御住職様は、学会自身にも問題があり、ある学者の説として、悪人を持ち上げる風潮がどの組織にもある、という。昔、江戸時代に、ネズミ小僧と言って、ボロ儲けした金持ちの屋敷に入り、金品をせしめる。それを江戸中の庶民が拍手喝さいを送った例などを挙げ、実際は悪い事、盗みをしているのに、それが逆に一般大衆にとってはガス抜き、歓迎されてしまう事を話された。
 皆一同、笑いに包まれながらも、池田以下、学会の日顕上人への罵倒の数々を見聞きするにつけ、そんなに宗門を、以前から嫌悪し見下したかったのかと、正に増上慢、慢心、傲慢な池田大作以下幹部から末端に至るまでの学会員達の不信の根深さに戦慄を感じて、勉強会はお開きとなり、帰路に着いたのであった。

日蓮正宗の先輩方からの御恩

2019-10-09 16:27:40 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 日蓮正宗へ入信して、この弱輩なるわたくしめへの至れり尽くせりの育成の御恩は、筆舌に尽くしがたい程、有難い。徹底して私を一人前の信徒としてみんなで育てていこう、とする熱意を感じせしめる。語るも涙、感じ入る。
 こんな愚鈍な私にも、実に簡単明瞭に種明かしのように日蓮正宗万般の事を労を惜しまず教えて下さる。それは畏れ多く、かしこまり只、感謝である。
 日蓮正宗の皆様方は、創価学会とは違い、皆、親子、兄弟姉妹、家族のように接して下さる。創価時代は、だれもここまで親切にはしてもらえなかった。日蓮正宗の暖かさを感じるひとときだ。
 いつだったか、日蓮正宗機関紙「慧妙」か「大白法」にも書いてあったが、体験談で、顕正会だか創価にいた人が驚き胸を熱くし感動したのは、ある日、集まりで使う書物を忘れた体験者が、その場で隣の人が見かねて本を見せてくれて二人で一冊の本を正に分け合うように読ませて頂いた事を、邪教だった時はそんな事は一度もあり得なかった、と感動の体験を語っていた。
 日蓮正宗の人々は、正に情けを人に施す時、さりげなく、しかし、人々が感動を呼び起こす程自然に、何気なくする。そこがまた、感動に感動を呼ぶ。決して邪義邪宗では出来ない、自然に仏の子供として人に親切にして振舞う。
 日蓮正宗の人々は、振る舞いそれ自体が仏を体現していると言える。それは私より年上の人に限らず、年齢が私より下でも、本当に弱輩の私を助けて下さる。こちらが申し訳ないと思う程だ。私も大いに見習い、御恩返しをし、困っている人がいる時には、何気なく助けてあげられる、大慈悲の人になりたい。

先生の世界のいじめ、子供にも波及するのは当然

2019-10-09 13:50:45 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
4教諭の後輩いじめ、同僚「リーダーいて言い出せず」黙認
読売新聞オンライン5223                
 神戸市立東須磨小学校の教諭4人が後輩の教諭にいじめを繰り返していた問題で、複数の同僚教員がいじめを知りながら、すぐに学校側に報告していなかったことが、市教育委員会への取材でわかった。いじめは昨年以降に始まり、同僚教員は今年6月になって初めて学校側に相談した。同僚教員は「校内のリーダー的な存在の加害教諭がおり、言い出せなかった」などとして黙認していたという。

ココがポイント
 いじめの内容は?                男性教師が昨年から無理やり激辛カレーを食べさせられたうえ、体にこすりつけられたほか、コピー用紙の芯で尻にみみず腫れができるまでたたかれていた。
 
 大人の教師先生方の世界でもいじめがある。子供の世界にまでいじめが蔓延するのは大人の世界の影写しだ。日本の陰湿な人間関係が今、問題となっている。
 まずは大人が範を示し、大人の世界から真っ先にいじめをなくす努力が必要だ。
 しかし、戦争も一種のいじめというか喧嘩なのだろうが、侵略はいじめだ。戦争ほか、紛争を無くす努力が必要だ。しかし、昔は先生と言えば、社会の鑑、見本のような人種しか先生にはならなかったのが、今は最低の部類の人種が教師をやっているようだ。世も末だ。
 昔の日本に戻れ、という積りも毛頭ないが、昔の先生方の爪の垢を煎じて飲ませたい位だ。

顕正会とは、いかなる団体なのか

2019-10-08 15:22:55 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 十月一日付け、日蓮正宗機関紙「慧妙」を読むと、第一面は日顕上人御遷化のニュースだが、それ以降の面は邪教の動向が載っている。
 世間を騒がす顕正会という団体について、詳細に企み、謀りが載っているが、そこでは、顕正会員が、上意下達で、皆一様に会長浅井昭衛の言ったフレーズをオウムの如く繰り返すのみの気持ちの悪さが紙面から読み取れる。
 およそ、言った言わないで大騒ぎし、国立戒壇を建立せよ、それも富士山の天母山(あんもやま)に、と言う邪説を並べ、激昂する。一方的で、妄想気味の話のオンパレード。
 日興上人の棟札に天母山に戒壇を建立、というのも後世の偽作だと判明している。天母山という所も、狭く切り立った場所にあり、何と現在そこには火葬場やら浴場施設やら、邪教の宗教施設すらある。とても戒壇を建立する土地には相応しくない。
 しかも、国立戒壇とは、後世の時の権力、国会等が決めて国が建てるとするのが顕正会の主張だが、もしも権力者が代わり、正宗に反対する立場の人間が政権に就いたらどうなるのか。大御本尊もろともどう処分、御不敬されるか判ったものではない。
 とにかく、顕正会の主張は出鱈目、為にする主張であり、会長浅井の思い付きでしかない。数々の当たらぬ予言と共に、世を騒がせる、騒ぎ屋に担ぎ担がされた情けない者共が顕正会なのだ。

ご供養をさせて頂くー日蓮正宗信徒としての務め、戸田先生の教え

2019-10-04 16:49:58 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 日蓮正宗信徒として、ご供養は、大事な務めである。多寡に限りはないが、気持ちが大事だ。
 現在の創価学会のように、幾ら出したんだからその分返せ、なんて、慳貪でケチでみみっちい事を言ってはいけない。あくまでも、自分の手の内を明かさず、左の手の事は右の手に知らせず、これ位捧げたのだから、これ位戻って来ても良いではないか、という、対価を求めてはいけない。日蓮正宗に尽くし切った、二代会長の戸田城聖先生の御言葉。
「もともと、御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現わすものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない。」(『戸田城聖全集』第一巻六十二頁)
「いまさらいうまでもないが、寺ができたら、寺を大事にしていくことが第一。第二には、座談会とお寺参りとをごっちゃにしないでほしい。お講などのある場合には、お寺に御供養をする。寺になにか事があった場合は、入り口に白い紙をおいて御供養をするのです。たくさんとはいわないが、心からするように。
 これを始めにいっておかないと、いまだにやってない寺がある。お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障を消していただくためにするのである。」(『戸田城聖全集』第四巻五〇二頁)
「このまえ、大講頭という職名がお山に決まりまして、私も全国大講頭の一人になったんですが、お山へお金をあげたら、収支決算書を出せという大講頭がおった。それで私はけんかしたのです。ふざけるな!というのです。お山へお金を供養して、坊さんがどのように使っても、使ったほうの罪で、出したほうの罪ではないですから。(中略)だから、それはいかんといった。」(『戸田城聖全集』第四巻四八五頁)
「それで、寺ができた以上には、今後は私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山に尽くすことはあたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。
いいか、もう一度いいます。折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山へのご奉公は、あたりまえのことなのです。それをしたからって、なにもえらいのではないのです。」(『戸田城聖全集』第四巻二三七頁)
 誠に正論と言わざるを得ません。戸田先生のお言葉が、耳朶に染み渡るようです。


キリスト教の限界、什一献金の呪縛

2019-10-04 16:39:59 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 キリスト教には、月に全収入の十分の一を神のものとして教会に差し出す什一献金という教えがある。イエス自身も「勿論、什一献金も大事だが」と言い、聖書にも十分の一を捧げる記述があちこちに見られる。
 これは、高額所得者よりも低所得者に厳しいものだ。一か月に一千万円の収入の人が百万円払うのと、十万円収入のある人が一万円差し出すのと、重みが違う。一千万の人は残り九百万円残るが、十万の人は九万円しか残らない。
 じわじわと貧乏な人たち程ジリ貧、苦しい家計となる。
 神の言いつけだからといって、こんな無法な話はない。日蓮正宗ですら、月に一度、会費として一世帯、月に千円。これは強制じゃなく、機関紙「大白法」「慧妙」の二部の新聞代も含まれる。月に一回程度、ご供養がお寺ではお気持ちで結構です、と千円二千円でも気持ちで払う位で、勿論自由で、払わない人もいるし、強制されてはいない。日蓮正宗はお金に汚くなく、スマートなのだ。
 キリスト教は、天国に死後行けるとばかり、天に宝を積むの甘言でえげつなく金を集め、その什一献金の呪縛たるや、如何ともし難い。
 正に守銭奴宗教の面目躍如だ。金集めのシステムが、キリスト教程徹底したものはない。
 ここにも、キリスト教の傲慢、限界が見えるのである。

母の介護時に気付いた事

2019-10-03 10:17:56 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私の母は今は介護施設にいるが、うちにいた頃は、何が何でも健康でいてもらいたいと、病院からもらった薬を十種類位飲ませていた。
 すると、暫くして、母の体は前にうつ伏せの突っ伏した状態になり、その原因はわからなかった。
 老人の精神科の病院に入院する事になり、そこの先生がうつ伏せの原因が薬にあると直感し、断薬する事にした。
 母の姿勢は又前のように元通り、治った。しかし、入院中に車椅子の使用を強制された為、歩くのが困難になった。
 薬は、認知症薬、骨粗しょう症の薬、尿の出をコントロールする薬、等々であった。
 これらを全て、すっぱりと飲まなくした。今は介護施設に母は移ったが、それを継続中だ。
 車椅子に頼る生活になってしまったので、複雑な心境だが、母の体が異様に突っ伏していた状態から解放されたのは収穫であった。
 故に、高齢者に薬を飲ませているご家庭で、お年寄りが何らかの支障をきたしている場合は、医師と相談の上、薬を止める、or減らすのもいいかも知れない。強制は出来ませんが。