Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

御法主日顕上人猊下御講義集

2021-06-30 20:23:43 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

平成七年度(第一回)法華講連合会夏期講習会での日顕上人猊下様の御講義集を今日、読み切った。
講習会に参加しないで、このテキストだけを読みたいと思ってはいけない。やはり、行が主体で、行の所に学が自ずから具わる、と仰る。
「行学の二道をはげみ候べし」(諸法実相抄 御書六六八頁)
私はこの本をある高齢の方から頂いたので、恥じ入るのみ。
当時、定価550円で売っていた。編集、大白法編集部。発行者、日蓮正宗法華講連合会。

顕正会の本尊はニセ本尊、現代日本の問題児

2021-06-19 10:33:11 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 顕正会では、今積極的に幹部以上各拠点に日寛上人の本尊を設置している。
 この日寛上人の本尊は、ニセ本尊だ。
 うちにも母が昭和三十年代に日蓮正宗創価学会に入信しており、その時の御本尊が日寛上人の正真の御本尊様であり、うちでは長らく礼拝してきたので、その相貌が手に取るように判る。
 まず、顕正会の本尊は日蓮正宗のものに比べて少し水増ししたように大きいサイズ。周りの縁の色も、ケバケバしい程金色を使った赤っぽいオレンジだいだい色の代物であり、正宗のは現在の日如御法主上人猊下の御本尊にも踏襲された茶色っぽいような色合いであり、全く違っている。
 しかも、昭和三十年代の御本尊となれば、相当色褪せていて、大部御汚れしている筈。うちにあった御本尊も、一度お寺に持ち込み、数万円で修復して頂いた。紙が今は中性紙を使うが、当時は酸性紙が使われていたので、どうしても赤褐色にくすんでしまう。
 それが、顕正会の本尊は、最近作ったのかと思う程、真っ白で新品同様だ。どう考えても、ニセ本尊と断定せざるを得ない。
 元々、顕正会会長の浅井昭衛のうちは印刷屋であり、ニセ本尊を作るなどお手の物である。
 浅井は、日蓮正宗を擯斥除名処分となった元僧侶から、日寛上人の本尊を数百体頂いた、とうそぶくが、昭和の頃から現在まで、現在二百万に増えたと称する顕正会の全国各拠点は数百では済まない筈。それらの説明は一切、浅井の口からは出てこない。
 そんな顕正会に属し、騙され、罪業を積んでいる顕正会員が哀れでならない。
 これが、今の日本の異流義、新興宗教の類の跋扈(ばっこ)する現状である。正法に背き歯向かい、この国が色々問題を抱える根源がここにある。

創価の軽薄さ、起死回生の正宗への気付き

2021-06-09 19:21:47 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会では、日蓮正宗を日顕(上人)宗と呼び、日顕上人が亡くなった現在でもそう呼び、口汚く罵り、その瞬間は、人格が一瞬で変容した頭破七分の人格破壊が疑われる。
 そう言う私も、数年前までは、日蓮正宗ではなく学会に属していたので、恥ずかしくおぞましいが、何度か日顕上人様を罵倒した事もある。
 動画サイトユーチューブの中で、樋田昌志さんは一度でも御法主上人を呼びつけにしたならば、一回ごとに地獄へ行くと覚悟して、罪障消滅の祈り、自行化他の信心を大事にしなければいけない、と仰っていた。
 問題は、御法主上人猊下を一度は学会も尊崇していたはずなのに、一度破門の憂き目に遭うと、以前の指導が逆さまになり、180度反対になってしまう、その教えの軽さを嘆く。
 私は、以前、学会関係の書籍を読んでいて、学会が宗門、特に御法主上人猊下を敬う文章が殊の外、好きだった。自然の発露と言うか、自分から進み出て、聖なるもの、権威のあるものにひれ伏す、何とも言えない心地良さがあった。
 それが今の創価は、それを奴隷根性だ何だと、それは口を極めて罵る。自分の築いてきた美学を打ち壊し、仏法破壊に走った在家団体新興宗教教団創価の旗揚げとなり、創価の値打ちはマイナスに陥った。
 私は、以前、創価に居た頃は、いつか必ずや創価自身が気付き、日蓮正宗とまた仲良くなって欲しい、と願ったが、学会幹部に文化会館へその事で直訴した事もあるが、そうはならない、向こうが謝って来てもどうなるか、大御本尊?それよりも各家庭の御本尊、日寛上人の(ニセ)本尊があればいい、大御本尊は本山に所有権があるから手は出せない、それならそれでいいじゃないか、と言う指導であった(今から二十年位前)。
 私の父の眠る菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺に赴き(十年位前)、御住職様が不在で、奥様が出迎えられた時も、奥様は、今の学会と、御宗門が仲直り、それはない、日潤総監も有り得ない事と仰っていたので、ありません、と無碍な返答。
 今の学会と正宗は、相当な亀裂が走り、和合は無理だな、とだんだん私は実感しだした。創価と宗門がこじれた、あれから三十余年。時間だけが過ぎ去り、人も変わり、時代は移り変わっていた。
 後は私の考え一つ。創価を辞めて、日蓮正宗に帰伏する。
 お寺の方でも、私が父の納骨料を払いに訪れると、チャンスはあったのだ。
 ある日、私が一年に一回、お寺に訪れると、御住職様が対応され、袈裟衣を着られた御住職様は、私に合図して、今から本堂で勧誡しましょう、と軽いノリで言われた。
 私は「それをしたら、私は創価学会を辞めなければならないのでしょうか?」と聞くと「勿論!」と御住職様。私は「それはまずい」「どうして」。
 私は返答に困り、今日は納骨料を納めに来ただけですから、と言い、その場から逃れるのに必死だった。
 今から考えると、何を迷っていたのか、どうして早く踏ん切り付けなかったのか、疑問もあるが、お寺では私の決断を、今か今かと待っていたのだ。
 私はその後、年末に交通事故に遭い、二月に死ぬ思いをして、毎年お寺に納骨料を払いに行っていたが、その前の年はとうとう払っていない事に気付き、納骨料を払う為と、うちにあるニセ本尊をお寺に叩き付け、新しい御本尊様を頂けるならと、その一心で遂に打って出た。眠い目をこすり、お寺に自転車のペダルを急いで漕いだ。
 そうして今の私がある。今は、あの、澱(よど)んだ創価時代とは見違える程元気になった私である。全ては、大聖人様の手の内にあったのである。

朝の唱題行

2021-06-04 18:40:57 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 郡山市の日蓮正宗のお寺、寿海寺では毎朝十時から南無妙法蓮華経のお題目を一時間唱える唱題行が行われている。
 私も時々参詣するが、私の不徳と致す所、いつも遅刻してしまう。
 しかし、自由な参詣がお寺のモットーであり、叱られる事は無い。
 お題目を唱えた後は、御住職様の御説法を、学習会として、日蓮正宗の御本の一節を読み上げた後、拝聴する。
 御住職様のお話は、人生の事、人の生き様、世の中の情勢、邪宗教の邪またる由縁など多岐にわたる。創価学会の過ちについて触れられる事も多い。
 この間は、また私は遅刻してしまい、とうとう叱られるか、と観念して、御説法の後、「○○君(私の事)」と御住職様は一言いい、何かな、と思えば、
「今は三密にならないように、二メートル以上人との間を離れなければいけない事になっている。けれど○○君はI本さんとO合さんのど真ん中に座っている。親しいから、二人の隣に行きたい気持ちも解るけれど、決まりは守らないといけません」と言われ、私も距離を取って座り直した。
 二人は離れて椅子に座っていたが、私はその間に正座をして座ってしまったのだ。
 「済みません」と私は言い、最後の題目三唱をして、散会となった。
 これは私に非があったが、皆さん何もなかったように、挨拶を交わし、私も一言二言、話をして、帰ってきた。
 G前講頭さんは、御住職様からご注意を受ける事はいい事だという。自分の誤りを知り、直すきっかけになる、何より、それが仏法上も良い事なのだと。
 修利槃特《すりはんどく》尊者 という仏弟子が釈尊には居た。しかし、物覚えの悪いすりはんどくはお経も、自分の名前さえも覚えられない。そこで、釈尊はすりはんどくに掃除のホウキを持たせ、庭の掃除をするよう言い聞かせた。
 すりはんどくは毎日掃除をした。そして数十年後、すりはんどくは、自分の心のチリを払う如く、掃除をすれば自分も周りも幸せになる、と悟った。釈尊の狙いもズバリ、そこにあった。
 私も、すりはんどくのチリを払うのが自分の心の汚れを払う契機になった故事に習い、毎日一日一ミリでも善行を積んで行こうと思う。