Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

池田大作の陳腐さ

2018-05-28 22:26:07 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
池田大作は、以前、創価学会の同時衛星中継(同中)で、大勢の青年部、幹部を前にして、勤行のお経で、寿量品長行の中の一節をたとえに出したが、その場の誰も彼もがきょとんとしていて、分からない様子でいたので、「え、わからないの?でも良かったねえ、お経が方便品自我偈に短くなって、本当に良かったねえ。万々歳だ!」と言って、懈怠の、省略され、尻切れトンボのように五分間で終わる創価の勤行を喜んで自慢にもならぬ自慢をしていた。
 今から思うと、自身の勤行嫌いを、勤行時間0分で鳴らせた池田三代名誉会長の自分の怠け心を、全会員に押し付け、皆を、「ミニ池田」に仕向けんが為の、用意周到、と言うか、ただ単に、自堕落で、創価の集団堕地獄、功徳など何もない虚ろさを露呈していた。
 それと、第六十七世日顕上人から、現御法主第六十八世日如上人へと代替わりした時には池田大作は「今の現法主は、日如(上人)か?代わったか。大したことない、元は日顕(上人)宗だ。」と言って、現宗門、日蓮正宗の御法主猊下様を誹謗し、何とかこき下ろしたくて仕方のない池田の無様な姿をその衛星中継で嫌になる程、聞き、見せつけられた。
 当時、聖教新聞を取ると、中の何面かには、紙上座談会と称して、男子部・青年部・女子部・婦人部等々が、皆で日顕(上人)宗と言って、散々ぱら、けなして非難・批判し、この世の言葉でも最もおぞましい言葉で呪い殺す(正に!)と言って良いほど、汚らしい言葉で日蓮正宗を誹謗していた。
 私は、あの全面記事を読むのが当時から嫌いで、物の数行で読み飛ばしていたが、何でここまで以前いた宗門を呪っているのか疑問もあった。しかし、学会員として、それに少しは賛同する私もいないではなかった。何も創価学会に恩などはなく、創価学会も、その教えの大半を日蓮正宗教学に頼り従っていたのだから、正宗に恩を感じこそすれ、それを撥ね付け、刃(やいば)を宗門に向けて良しとする創価を疑う私も同時に居住・混在し、正に分裂気味の、頭破作七分の現証が出かねないような、その頃であった。
 みんなで池田大作を盲信し、付き従い、付いて行ったが故の、正に堕地獄の姿そのものだった。私も、当時の創価のうちの周りの人々も、何も功徳などなく、現罰業罰ばかり出て、肝臓ガンで死にそうになっても何一つ疑わずにいつも肝臓が悪いので真っ黒真っ茶色の顔色をした学会員を私は知っている。
 すべての始まりは池田大作の同時衛星中継による謗法スピーチにあった。あれさえなければ、あの池田の軽はずみな言動さえなければ、未だに創価学会は、日蓮正宗宗門と手を取り合い、協調出来た。すべては池田、池田、池田の傲慢さ、増上慢の虜となった情けない男、池田に原因がある。何でこんな変節・陳腐な男がこの世に出て来たのか。
 以前から、日蓮大聖人も、戸田第二代会長も、敵は内部だよ、内部にあり、と言って警戒していた。正に戸田門下生の内部の中から、池田なる謗法まみれの極悪人間が出来(しゅったい)してしまった。
 池田は独立へのチャンスだと企み(たくらみ)、まんまと成功。池田教の教祖となり、配下に持ち上げられ、裸の王様状態。
 池田なる人物によって、創価も塗炭の苦しみを味わい、日蓮正宗にも被害が及んだ。もう、この悪循環を断ち切るのは、日蓮正宗法華講による、地道な折伏・育成に過ぎたるものはない。創価学会員達よ、早く、一刻も早く、日蓮正宗の法門の、各寺院に駆け込み、門を叩いて、大法の救いを求めて欲しい!。今こそ、直ぐ(すぐ)に!。

茨城県下館への旅

2018-05-28 15:06:40 | 旅程。旅行記。時間旅行。ちょっとの外出。旅立ち。墓参等含む(高野悦子女史等)。
 2003年、今から十五年前、うちの三台目の三菱ミニカで、郡山から、はるばる茨城県は下館市へ、母と旅行した。
 携帯をその時たまたま持っていて、旅館と連絡を取った。下館のカワチに寄ったが、公衆電話はなかった。
 そこの旅館で、朝起きてテレビを見ると、千葉テレビと言う放送局で、キリスト教番組が目白押しで流れていた。それが運の尽き。それを見て感化を受けてしまい、当時創価だったが、邪教キリスト教に数年間染まってしまった。
 本当はその朝に、下館から石岡まで行くつもりだったが、余りに遠く、取りやめた。
 帰りは、栃木県を迂回して、宇都宮を通り帰って来た。
 夜の下館は、パチンコ屋の前を通ると、空に向かって細いレーザー光を差し向けていて、車の量もやけに多く、物騒な街の感じがした。
 その時、写真機を持って行かなかったのが不覚だった。
 もう十月を過ぎ、福島県は郡山の我が家では虫の音は聞こえなかったが、現地は盛んに鳴いていた。
 あの頃は、我が家も車を買いたてであり、母も達者で、楽しい旅だった。

「わかりやすい創価学会の誤りー創価学会の皆さんへ」を読了

2018-05-23 17:00:13 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 「わかりやすい創価学会の誤りー創価学会の皆さんへ」を読了した。創価は教えが、三代池田でコロッと変わってしまったのが残念。池田一人で破門、転教するならまだしも、多くの会員を率いて堕地獄へまっしぐらと、狂いに狂ってしまった。
 池田サンの言葉も軽い。同じ異流義の正信会が日蓮正宗から出て行った時は、こぞって日蓮正宗側として非難していたのに、自身が破門されるや、まるっきり正反対の、正信会の上塗りをやっている。自己矛盾・自語相違の最たる宗教が創価だ。
 戸田先生始め、歴代の会長が、今の創価、三代目の池田大作及び現執行部を悲しみ、お怒りになっているに違いない。

戸田城聖全集第一巻を読了

2018-05-12 20:26:57 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
半月程まえに、「戸田城聖全集第一巻」を読了した。戸田先生は、優しい平易な言葉で語られ、慈愛溢れる物腰で実に分かり易く、歯切れが良い。
思えばこの頃が、創価の最盛期、一番おいしい季節であった。その後の池田は、日本・世界で膨張路線を取り、最後は日蓮正宗を裏切り、日蓮正宗でないものを日本全国、世界に売り歩く羽目となった。
私は、創価よ、池田大作よ、戸田会長の原点に帰れ、狂ったその教義を改めよ、と声を大にして言いたい。

トップカスタマーレビュー

福島のあまっこ
5つ星のうち5.0
戸田会長の滋味溢れる言葉、今は市販はされてはいない
2018年4月2日
Amazonで購入
 今は創価学会では公式に販売はしなくなった戸田先生の全集。今は学会員よりも日蓮正宗の人々に戸田先生の遺訓が受け継がれた感がある。
 この本は、前半が巻頭言、後半が戸田先生の和歌が散りばめられています。総本山富士大石寺に行った時、戸田先生建立の大講堂の前に戸田先生の和歌の石碑が掲げられていますが、「妙法の広布の旅は遠けれど 共に励まし 共に征かなむ 昭和三十年」との歌が、日淳上人の揮毫と共に、御法主猊下を気遣い、戸田先生が身を低くして、控え目に署名なされていました。
 その和歌も、この本には載っています。昭和の、創価学会が宗門と手を取り合い、協調して折伏大行進の大号令の下、突き進んでいた時代を彷彿とさせる、昭和の香りのする本です。

自分の中の、言わば、浄土真宗の傾向性

2018-05-09 15:08:07 | ペット、犬、猫、鳥、動物、生き物・自然界・畜生界のもの共他
私のおばあちゃんの実家が浄土真宗で、おばあちゃんは日蓮正宗創価学会だった。
 その家系なので、当然、私も浄土真宗の罪障が横たわる。
 私の幼い頃、虫を良く殺した。中でも、足を無くしたりした身体障碍のカブトムシを見るのが無惨で痛々しく嫌で、私はわざと命を奪ったりした(正確には、その虫を外に捨てて来た)。酷い無慈悲の、人の風上にも置けぬ私である。
 一生懸命に生きている虫。そのもがくように苦しむ姿が苦々しく、ちょうど浄土真宗の傾向性が日蓮正宗の樋田昌志さんのホームページの片隅に、各宗派の傾向性のページがあるが、そこの浄土真宗のところには、衝動的破滅的な行動に走りやすい、何事にも悲観的、といった項目が列挙されていた。
 私も御多分に漏れず、これらの項目にピタリと符合する。うちにはラッキーと言うシェルティー犬がいた。
 私は犬の彼女が死の間際、苦しむ姿を見たくないばかりに、お風呂場の仕切りに犬を隠し、苦しむ声も姿も見えないようにした。
 しかし、母は一人、それではラッキーが可哀想だと、犬を人の面前に連れ出し、皆に見えるように犬を置いた。
 ラッキーも安心したのか、苦しいが、そんなに前よりも痛がっている風には見えなくなった。
 その日、ラッキーは家族に見守られ、眠るように亡くなった。母も私も、悲しむよりも、その日一日をいたわり合った。
 私は、実に無慈悲な人間だと思う。これらの一件を思い出す度に、そう思う。それを、一概に邪宗教のせいばかりにしてもいけないが、ピタリと当たるそれら教えに、日蓮正宗の正統、真の確実なみ教えに、戦慄と共に、安心安堵の大確信を抱くのである。

母の半介護、毎日が何かと慌ただしい

2018-05-09 13:20:46 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
毎日、と言って良い程、母の関係の福祉の人達が我が家に来訪していく。
 毎日毎日、とっかえひっかえ、人が出入りするので、かなり人疲れする。
 一年前に比べて、私はかなりの自由を奪われ、失われた。お寺の信徒の先輩のS楽さんなどは、世界で一人だけのお母さんなんだから、おかあさん、おかあさん、と言って慕っていって、お母さんを大事にしてね、と仰っているが、これ以上、母中心の生活が強まり偏れば、私の時間が完全に無くなる。限界なのである。
 福祉関係の人達は、うちの家計をも見ては探り、お金の使い方まで指導、指図していく。プライバシーなんて、どこの世界の話なんだろう。私は、一年前の、あの幸せだった日々を思い起こし、夢見るようになった。
 思えば、自由にお寺に行けて、自由にハーモニカを習っていたあの時が一番の幸せな日々だったのだ。去年の暮れ辺りから、母が栃木の那須塩原市、黒磯鍋掛に行きたいと何度も入り浸るようになり、その交通費他で我が家は火の車になり、年末年始の母の腰痛、ギックリ腰、今年二月の家の前での腕の骨折等々により、不幸な今に至る。
 思えば、これは母の宿業だと思う(私の宿業もあるだろう)。去年の十一月の大石寺の大御本尊様のお目通りの時、母は、あろう事か、狼藉の限りを尽くした。曰く、お数珠をふところに仕舞い込み、一時的に失くす。その場で売店で買ったお菓子を食べようとする(私がすんでのところで制止)、しまいには居眠り。余程退屈だったのか、私は連れてきた事を大変、後悔した。
 それ以来、母の過去世現世で積んだ宿業因縁がかなり出始め、大石寺から帰宅数日後、倒れそうになったり、今年の二月十六日の日蓮大聖人の御誕生日に母の骨折だから、現罰が出たんだと思う。自業自得だ。
 もう、母の余りに身勝手な我が儘に付き合うのも疲れて困り果てている私がいる。さりとて、私が看ないで、母一人子一人のうちの母を誰が面倒を看るというのか。
 二十年前の、98年当時の母が写った写真が偶然、出て来た。その中の写真には、綺麗で若々しく、今とは別人のような母が写っていた。わずか二十年でこうも人の姿、性格、物腰が変わるのか。時間とは、余りに無慈悲じゃないか。
 今では、家で起こす母の突飛な行動に、おっかなびっくりで対応する私。毎朝、大量の、母の洗濯物の始末に戦慄している。以前のブログ記事でも書いた通り、母と言う爆弾を抱えて、生きてゆかねばならぬジレンマ。誰かに助けを求めても虚しい。だから、私は御本尊様にお頼みする。今のこの苦を、出来れば取り除き給えと。
 
 余り深刻になっても自分が惨めなので、表向きは笑って過ごす私なのでした。

再び、池田創価学会VS法華講、問答ダイジェストvol.2を読み切る

2018-05-07 18:30:53 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 お寺の学習会でも使った資料の本、「池田創価学会vs法華講、問答ダイジェストvol.2」(慧妙編集室編)を再読した。
 この本で、去年の夏頃は、お寺で使用していたので、懐かしく読んだ。
 全体にヴォリューム1よりも、何とはなしに日蓮正宗に理解をもって臨み、見事な手際で日蓮正宗に折伏されていく創価学会員の姿が後半目立つが、どっちが正しいかは、火を見るよりも明らか、創価に非があるのは明らかなので、こういう風な結末になるのが本来の姿だ。
 創価は、明らかにボタンを掛け違え、間違いを犯している。どんなに言説を弄しても、邪は邪でしかない。その事実に創価自身が一日も早く気付き、荒野に一人立ち、考え、過ちを改めるのに躊躇せずに、自分の道を正して欲しい。自分の限り有る、一生、人生なのだから。創価の皆さん、創価を辞める時は、今をおいて他にありません。

「折伏の意義と心得」を読了

2018-05-02 20:26:14 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 法華講員育成叢書 七、「折伏の意義と心得」小川只道御尊師 監修。理境坊所属妙観講・講頭 大草一男 述者。暁鐘編集室。
 自分でも一冊お寺から買い求めていたが、去年の十一月の御講の時にお寺で一斉に信徒に配布され、我が家ではこの本が二冊もある(笑い)。この本を用いて去年は妙観講との合同折伏の学習資料として使った。
 その場では一部分のページのみの学習で、全体像は掴めなかったので、今回、私自身の独習で本日、読み切った。
 折伏への勇気が沸々と湧いてくる。実に理論と体験と実践に向けた試みが述べられる。非常に分かり易い。
 ただ、これを読んだだけで実践しなければ駄目で、実行に移さなければ、絵に描いた餅となってしまう。言うは易く行うは難し、を実感する。
 大変に折伏に勇気付けられた御本となった。