Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

御本「日蓮正宗の行事」を読了

2018-10-27 19:48:06 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
本日、日蓮正宗布教叢書1「日蓮正宗の行事―やさしい解説―」を読み終わった。
 日蓮正宗の年中行事が事細かにコンパクトにまとめてあり、一年間の、正月から年の終わりまでの行事、後の二編は丑寅勤行と塔婆供養の大切さが説かれた小編が続く。
 この丑寅勤行は、私も参加したが、感動に満ちていた。日如御法主上人猊下様の読経から始まり、その引き題目の長い事長い事。二分以上唱えていた。
 この日同行した同心の方によると、引き題目で一番長かったのは日達猊下、三分間を優に超えていたとか。日顕上人猊下様は意外と短く、一分少々、と猊下様によって個人差があり、その方は丑寅勤行でいつも腕時計で時間を計っているのだとか。
 塔婆供養も大事だとこの本には説かれていて、亡くなった方々は供養を切に待ち望んでいると言う。この甚深の教えは一言で言えるものではなく、誠に深く古く神妙な言い伝えがあり、大聖人様も御書の各処で塔婆供養の大事を語っている。
 お寺で経験する年中行事は、全て総本山大石寺の仕来りに則って執り行われている。正に七百年を優に超す伝統宗教、日蓮正宗ならではの行事が詰まった御本であった。

一時代を築いた、創価学会、という季節

2018-10-23 21:22:17 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
同信の方と話した。創価学会だった時代は、今ほどお寺の行事も多くなく、お財布の出番も少なかった。池田会長の時代は、総本山へも服装がそれ程言われず、自由な時期もあったと。
 別の同心の方は、池田会長も、最初から間違っていた訳じゃなく、初めは日蓮正宗の外護に熱心で、途中からああなって間違ってしまった、と。
 少し前の僧俗指導会では、遠くから来た御僧侶の方が、もう創価学会時代の事は、綺麗さっぱり、洗い流して、忘れましょう、と仰っていた。
 考えてみると、魔性の嵐が、創価学会、池田会長の脳裏に吹き荒び、狂わせた。そう考えると、魔の一念程、コワイ物はない。
 私共一般信徒だって、一念の歪み、一念の狂いが全くないか、日ごろから気にかけ点検した方が良いのかも知れぬ。一宗教の長が、あーなってしまう程、依法不依人、法に依って人に依らず、を守らない為に、いとも簡単に狂ってしまうのだから。
 ユーチューブで、池田会長が司会を務め勝利した日蓮宗身延派との法論を聞き、何一つあやまたず、池田氏の日蓮正宗の信徒として振る舞い、日蓮正宗の教えを通す姿を聞き見て、今の創価学会では、残念ながら、大御本尊を否定した今ではこの時のような勝利は望めない。
 教学上、今の創価は身延に勝てないと思いつつ、創価の変質化、変貌、暴走していった過程は、悪の道へまっしぐらと落ちていく創価の悲劇の序章として、池田氏Xデーのその日には、後世まで語り継がれるのかとも思う。日蓮正宗一信徒としても、誠に残念だ。
 今となっては、指導会の御僧侶の言うように、創価時代は、もう忘れないといけない。あの頃は良かった、等と思う方が、魔にやられた姿なのだ。
 ただ、トラウマ、心の傷の如く、創価の古傷が痛む気がする。いけないいけない、創価の事は忘れましょう。悪い夢を見て、うなされていたのだと、忘れましょう。
 この秋は、人を悲しく切なく、ただやるせなくさせてしまう。私は、あの夏の宿題を、ちゃんとその時までに片付けたであろうか。やり残しの宿題を片付ける時の物憂げな気持ちを今、なーんか感じる。
 今現在を生き切る、燃焼して生き切る、只今臨終、常在戦場、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(日蓮大聖人)との御金言を胸に焼き付け、今日をひたむきに生きてゆきたい。以上

星総合病院、キラリ☆オレンジカフェへ

2018-10-23 20:06:19 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
キラリ☆オレンジカフェへ参加してきました。
紅葉も深まってきました。
郡山駅。
ビッグアイとグリーンのどこでもドア。
のっぽビル。
星病院。
青空市場が開かれている。
キラリ、の会場。
コーヒー、お茶、お菓子を二百円にて楽しみました。
窓から外を見る。
朝方は青空ものぞいていましたが、昼過ぎから曇りがちになり、夕方は雨がぽつぽつ降って来ました。
今日はリハビリテーション科の長の方、心理士の女性の方、私共一般の男女三人で一つのテーブルを囲み、楽しく話しました。皆さん話し上手で、あっ晴れ、と感心しました。私は自分で、聞き上手にもなりたいと思っていますが、中々、相づちが下手なのかなあ、とも思いました。リハビリ長の方は、休みに山口県の方まで車で一日掛かりで回り、出雲大社を見てきたとの事。私は、写真で富士山を撮ったと言うと、その男性の方が、どうして富士山の方までいったの、と聞くので、私も負けずに、富士大石寺と言う、南無妙法蓮華経の大御本尊様を拝んで来たんです、と言うと、へえー、と皆さん不思議な顔をしていました。

楽しい一日が終わり、帰りの寄った場所でコーヒーを又頂き、今日の夜が眠れるか心配ですが、いつもの事ですから、ゆっくりうちで骨休めして、今はゆったりとコタツにあたっています。
別の席でY田R三さんと会い、握手して、今日は一緒に話せなかったけど、又会おうと話し、会場を後にしました。
秋は何か物悲しく、冬の冷たさがひしひしと近づくのを肌で感じ、あの暑い夏は何だったのだろうと、寂しくもあります。冬は、郡山に来て以来、余り好きじゃなく、苦手です。冬を楽しむには、何が必要なのでしょうか。暖かいお風呂、ふかした焼き芋、コタツでみかんを食べながら読む読書、後は何でしょうかねえ。
私は、季節を自分なりに楽しみたいと思いました。

今の世は濁世なり~今日の御講にて

2018-10-14 19:32:42 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
『聖愚問答抄』
 「今の世は濁世なり。人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修業も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(中略)今の世をみるに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし。』
 
 本日、郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺の御講に行って来た。本日の御講の参照御書の御金言である。
 ここで、「この時は読誦・書写の修業も」とあるが、御住職様のお話だと、日蓮宗身延派は、無理やり法華経二十八品全部を長々と長い時間読み上げていると言う。
 日蓮正宗では、大聖人様が、御書で法華経方便品と寿量品とお題目に限る、との仰せをひたぶるに守り、代々受け継がれてきた。それは、真の血脈相承、法水写瓶、唯授一人の法灯連綿たる、日蓮正宗第二祖、阿闍梨日興上人様以下、代々の猊下様お一人のみに御相伝あそばされた日蓮大聖人様の御教えを現代にも受け継ぐ我ら日蓮正宗法華講の信心の中にのみ、伝わっている。伝家の宝刀、正統性、正々嫡々の仏さまの子、使いが我ら、日蓮正宗の信徒なのだ。
 この「聖愚問答抄」の話の筋は、法華経を弘通する聖人と、道理に暗い愚人が、七段にわたる問答形式で構成され、儒教・律・真言・禅・念仏などの信仰を遍歴しつつ、聖人と巡り合い、様々な質問を繰り返しながら、聖人に破折・教化され、ついに妙法に帰依する姿を描いている。
 五濁悪世の時のこの世の濁りを劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁と表し、中でも見濁の中の見取見とは、劣っているものを勝れていると見誤る。この場合、創価学会は、自らを創価学会仏と名乗り、池田本仏を唱える。未来の経典には、創価学会仏と書かれるだろうと、どこの与太者の与太話なんだろうと笑止千万極まりない。
 新興宗教教団に成り下がった池田創価学会。これからどんな珍奇で出鱈目な自身に都合の良い教えが出て来ても、誰も何も不思議じゃない。あたふたと焦り、行くところまでゆくつもりなのだろう。御勝手に、とこちらも静観を構えるのみ。
 邪教創価を生み出してしまった日蓮正宗には責任はないのか、と問われれば、破門に付した経緯から、もうとっくに縁は切れた。ただ、正宗は親の立場から、出来損ないのバカ放蕩息子の創価学会各個人会員には善導の救いの手は差し伸べて遣わしている。それ以上、どうこういう筋合いなどはない。
 日蓮教団の歴史は分派の歴史。情けないが、これだけ多種多様な人々がいるのに、自分はその任にはないのに、正統性がないのに、自分こそが正しいと我見を張った者達の分派活動に端を発する歴史。キリスト教も似ているが、元をたどればカトリックが正統なので、今はカトリック教が、教えは厳しいが最大派閥だ。
 日本の日蓮教団でも、三大秘法の本門戒壇の大御本尊を掲げて、大聖人様直系の、歴代の御法主上人猊下様を旗頭に先頭に立つ、日蓮正宗こそがこの日本国の中でも、本来ならば横綱級、チャンピオンにならなければいけない。
 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」(「開目抄下」日蓮大聖人御書五七二頁)

オレンジカフェ☆キラリへ

2018-10-09 21:53:04 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
本日もキラリ☆オレンジカフェへ行って来ました。
郡山駅。
ビッグアイ。
高架下。
星総合病院。
キラリの会場。
まずはアイスコーヒーを。
結構熱いお茶を頂く。完飲み、とでも言いましょうか。
イオンタウンにて。
ある男性の方に無理を言ってY田R三さんが講演会に出たというのでY田さんから著書を頂いた。有難く読ませて頂きます。

「青春の門」「竜馬がゆく」第一巻を読了

2018-10-06 14:14:27 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
今年の四月位から、少しずつ読み進めた、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」第一巻、五木寛之著「青春の門」第一部 筑豊篇、を先週、読み終えた。両方とも分厚い本だ。
 司馬遼太郎のは、少しずつ竜馬の成長が窺え、これからが楽しみ。青春の門は、この年でこの本はないか、遅いか、とも思うが、若い頃読み込んでいなかったので、仕方がない。今が青春とばかりに読み進めている。
 私の読書の仕方は、何冊かを、一度に少しずつ、少しずつ同時並行で読み進めていくやり方。しかし、一話完結みたいでもあり、どちらがどっち、混ぜこぜに、何の本だか判らなくなる事も無い。学校で、五教科を各時間、カリキュラムに従って少しずつ進めてゆくやり方とおんなじだ。
 日蓮大聖人の御書も、これもまた少しずつ読んでいて、只今六百ページを突破中。大聖人の著作は、多くの活字でページを目一杯うずめていて、凄い情報量だ。しかも今とは違う古文体。でも同じ日本語なので、かなり言い回しが調子よく、昔の言葉は格好がいい。独特の言葉の世界を味わっている。
 私の秋は、読書の秋です。