uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


「主要3候補」ばかり取り上げる都知事選の報道は放送法違反!

2016-07-26 04:30:14 | 日記
31日の投開票日まで1週間を切った都知事選。

連日、「主要3候補」の動向が大きなニュースとなる中、

『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」

を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏は、

偏った都知事選報道のあり方に疑問を呈す!

* * *

都知事選の報道にはどうにも首をひねってしまう。


大量得票が見込め、知事選レースの上位に食い込みそうな

増田寛也、小池百合子、鳥越俊太郎の3氏を「主要3候補」と呼び、

その動向や政策を大きくニュースにする一方で、

残りの候補についてはほとんど触れない。

東京都知事選には21人もの候補がいる。

そのひとりひとりに都政への思いがあり、やりたい政策がある。

なのに、注目度の高い候補のみをフォーカスし、残りは黙殺する。

これほど失礼で不公平なことはない。


似た傾向は候補を招いて行なわれる公開討論会でも見受けられる。

告示日直前の7月12日、

港区・赤坂区民ホールで行なわれた公開討論会の登壇者は

小池氏、増田氏ら5候補のみ。

時間的制約を理由に議員や首長の経歴のある候補のみに限ってしまった。


これに怒ったのが都知事選立候補者の常連、

「スマイル党」総裁のマック赤坂候補だ。

彼は「自分も供託金を払っているのに登壇できないのはおかしい」と抗議し、

会場からつまみ出されるという騒動が起きた。

これは彼の主張に分がある。



候補者を注目度や経歴で「選別」し、

その扱いに差をつけるようなことは極めて不当だ。

特に「主要3候補」ばかりフォーカスするテレビ報道ぶりは異常だ。

これでは、ほかの候補はほとんど勝ち目がない。


本来は、日の当たらない候補の優れた公約を掘り起こすようなことこそ、

電波を占有しているテレビ局の責務であるはず。

テレビ局は恣意的な「基準」で「主要」かどうかを判断しているようだが、

そこにはなんの正当性も見いだせない。



基準自体が公表されていないのも問題だ。

3候補だけを特別に優遇するのは、放送法4条にある

「政治的に公平であること」という定めにも明らかに違反している。


もう一点、テレビ界に関して懸念を抱いていることがある。

知事選出馬検討を表明したタレント・石田純一氏の処遇だ。


出馬しなかったとはいえ、この意思表明によって

石田氏はテレビ出演がキャンセル扱いになったまま。

しかも、キャンセルは告示前から始まっていたという。

百歩譲って、選挙期間中の出演自粛までは認めたとしても、

もし選挙後も同じような状況が続くなら大問題だ。


放送法3条には

「放送番組は何人からも干渉され、又は規律されることがない」とある。

8月以降、テレビ局がスポンサーの意向や一部の世論の反応を過剰に気にして

石田氏の番組出演を認めないのならば、

「他者から干渉されて、石田氏を干した」ということになる。

それは放送法3条違反の行為そのものだ。


多様な意見を伝えることが、国民の「知る権利」の保障につながる。

それが放送法の趣旨だ。

その趣旨をテレビ、そして放送法の枠外にある新聞・雑誌なども尊重してほしい。


大手マスコミに“泡沫”のレッテルを貼られている候補について、

その動向や政策を詳しく伝えるべきだ。

政党や業界団体の推薦がない候補の政策は、

しがらみがない分、ユニークで実効的なものも少なくない。


そして、今こそBPO(放送倫理・番組向上機構)の出番だ。

今回の都知事選での各局の放送についてしっかり検証し、

問題点を明らかにして、改善案を打ち出してほしい。


●古賀茂明(こが・しげあき)

1955年生まれ、長崎県出身。

経済産業省の元幹部官僚。

霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して2011年退官。

著書『日本中枢の崩壊』(講談社)がベストセラーに。

近著に『国家の暴走』(角川oneテーマ21)



-週プレNEWS 7月25日(月)6時0分配信-










7月22日の私の日記

『カネもなければスタッフもなし 高橋尚吾候補の孤独な戦いに迫る』

の中で、古賀茂明氏の偏った都知事選報道のあり方に疑問を呈したのと同様、

『主要3候補』に絞った陥った報道への批判、

私なりに注目した私見をアップしている。




日本のマスコミに対する期待は過重なのか?

この程度の報道しかできないのは、

この程度の能力しかないから?


陥った報道に終始するのは、

注目度、話題性のみに、

安易に飛びつく報道人としての無能力者の習性なのかもしれない。


そこに事実の周知、啓蒙の志は欠片も見られない。

公平な主張時間を割り振っているNHK以外、

全部の民放が放送法違反だと指摘されても仕方ない。

その政見放送を実施しているNHKですら、

自局のニュース番組では、主要3候補に陥っている。


今回の都知事選に限らず、

国政選挙、地方選挙でも同じ現象がみられる。



注目度の高い話題に乗っかるのは容易い。

そうした取り組みも必要なのかもしれない。

しかし、それだけしかないというのはいただけない。



私がこのブログを始めた動機は、

新聞・テレビなど、報道の偏りを感じる事が多くなり、

その漠然とした危機感を、ネットなども使い、

ブログのネタ探しをするという

多様なニュースソースの中から選ぶ行為を続ける事により、

検証するためでもある。



自分自身も偏った意見の持ち主であり、

他人様の偏りそのものを批判するのはおかしいのかもしれないが、

重要なのは、多様な意見を表明する場を確保し、

人目に晒すことである。


自由とは多様性を尊重すること。



今の報道人たちには、その観点が決定的に欠けていると思う。


今小学校・中学校は夏休みに入ったばかり。


夏休みの宿題に、自由研究などがあるが、

小学生ですら自由な発想で、多様な取り組みを発表している。

大人になってそうした能力は枯渇したのか?


それとも、そうした能力の無かった者たちばかりが

マスコミの仕事をしているのか?


アンタたち、その仕事、向かないね。




朝鮮資本に乗っ取られた電通や博報堂など、

自由な報道の足かせとなる諸悪の根源の存在もあるが、

国や資本との戦いが本来のあなたたちの仕事なはず。

それができない単なる強いものの御用聞きは、この世にいらない。


権力との戦い、多様な意見の擁護、啓蒙。


それがあなたたちの使命だと私は言いたい。


あまり注目されない、

ネット記事の埋もれた姿が悲しいと思うオヤジが一句。






面白い  話題だけが   ニュースなの?





お粗末。