uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


【筆洗】~「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」~

2016-07-31 04:21:41 | 日記
四十七年前、米国の女子大の卒業式のスピーチで、こう語った学生がいた。

「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」。

ヒラリー・クリントンさん(68)だ。

民主党の大統領候補になり、

女性が米国の大統領になるという夢にまた一歩近づいたが、

敗れたバーニー・サンダースさん(74)もまた

「不可能にみえることを可能にする政治力」を見せつけた。

米政界にあって異端の民主的社会主義者で、

自他ともに認める「はぐれ者」である。

大統領選への出馬を宣言した時、誰がここまで躍進すると思ったか。

だが、彼はこう語っていた。

「大多数のアメリカ人は今日、はぐれ者なのだ」。

経済や政治のありようを決める過程から疎外され、

貧困と無力感にさいなまれる人々。

そんな人々を結び付け、

自ら声を上げるようにする選挙運動をくり広げられれば、

「私たちが誰一人、もはやはぐれ者ではなくなるように、

一緒に政治と統治をつくりかえることができる」

(『バーニー・サンダース自伝』)。

学費が高く、学生ローンを借りるしかない。

そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。

そんな若者らが彼の言葉に呼応し、大旋風を起こしたのだ。

サンダースさんは大統領選では敗れた。

しかし、「はぐれ者」旋風は米国のみならず世界に、新風を吹き込んだようである。


-東京新聞 2016年7月30日-










バーニー・サンダースさんは

日本ではあまり注目されてはいない。

多分「それって誰?」

と云う人が多いだろう。



ヒラリー・クリントン氏も大統領の最有力候補だが、

アメリカ国内では、決して評判は良くない。




この記事で引き合いに出されたふたりの人物は、

日本人の共感を得て結論に至るには、

決してふさわしいとは言えないのかもしれない。


この記事では触れられていないが、

実はトランプ支持者も「はぐれ者」だ。



アメリカに渦巻く不満。

それが「はぐれ者」をどんどん増やしているように見える。


日本はどうか?


多くの無党派層は「はぐれ者」と重なると思う。

旧社会党も、旧民主党も崩壊し、

支持政党を見失った有権者たち。

彼らもまた「はぐれ者」ではないか。


また、自民党のような巨大政党支持者の間にも

アメリカ共和党・トランプ支持者のような「はぐれ者」もいよう。



そして一番多い「はぐれ者」たちは無関心層。


政治にドップリ浸かることが良い事なのかどうかは分からないが、

自分の意見を持ち、無党派層であったり、

「はぐれ者」になるなど、

政治意識を保ちながら、一定の距離を保つ人は

自己責任で今後も生きてゆくのだろう。


しかし、自分から何も知ろうとせず、「私、わかんな~い」

などと政治に近づこうともしない人たちは救いようがない。



『学費が高く、学生ローンを借りるしかない。

そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。』



そういう人たちは、そういう状況に永久に甘んじてしまっても仕方ない。


権利は自分の手で掴むもの。


何もせず、自ら声を上げない人は、

権力やカネの力という「声を上げる」者たちに押しつぶされるのが

自然の摂理なのだ。


そうして人類の歴史は積み上げられてきた。



「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」

とは、一見『奇跡』を呼び起こすことを指しているように見えるが、そうではない。

自分たちによる、新たな理想の実現のために実践し、

新たな歴史を切り開くことを主張しているのだ。

歴史用語でそれを『革命』と呼ぶ。


『革命』とは、決して共産主義者など、左翼勢力の専売特許ではない。



まずは一人ひとりが意識を持ち、

自己責任で積極的な意思表示をし、行動を起こすことが

政治に革命を起こす原動力になる。


草の根の民意を反映し、確実に実践させる政治の仕組みづくり。


それが今の日本に求められている『革命』だと思うオヤジが一句。





そのために   勉強しても   まだ未熟





お粗末。