旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

スリランカ旅行記(2011.05.21-26)最終回

2017-10-29 09:22:11 | 海外旅行

先週に続き今週も又日曜日に台風来襲ですね。先週被害を受けられた方々、遅まきながらお見舞い申し上げます。今回はどうなんでしょうか。前回小窓から浸水したので早々とソコだけタオルを突っ込んで対処しています。後は見張るだけ。

スリランカ旅行記(2011.05.21-26)④

5月25日・やや薄曇り。あっと言う間に最終日。今日はかつての首都でスリランカ最大の街コロンボへ。途中紅茶畑や工場見学、そしてキャンディの西30kmほどのキャーガッラという町の郊外にある象の孤児院へ。ジャングルで親を亡くしたり、親とはぐれてしまった小象を50頭あまり保護している施設です。哺乳瓶に入ったミルクをゴクゴク飲む姿がとても可愛かった。

朝、キャンディ湖と仏歯寺が見えた(青過ぎるのはバスの窓越しだから)

25日夜泊まったホテルは何故かえらい山の中。キャンディには沢山ホテルがあるのに何故?

プールサイドには何故だかフシギなディスプレーが。

スリランカ風オムレツが美味しかった。

紅茶畑へ行く途中の風景

田舎の市場

売れへんな―

先ず美味しい紅茶の試飲です。

紅茶がドッサリ、さあ買ってね。

スリランカより紅茶はやはり「セイロン」の名でないとね。

紅茶工場

工場の中は燻蒸するので熱気ムンムン。

働く人もタイヘン。

みーんなハダシ。

 

水浴中の象A

象と川が見えるレストラン

象の孤児院A

ヤッパリ おかあさんと一緒がいいわ。 

旅行中は例によって宝石店に紅茶店、民芸品店等ショッピングに結構時間がとられて不満ですが、安い旅行なのでこれも我慢。最近はスーパーにも何回か寄る様になった。でも何で発展途上国のスーパーへわざわざ行きたがる人が多いのかフシギ。大したもの売っているとは思われませんが。夕刻コロンボ着。英国の植民地時代を色濃く残した建物等見ながら始めての中華の夕食。

間もなくお祭りが。A

 

コロンボが近づくと街も賑やかに

 

一方でこんな家並も

首都コロンボはインド洋に面しています。

コロンボ空港では20年間にわたって続いた少数派の北のイスラム教徒のタミール族と、多数派のシンハラ族の仏教徒との抗争が2009年に漸く終止符が打たれたせいか未だにテロ時代みたいにセキュリティチェックが結構厳しい。

紀元前5世紀シンハラ人の先祖に当る人々が北インドから移住し王国をつくったとされるスリランカ。王都はアヌラダープラにおかれ紀元前3世紀アショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝えこれ以後上座部仏教(小乗仏教)を主体とした仏教が興隆し、シンハラ人の多くは現在まで仏教徒としてその信仰を守ってきた。紀元前2世紀以来南インドからタミル人を主体とする断続的な移住者があり、ポルトガル・オランダ・イギリスの植民地時代を経て1956年世界初の女性宰相バンダラナイケ氏により社会主義国となった。

26日の午前1時に出発した時は大雨。シンガポールでまた6時間の乗り継ぎ待ち。ここで事件が発生!二組のご夫婦の内の3人が集合時間に遅れて、探し回る羽目になった旦那さんが真新しい空港に響き渡る様な大声で奥さんに怒りをぶつけられました。このご夫婦どちらも気の強そうな、単独行の多い方でしたが、まあ夫婦喧嘩なので皆さんは無視。飛行機の中でも離れて座り、最後まで憮然としていました。アア。 

毎度もうこれが最後と思いつつ行く海外旅行。今回も病気も出ず、楽しい話し相手の方々もいて短いけれどとても充実した旅でした。最後に今回の旅行記、そこかしこにパクリがある事を告白して置きます。終。

 

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スリランカ旅行記(2011.05.21-26)③

2017-10-25 10:56:21 | 海外旅行

スリランカ旅行記 (2011.05.21-26)③

密林に屹立する「シギリヤ・ロック」ココを登ります。

シギリヤビレッジに宿泊

シギリヤビレッジ レストラン

5月24日・快晴。今日はイヨイヨ今回のツアーのハイライト、「シギリヤ・ロック」登頂の日。この日に備えて出発前の2日間近くの坂道を上下した特訓の成果が果たして出るかどうか。狭心症持ちとしては一番心配で又期待した日でした。 

緑の密林の中から突き出た岩山シギリヤ・ロック。鬱蒼とした深い緑のジャングルの中から忽然と姿を現す高さ200メートル弱の絶壁の岩山がシギリヤ・ロック。その頂上には約1500年前の王宮跡が残っています。 頂上からは周りを取り囲む緑のジャングルの絶景が見渡せました。

まず待ち受けているのがシギリヤ・ロックの階段で手を貸してくれる 名物「シギリヤ・ボーイズ」。数名の高齢者はためらわずにお願いされましたが、ここは一番、特訓の成果を見せたいとストックとカメラにリュック担いで挑戦。何とか自力で無事に頂上まで辿り着きました。

シギリヤロックを見上げて、さあ出発

シギリヤボーズと呼ばれるガイドさん お客の体重別?で担当が決まるみたい。

先ず石階段上りから

大きな岩穴を通り抜けて

岩壁に張り付いた鉄のらせん階段を登ります

 

岩壁に貼り付けられたワイヤーのトラバース通路

岩壁に張り付いた通路

途中の眼福 シギリヤレディーの岩絵A

岩山の頂上までは階段を1800段ほど上って行きます。頂上までは途中鉄の階段もあります。鉄の手すりがありつかまりながら上れるので安心。途中途中に踊り場があり、休み休み上ることができます。今までのツアーでは数名が途中でリタイヤしたそうですが今回は全員が辿り着きました。

途中の休憩できる平地で一服、さあもう一登り。「ライオンの爪」  

頂上にある貯水池遺跡?

頂上の遺跡はまだ開発中A

ガイドさんにエスコートされたジャパニーズレディ

頂上遺跡B

頂上遺跡C

頂上遺跡D

くだりも大変A

くだりも大変B

敬虔な仏教徒のシンハラ王朝で自ら父王を殺して王位についたカッサパ1世王が、追放した弟の復讐を恐れて、岩山の上に宮殿を建てました。岩山の中腹よりもやや上に位置する王宮の城門には、巨大な獅子像が象られており(但し、現在は足の部分のみ残存)、頂上にある美しい「水の庭園」を配したその王宮では、王が踊り子の舞を楽しんだとか・・・。しかし、わずか十数年後、カッサパ王は弟に殺され、主を無くした岩の上の王宮も終わりを告げました。 

頂上の王宮はその後荒廃し、殆ど跡形もなくなりましたが、岩山の中腹付近、西側の窪みの岩肌には、おおらかな筆遣いで、鮮やかな色彩の美人画(「シギリヤ・レディ 」)が22体残されており、往時の華麗な宮廷生活を偲ばせています。

午後からはシンハラ王朝最後の都、古都キャンディ着いたのが夕刻近くで美しいキャンディ湖も黄昏の中。車窓から刑務所や駅舎等を見つつ湖を周遊し、伝統芸能の「キャンディアンダンス」を見る為にチョッと寂れた風情の劇場へ。

キャンディへの途中車窓風景A

キャンディへの途中車窓風景B

キャンディへの途中車窓風景C

キャンディへの途中車窓風景D

キャンディへの途中車窓風景F

シューの開幕前にまず国歌斉唱 観客も全員起立

キャンディダンスショーA

キャンディダンスショーB

キャンディダンスショーC 

キャンディダンスショーD

舞台は熱気にあふれたドラムの連打を伴奏に舞夢が繰り広げられ最後は燃え盛る炭火の上を裸足で火を吹きながらの熱演でフィナーレ。最初に全員起立さされて「国歌斉唱」。ここでヤッパリ社会主義国だなと始めて実感。 

南インドからの侵入軍に追われたシンハラ朝が都を南へ南へ移していき、最後にたどり着いた地キャンディは1474年、シンハラ王朝の都となり、結果この王朝の最後の都となりました。周囲を山で囲まれた天然の要害の地であるここキャンディは19世紀にイギリス軍に滅ぼされるまで300年以上もの間王国の中心としての地位を保ちました。 

日本で言えば、京都のような存在であると言えるでしょう。キャンディには、釈尊仏陀の歯を安置する 仏歯寺 があります。これは、敬虔な仏教徒であるシンハラ人にとって非常に重要な寺院であり、民族の最大の誇りです。法要が毎日3回あり、その時だけ仏歯を納めた厨子を拝観出来ます。

仏歯寺

仏歯寺内部A

仏歯寺内部B

仏歯寺内部C

仏歯寺内部D

ライトアップされた仏歯寺 

ドラムが打ち鳴らされ花や供物を捧げた熱心な信者の熱気が満ち溢れていました。佛歯のお厨子前は長蛇の列でパンダ並みに1秒位しか見られませんでした。毎年夏に行われる象のパレードで有名な「ペラヘラ祭」のときには、仏歯寺に安置されている仏歯が入れられた仏舎利が、象の背に乗せられて町中を練り歩きます。このお祭りのときのキャンディは町中が大変な賑わいになると言う事でした。

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ハロウィンのピカチュウ撮った!

2017-10-21 11:02:27 | ポケモン & ハリーポッター魔法同盟

台風が近づいて来たせいか今日は朝から雨。でも久し振りに我が家に「ピカチュウ」がやって来ましたので晴れ晴れ気分。おまけに「ハロウィン」の格好で。21日から11月3日までハロウィンがらみのお化け系ポケモンが出没するとか。そう言えばこの前「吉野家」でも見かけてパチリ。最近新しいポケモン中々ゲットできないがヤット「アリゲイツ」と言うの捕まえました。

22日のお天気が悪そうだったので20日期日前投票に出かけました。それも涼しくなったので久し振りに8千歩近く歩いて区役所へ。所が同じ考えの人が多いせいかいつもなら30人位しか並んでないのにこの日は超満員。まるでIphoneなんかの発売日みたいに区役所の職員さんココ「最後尾」と言う看板掲げて整理中。

「待ち時間50分!」と連呼してましたが並ばないと仕方がない。でも思ったより早く列は動き30分位しか掛らずヤレヤレ。ジジの所は色々とあり5回も投票するのです。まあもたつく人もあったけれど、職員さんがヘルプしてスムーズに進行していました。いつもながら困るのは裁判官の国民審査ななるもの。どんな方でどういう成果をあげたのか判らないまま〇を書くのもなんだしアレ困ります。

Happy Halloween!

吉野家にもポケモン

宝塚にもイーヴィ君が

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天橋立の松並木の本数は何本?

2017-10-19 19:37:00 | 雑感+時折「旅の思い出ミニ写真展」添付

今日夕方の関西系某TV局で、京都タンゴ鉄道のアテンダントさんが、車内放送で松の木は8000本あると放送しているが正確な本数を知りたいと投稿しそれを調べる番組がありました。結果ナント橋立の松の木には幹が10cm以上のモノは全部番号札が付けられていてその分布地図まである事が判明。現時点では台風等でやられて松の木は凡そ6600本、常緑樹が1200余ありほぼ8000本ある事が判明しました。自然に生えているだけだとジジも本数何て気にしてなかったけれど、きちんと管理されてい居る事に改めてビックリ感謝です。

昨日歩行中に普段はあまり聞かないラジオを偶然聞きました。関西系の民放の定時放送でした。気になったのは話題が中国の習近平総書記について、また途中から出た金正恩委員長を呼称を付けずに呼び捨てにしていたこと。少なくとも公共放送で一国を代表する方の名前を呼び捨てにするなんて放送法や自主管理上許されるのでしょうか。ちょっと気になりました。この方なんぼ何でも安倍とかトランプとかとは言ってないはず。一体自分を何様だと思っているのでしょうね。

ミニ写真展(2002年 天橋立と文殊堂)

展望台からの絶景を

リフトとケーブルで楽々と登れます

知恩寺 文殊堂山門

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スリランカ旅行記 (2011.05.21-26)②

2017-10-17 14:56:50 | 海外旅行

スリランカ旅行記 (2011.05.21-26) ②

5月23日・快晴、24日に登るシギリヤ・ロックがコテージタイプのホテルのプールサイドから遠望できるのを発見。岩山登りがあるので涼しい内にと先ずスリランカ最大の石窟寺院があるダンブッラへ。遠くからも良く見える黒褐色の巨大な岩山「ダンブッラロック」の中腹にあります。寺院へはその建物の左側から続く階段を20分ほど登って行きます。 石窟寺院は靴を脱いで裸足見学。

ダンブッラロック

誰もがせっせと登ります 

ロックの頂上から見えるジャングル

入口(手前)から順に第1窟から第5窟まであり、この5つの石窟はすべて穿たれた時期が異なり、第1窟は、紀元前1世紀に造られた最古の石窟で、第5窟は20世紀初めに造られた最も新しい石窟となっています。一番の見所は、ダンブッラ最大の第2窟「マハー・ラージャ・ヴィハーラ」 。石窟内には、全部で56体もの仏像が安置されており、壁や天井いっぱいに極彩色の優れた壁画が描かれています。

     

ダンブッラ石窟寺院・外観

お参りが済んで

石窟の管理事務所?

とダンブッラ第1窟の本尊

涅槃仏の足の裏 (フラッシュ禁なのでピンボケご容赦を)

石窟の内部A

石窟の内部B

ご本尊様のアップ

チョットコワイ仏様も

近くには真新しいキンキラキンの仏様

やはり新しいのはキレイ

続いてスリランカ最古で紀元前5~4世紀頃に建設されたシンハラ王朝の最初の都アヌラーダプラを訪問。仏教寺院が数多く建設され繁栄を極めましたが、10世紀以降、異教徒の侵略を受けて荒廃、20世紀に入ってからようやく遺跡の発掘・保存が進められました。

アヌーダブラと現地のガイドさん

アヌーダブラ インドブッダガヤから移植されたと言う菩提樹の樹

綺麗に塗り替えられたバゴダ

古いのはこんな色のバゴダ

アヌーダブラバゴダ

聖なる池

聖なる池へのアプローチ

まだまだ発掘中の遺跡はあるよ。

世界有数の仏教大遺跡群が残る「文化三角地帯」に位置し、今なお敬虔な仏教徒の重要な聖地とされています。仏陀が悟りを開いたブッダ・ガヤの菩提樹の分け枝で、紀元前3世紀に運ばれてきたスリー・マハー菩提樹をはじめ、イスルムニヤ精舎、ルワンウェリ・サーヤ・ダコパなど見どころが点在します。まあここも裸足で暑かった。

 

ルワンウェリ・サーヤ・ダコダ   

スリー・マハー菩提樹 

イスルムニヤ精舎

イスルムニヤ精舎本堂寝仏 

昼食後はスリランカで初めて仏教が伝来した地、聖地ミヒンタレーへ。インドから初めて仏教が伝来した土地で、仏教の重要な聖地の一つ。ヤシの木が立ち並び、プルメリアの花が咲き乱れ、広々とした公園のような雰囲気です。 丘の頂上までは1800段あまりの石段を上ります。

丘の頂上のマハー・サーヤ大塔は階段で上ることができ、素晴らしい眺めを望むことができるそうです。頂上への参道の途中には、僧侶達の生活が偲ばれる会議場や食堂の跡 、そして、正に仏教伝来の地である場所に建てられた、真っ白なアムバスタレー大塔があります。この大塔の場所で、インドから仏教布教にやってきたアショーカ王の息子マヒンダとスリランカ王が出会い、仏教が伝えられたと言われています。

マハー・サーヤ大塔           

食堂跡に残された石の米櫃   

(今回画像と説明が多少怪しい所があるので若し違っていたらご指摘を)

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