当時はそういう人(千種さんのような人)は孤立しているのが当たり前で、むしろそれが誇りだった時代です。ネットもなかったし、隣の町村の事情さえ知らない時代でした。だから私がテレビ局にいてあちこちを歩いていると、富山の薬売りのように入ってくる情報が貴重な宝として評価してもらえる時代でした。そこでテレビ局こそ、その人たちのネットワークを結び、番組にすることで大きな可能性を感じたのでした。いま、あれから10数年、テレビは相変わらず影響力を持っているし、誰でもが触(さわ)れる身近なツールとしてはまだまだ存在しています。ただ、日々の暮らしを反映するものとしての役割は昔も今も無くて、インターネットがその役割を着々と担ってきています。昨日の別府の安さんの話が好評で多くの方々から今の岸本のあり方がよくわかるエピソードだと指摘されました。安さんは、1年目も5年目も変わりませんでした。いつも一緒。どこまでも同じ。ということが私には当時は耐えれなくて最後は私のほうが爆発してしまうのですが、あちらからすると極めて普通だったのです。「あほかあーっ」「早ようせんかい」などの罵倒の言葉も5年間変わらないというのはある種見事な美学です。
私が今、全国、海外も含めて歩いていると、結局いつも同じことしか言わないのです。具体的にいうと山江村の松本さんの話です。いつも一緒にいる人にはまた松本さんか・・・、という感じはあるかもしれませんが、やっぱり松本さんしか語れない「出会いとプロセス」があるのです。何度同じ話だといわれても原点を話すにはそれ以外にはないのです。佐用町の可能性、開ける未来を感じる時、いつまでも変わらないある何か・・・、があるかないか、が結構大事になるということがよくわかってきました。安さんの行動原理はメチャメチャだったが、気持ちは一定していた。当時、広告代理店やテレビ局の人から「岸本君よくがんばってるね」、といってもらった。その意味はだんだんわかってきた。安さんの弟子入りをした人で、3ヶ月を超えた人はいなかったのだ。長い人で2ヶ月、普通1ヶ月、早い人は3日、どうしようもない人は1日でやめていったと聞かされた。そうしてみると4,5年間もいたということはとんでもなく凄い!!みたい。その安さんとは実に滑稽な笑い話のような話が山ほどあるが、一方で高倉健さんのようにホロッとさせられるシーンも多くあった。今だから話せる、そういう話を書いてみることに決めた。(つづく・・・)
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