同級生の多くが東京(や大阪)の大学を目指していた30数年前は、全く行く気はなく、ある種、天邪鬼(あまのじゃく)のようだが逆方向に向かっていた。それが山口だ。都落ちや島流しといわれ揶揄されたが、全然平気だった。当時、東京に行っても自分が生かされるとは思えなかったからだ。ただでさえ受験勉強という下らない知識の詰め込みを間断なくやられて(とはいっても本当に勉強はしなかったのだが・・・、その結果が浪人、留年、卒業後のぷーたろうだった。)東京に行くと、流行という時代の流れに振り回される気がしていた。大企業のビルも大工場もコンサート会場も大きな映画館もないけれど田んぼがあり、山がある小京都山口で人間サイズで生きてみたいという感覚が確かにあった。
杉並や世田谷というのは永島慎二さんの漫画のタッチの影響もあったと思うが妙に人間的な暮らしがあるように感じた。人はウヨウヨ蠢いているのだが、そこをマイペースで逆に歩いていくように漫画の中の主人公たちが闊歩し、生き生きとしていた。山口をスタートに大分、熊本と田舎町で生活してきたがテレビ局に入って日テレに通い始めることになり、やっと東京とつながった。が、好きにはなれなかった。
当時は麹町にあった日テレのビルに入るのは嫌だった。ズームイン!!朝!の会議で毎月のように月末には通ったが、山も川も海の匂いも全てを断ち切り、自然の「映像だけ」が流れ、作った音と着飾った女子アナさんたちの甲高くキンキンする声が「地域」を紹介する。私自身がそのノウハウをいっぱい身につけ、気づかぬままに電波に乗せていた。東京の光景はそれがさらに強調されるのだが、今、杉並を歩いていてもやはりそれは演出だったり、嘘だと感ずる。高橋明子さんを中心に集まった杉並区の住民ディレクターの皆さんとご一緒していると「東京で暮らす人々」の人肌をホンワカと感じる。この感じは山江村だ。地方の人間からすると東京の故郷だ。
全国の地域の人たちがやはり東京には集まる。仕事の絡みが一番だろうが国の機関への用件、陳情?情報収集など、勿論地域活性化のために欠かせない地域だからだ。その時に皆さんがほっと一息いれる地域として杉並に通えれば大いに助かる。東京の話し相手も欲しいが、東京の生きた情報もコーヒーを飲みながら手に入れたい。夕方にはお土産の焼酎の栓も開けて馬刺しや黒豆、鰯や漬物を肴に始まるとなおいい。杉並の空気はこういう場所としてとっても似合っている感じがする。
(写真:荻窪の商店街)
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