黒仁庵 ポケットにバイクを忍ばせて。

五感で感じる情報を、どうしたら活字に出来るか、考えてみよう。
それが出来ると、五感が研ぎ澄まされるって不思議がわかる。

鉄が食う

2017年04月22日 | 日記
高校の時「お前は哲学者か」と言われていた。
「何で」 と聞くと
「言ってることがさっぱりわからん」 と返ってくる。

「わからない。と言うことがわかってるなら、わかってるってことじゃないか」
「ね……ほら、なんて言いようかわからん」

公理と定理がある。
「公理」とは、公(おおやけ)の理(ことわり)であり、どう言うことかっていうと
「みんなで徹底的に考えて、いろんな意見が出るけど、これだ!って言う答えが決まらない。じゃあ大体、おおかたの人が、まあそうだよね。って言ってる落としどころを暫定的に決めときましょう」と言うことだ。
「定理」とは定(さだまった) 理(ことわり)だ。
「三角形の内角の和は、180度。分度器で何回測っても180度。ごくたまに181度になる事もなければ179度 いなる事もない。なぜだか勝手に決まっている」と言うことになる。

我々バイク乗りは、この公理と定理の中でいつも揺れ動いている。
このコーナーにほこの速度で進入し、こんくらいの角度で曲がれば1番早く抜けられる。
ただそれには運転者の体重とかタイヤの減り具合、路面が濡れてるか乾いてるか、とか様々な条件の集合体だ。 決まってる定理もと、重複するたくさんの状態を足したり引いたりするのだ。

そして一所懸命走り、一生懸命考えてやっと仲間内の中で速く走っても、ポットきた見知らぬライダーに 「あっさり抜かれたりする」
納得いかないから、そいつを捕まえて「どう走ったらそんなに速く走れるんだ?」と聞いても
「え?……なんにも考えてないよ」とくる。

感性 感覚で走ってる速いやつ。これには誰もかなわない。