誤解を恐れずにいうならば、バイクというものは「遊び」の乗り物だ。
人なんか1人多くても2人しか乗れないし、その居住性なんか無いに等しい。
なにせ、「またがって移動」するのだ。体むき出しで。
何にも働いてない。
「楽しいから乗る」のであって、それ以外何がある。
郵便配達。蕎麦の出前。通勤用。白バイ。 働いてるバイクがないわけではないが、それはその機動性を活かした「特殊な用途」に限定されている。
つまり「例外」なんですね、上の使い方。
大部分のオートバイ乗りは「遊ぶためだけ」にオートバイに乗っている。
何も「遊ぶ」のがよくない。って言ってるわけじゃない。
人は遊びで歌をうたい、遊びで絵を描き、遊びで野球もする。
それをしなくても死ぬわけじゃない、ことも大いに人生の役に立っている。
小林一茶は「遊びをせんとて生まれけむ」と言っている。
人がわざわざ生まれて来たのは、遊ぶためだよ、と言ってはばかってない。
内燃機をかかえた移動手段で、もうバイクは圧倒的に「遊ぶ乗り物」だと思うのだ。
その趣味性の高さは多種多様で
「乗ること自体、ただ道路を走る事を楽しむ」
「レースに出る」
「荷物をくくり付け旅に出る」
もっと細かく言い出すとキリがない。
最近60歳過ぎの壮年ライダーに出会った。
彼は自宅近くにバイク用のガレージを借り、バイクをいじり、整備を自分でカチャカチャする事を楽しんでいる。
もちろん良い仕上がりを見せれば、サクっと海岸線を走って流す。
潮風に当たればガレージに戻り洗車。隣接する喫茶室で洗ったバイクを眺めながら一服。
会社はもうリタイヤして悠々自適、に趣味をたしなむ……と言わば言えるのだが、今彼はカンボジアの地雷撤去のボランティアを、ボランティアの枠では収まらないくらい精力的に取り組んでいる。
自治体や企業のスポンサード獲得のため奔走し、年に何度も現地におもむく。
「前の仕事の関係上、この現実を知りまして、現役の時から取り組んでます」
保険関係の仕事をしておられた彼は言う。
アジアを搾取して来た先進国と呼ばれてる者たちの恩返しの1つ であると言うのだ。
「余裕のあるものの道楽だ」「偽善ではないか」そういう事を言う人には言わせておきます。
あなたは何をした?偽善であろうと売名であろうと、動く者に動かぬ者が一体何言ってんだ。と無視している、と。
魚は泳いで魚であり、鳥は飛んで鳥である。人は動いて人である。
「バイクで走るのも人間だからでしょう。遊びも仕事もボランティアも私が人間であるという証です」
何ともカッコよく、歳を食うならこんな重ね方をしたいものだと思うのでした。
今日も彼は、彼のアジトで世界平和をもくろんでいる。
今回の福岡朝倉の災害も、どうしても仕事目線で見てしまう自分が嫌になる時もあるとも言う。
「まぁこんな私でもツライことや悩むこともありますよ」
ですよね。そう完璧な人とかいませんよね。
「けどね、人は揺らいで人となるんです」
遊びの達人はいちいちカッコいい……
カレーごちそうさまでした、また来ますm(_ _)m 今度は一緒に走りましょう。態勢が整えばショベル積んで朝倉の町に行きましょうか…