◯授戒の意義
いずれの宗教でも入門の儀式があります。禅宗の場合、戒師はブッダ以来正しく伝えられた法を保っている老師:長老です。もう一人の長老は、声明師と呼ばれ、入門の信者に礼拝をすすめるために『三千仏名経』を唱えます。授戒の意義を説く役目は教授師、あるいは引請師とも呼びます。ブッダ以来、信者として入門するためはこれらの三師が必要とされています。
『三千仏名経』には過去、現在、未来に現れる三千の仏さまの名前が書いてあります。入門の信者は声明師にしたがい、礼拝しながら「三千諸仏の名号」を唱えます。これを加行礼拝(けぎょうらいはい)と呼びます。一仏に一回礼拝とすれば三千回の礼拝です。これには7日間必要です。それで近年では「南無三世三千諸仏」と略して唱えています。その礼拝は頭が低いほど感動が大きいといわれます。
『華厳経』に「初発心のとき、すなわち正覚を成ず」とあります。仏道に入門する決心をしたとき、すでにブッダの悟りの状態であるという意味です。仏教徒にとって授戒はそれほど意義深いとされます。
『三千仏名経』を見ると「南無人中光仏、南無見精進仏、南無名称幡仏、南無普悦仏・・・」とあります。これは人間を拝みなさいという意味です。あるいは「南無炎面仏」とあるのは真っ赤な顔の人という意味でしょうか。南無獅子吼仏というのは説法している僧侶のことでしょか。いずれにしても皆が仏さまです。そのように周りの人は皆さんが仏さまなのですというブッダのお諭しです。平和のための授戒会だといえます。
◯戒名について
授戒会に参加すれば戒師より仏教徒としての証(あかし)として「戒脈」をいただきます。これには戒名が書いてあります。名前を改めるのではなく、仏の戒めとしての戒名、ブッダの弟子となった証としての戒名です。これがいわゆるこれが生前戒名です。人は亡くなるとき財宝はもっていけません。もっていけるのはこの戒名だけです。
授戒会に参加する縁がなくて亡くなった方に代わって遺族がいただくのを「血脈(けちみゃく)」と呼びます。これにも戒名が書いてあります。実名はその人の人生の間、どんなに長くても100年でしょう。戒名を墓石に刻めば、あるいは位牌に彫れば末代まで残ります。そして末裔まで手を合わせて拝んでくれます。
多くの場合、戒脈にある名前は二字です。長年、寺院の発展に功績があった方はその名前の上に二字が冠せられます。これを道号と呼びます。ブッダの時代、男性の信者をウパーサカ、女性はウパーシカー(upãsaka・upãsikã)と呼びました。これを漢訳して信士・信女です。禅宗では坐禅会に参加される方を居士・大師と呼びます。それで◯◯信士・信女、あるいは○○居士・大師という戒名になります。
「名は自性をあらわす」という言葉があります。名はそのものの性質をあらわすのですから、仏の戒めとしての戒名は仏性を表すことになります。生前戒名の功徳はここにあります。授戒会で参加者は「自らすすんで世の中に善いことをしましょう」と誓います。これを「摂善法戒」と呼びます。少しでも世の中が明るくなるように努めたいと思います。