◯神と仏
京都、南禅寺でアメリカ人観光客に「神と仏の違いはなんですか」ときかれ、私は「神は自分の外にある存在で、仏は自分の中にある」と答えました。彼は「お―、おどろいた」といいました。彼は、私が、「神は自分の外にある」といった瞬間、うなずきました。そして「仏は自分の中に」といった瞬間、目を丸くしてそのように言いました。私の答えが意外だったのでしょう。
仏教はインドの多神教文化の中で生まれ、中国や日本の多神教の影響を受け、その中で発展しました。したがって仏教は神を否定しませんし、日本の寺院の中には神道の祠があります。日本の仏教は神道と共存してきました。実は7世紀に大陸からの仏教を受けいれるにあったって大きな争いがありました。その後、江戸時代に「新仏集合」という言葉も生まれ、また明治初期に「神仏分離」という苦難の時代がありましたが、今日ではお互いに日本社会に共存しています。
スリランカの仏教寺院やパゴダの門は日本の神社の鳥居にそっくりです。日本の鳥居は横が二本ですが、スリランカでは三本です。実は鳥居は仏教の門だったのが、いつの頃からか分かりませんが、神社の門になったのです。太宰府天満宮のような大きな神社の門は東西南北にそれぞれ鳥居が建っています。これも密教曼荼羅の「四門」つまり発心門、修行門、菩提門、涅槃門ではないかと思われます。
いずれにせよお互いに影響しあってきたのですから、どちらが先というのではなく、共存していくべきです。仏教はインドにおいてブッダ以前の人格崇拝が基礎にあるといわれています。日本の神道もいくつか系統がありますが天満宮などは人格崇拝がその所以だといえますので、私たちは共通認識を持つべきでしょう。
◯儒教と仏教
仏教はインドではじまり、チベットの山々をこえ、中国文化を吸収し、朝鮮半島を通って、あるいは東シナ海を渡って、ブッダの時代から1200年という年月を経て日本に伝えられました。したがって地域の文化を吸収しながら伝えられました。とりわけ中国思想の儒教と古い時代の道教の影響が大きいといわれています。ここでは仏教の慈悲と儒教の忠恕を考えてみます。
もともと慈悲は慈と悲は別のことばでした。慈は友人を表すパーリー語ミッタ(mitta)からできた(『中村元仏教語大辞典』)とされ、真実の友情を表します。悲は、苦しみを表すカルナー(karunã)からできたとされています。したがってどちらも「あなたの苦しみは私の苦しみ、あなたの喜びは私の喜び」という平等の共感性があります。
儒教の忠恕は「誠実で思いやりのあること」(『スーパー大辞林』です。孔子は周の時代の政治にあこがれていて、武力で国を治めるのではなく、伝統文化で国を治めることを理想としていました。孔子は旅から旅の人生でしたが、晩年は私塾の先生ですぐれた弟子たちができ、その後の時代にも立派な弟子がいて儒教は発展しました。
ブッダ晩年の弟子は1200人をこえました。祇園精舎には1200人が寝泊まりできました。ブッダは旅の途中、クジナガラの城跡で涅槃に入りました。インドにおけるクジナガラの聖王の時代は徳による政治で平和な時代だったとい伝説がありました。ブッダは聖王を尊敬していました。儒教や仏教は弟子たちによって発展し、社会に受け入れられました。仏教と儒教の違いはたくさんあるにせよ、そのように共通するところは大切だと考えます。