なるほど?……言わんとするところは分からぬではない。
しかし?この人は何故?その『知性も民度も低いTikTok』でソレを言うのだろう?
『俺はお前等とは違う!』もっと高尚な人間なんだ!と言いたいのかな?と想像した。
ならば?そんな下らぬ場所を離れて、孤高に徹して『The自分』って奴を掘り込み、独自の表現を築き上げることが先決だよね?
んで?……若い頃からずっと考えていた人間の表現のセオリーを思い出した。
レオナルド・ダビィンチにせよ、ミケランジェロにせよ、ラファエロにせよ……彼等の『常軌を逸した才能』は『お前等みたいな?』凡庸・低俗の才能とはひどくかけ離れた乖離がある。
孤高の才能が表現した作品は……『一般ピープルの感性の何処か?何か?』を刺激し、感動に導く力がなければ陽の目を見ることはない。
永遠に『偉大なる独り善がり』で在り続け闇に眠ることになる。
何が言いたいか?
本当に優れた作品は……民度も知性も年齢性別も国籍も人種も超えて人を感動に導く深さと高さを有するんだろう……と言いたかった。
僕の住む田舎地方都市は県庁所在地だけど、第二の規模の地方都市よりミュージシャンには圧倒的に評判が悪い。
この地方都市は『超ノリが悪い?』……んだとか。
だから、僕の住む地方都市をすっ飛ばして第二の都市、ソッチだけで開催されるコンサートは多くある。
確かに飲食店を演っていても、詰まらぬ権威とか?かつての評判を誇るだけの店を未だに有難がる人は…多い。
その点、首都圏、関西圏からの出張族は手っ取り早く長所を見付けて褒めてもくれる。
でもね?でもね?……ヴェートーヴェンの第九『歓喜の歌』は毎年年末には大コンサートで盛り上がるのである。モーツァルトもドヴォルザークもラベルも……殆どの人の琴線に触れる力はこの田舎地方都市でも証明されているのである。
『今の自分の力量』を嘆かずして……背景の観客の質を嘆いて見せる?
ソレ、表現者それぞれ自由なんだけど……どうしても『拗ね者のエクスキューズ』のニュアンスは拭いきれない……と思わないか?
今、得ている立場、境遇は『全て自分の才能のせい!』という冷静な判断力を保ち続けたい!と思う。
万が一に……自分の表現が評価を得た時……『お前はよく演った!!』と自分を誉め称えられないからである。
人生のどんな場面・局面においても……他人をあげつらう前に自分の才能を理由に・原因として思考し悩み続けたい!……改めてそう感じた次第である。