サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……僕の前に、あなたの前に道はあるのか?

昨日……ある方からコメント頂いた。
自分の前に道はなく、自分の後に道は出来る?そんな意味の事が書かれてた……。

慣れぬ返信故にバタつき結局僕の返信は消してしまったけれど……。

高村光太郎の『道程』の中にそんな一節がある。永井龍雲の『道標なき旅』、谷村新司の『昴』、……様々なアーティストがソレにヒントを得てるなぁ?と感じる。

僕も教科書で読んだ時ある種の感動?を得たのを覚えているけれど……。しかし流石に時間を重ね生きて来ると……『何言ってんの?』ソレって当たり前じゃん?と思うようになった。

よく『決められたレールの上』を生きていく?
ソレを安定なんて呼んで悦に入る人は多い。
しかし、同じ一つのレールってのは観念で決められるけれど?……。

そのレールに乗って走っていく『DNAはそれぞれ一つ一つ全く違うってこと』を人は……考えていないと気付いたのである。
一人ひとりのDNAはどれもコレも唯一であり『宇宙史上初のプロジェクト』なのである。

同じルートを走るマラソンみたいに走った結果は人それぞれ違う。満足度も苦しみも惨めさも誇らしさも……一人ひとり全く違う事を考えてみたらよく分かると思う……。

僕のDNAもあなたのDNAも過去にサンプルなんて無いのである。従ってマニュアルもセオリーも試行錯誤しながら自分で仕込んで生きていくしかないじゃないか?……と考えるようになった。

『天文学的確率を勝ち抜いて命を得た』という自分の実績。その自分のDNAの底力を頼ること以外に参考になるものなどないのだから。

人との出会いって奴は…ましてや計算なんて全然立てようがない。宇宙史上初モノのDNA同士が反応する訳だから。
行動し、人と出会って得る『実感・体感』から対応を選択するのは自分しかいない。

どうなるか?なんて何も分からない。決まってない。ソレはとてもとても不安で怖く、とてもとてもスリルに溢れている。

どの様に決めてどの様に行動するか?……それによって『宇宙の進化の一端』を自分が自分の意志でコーディネート出来るのである。

道なんて歩けば出来る。問題は自分が何処に向かって歩き始めるか?何処に辿り着きたいのか?ソレが唯一の問題なのである。

僕は?私は?……どうしたら良いですか?
その質問……自分のDNAそのものの自分のこころに聞く以外方法は無いのです。
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