2013年のノーベル賞 行動経済学者のシラー教授の記事をさわりだけ読んだ。
✳1890年の実質住宅価格を100として、実質価値で比較すると2000年初めが126、今年初めが194。✳
2008年のリーマンショック……世界各国の政府が財政出動でこれを支えた。詰まりカネを撒き散らかした……。
『実態経済』っていうものと中央銀行の財政政策との関連性をニッポンの一般ピープルでは感じられなくなっているけれど……。
それはニッポンに限った事じゃないのかも?と思った。
アメリカでもおよそ100年間での住宅価値上昇分は26%、その2・5倍の68%分が……たったこの20年間で住宅価値は上昇している。
アメリカ人の一般人の所得は20年間で194割る126で得られる『比率』で上がったか?
アメリカの一般ピープル達も収入と住宅価値との価値比率を考えると……持ち家を所有し辛くなっているんだなぁ?……とボンヤリ頭で考えた。
んじゃ?税金により集めた財政は一体何に向かって費やされたのか?……実態経済に伴う一般ピープルの感覚は『カネ足らず感』……一方で社会は『カネ余り現象』という摩訶不思議な構図……。
『余ってるカネ』って一体何処にあり?何に?使われてんの?
一部上場企業の金庫には一年間のGDPに匹敵するカネが『剰余金』なる非課税の貯金となって眠っている不思議……。
中央銀行は物価や金利安定の為に金利政策をしているという思い込み……についてシラー教授は言及していたけれど……。
ニッポンではその日銀がせっせと株を買い支えても来た……。
一体、『誰のカネ』が集められ一体全体、『誰の為に遣われているのか?』
その使い道・使い方……カネの出来高の比率じゃなく『生きている人間の数の比率』でその分配率を決定する思考ってたしか?かつては『当たり前の筈』だったよね?……。
格差問題ってニッポン固有の問題じゃなくグローバルな地球上の『人類の問題』なんだね?…と……負け惜しみの様な、虚しさの様な、激しい怒りの様などれもこれもがボンヤリした意識達が……眠りと現実を行ったり来たり…。
カーテンの隙間から漏れ来る梅雨空の朝の光……。その鈍い光を頼りにいまコレを書いている……。
✳~✳尾崎豊『フリームーン』の一節
✳ ……俺達はタバコを吹かし 最後の一本を吸い終えると帰るカネにさえ 事欠いてしまう……一体何が?出来る!……
……もっと速く!もっと強く!俺達は走り抜けて行かなければー!! Ah…… !! ✳