そこでまた感情が激して怒りを増幅させる。ますます事態は望みとは真逆へと流れていく……。
そんな経験が誰にもあると思う。
文献を読んでみると……怒りは依存性の感情であり、コントロールを心掛けないと徐々にエスカレートしていくモノらしい。
依存性に任せて、怒りによってストレスを解消しようとすると終いには何故?自分が怒っているのかさえ分からなくなるらしい……。
怒りが湧き起こる時……その怒りを使う以外の方法を考える練習が必要らしい。それが自分の怒りの感情をコントロールするためのトレーニングになるとあった。
怒りに任せておくと、怒りは自分の記憶を書き換え事実とは全く違うストーリーを自分に信じ込ませ様とするモノらしいからなんとも恐ろしい話である。
その著者いわく……怒りは自分で怒っているのであって、『相手が怒らせた』というのは真っ赤な嘘なんだそうな。
まさしく短気は損気……自分の望んでいる事を自らに破壊させ、その理由すら嘘を自分に刷り込んでいるというのだから深刻である。
怒りのコントロールにはトレーニングが効くという事が救いである。
詰まり練習だ。怒った時に自分が用意している理由の他にも別の理由がある筈だと自分に考えさせると良いらしい?……。
怒りに任せて生きていると……その怒りの感情がメンタルを占有してしまう様になる……とあった。
頑固ジジイなるものはその成れの果てなのか?……クワバラクワバラ……。
希に自分の怒りの感情を手なづけてコントロール出来た時……実に誇らしい気分になる事は……知っている。
怒っている自分……その自覚がない限り怒り依存症は進化し続けるのである。
時と共に自分の願いはその怒りによって隅っこに押しやられ自らによって忘れ去られていく……余りに哀しすぎるメカニズムじゃないか?……と思った。
んで……僕は『怒りも僕を守る為の自分の感情』なのだとして受け入れようと思った。
忌み嫌うんじゃなく慰めてやろうと……。
よく僕のために孤軍奮闘頑張って来たね?そんな意味合いを込めてである。
効果があった。
そうして見て新鮮だったのは『客観性の獲得』だった。アクターの自分をもう一人の監督の自分が観て指示を出してる様な感覚……だ。
そうか?怒りを抑制出来る人達は主観と客観を同時に往き来しているんだ?
相変わらず怒りっぽいけれど随分と心の振幅が小さくなった。
僕の人生史上最大の自分発見だったかも知れない。
今更ながら……『自分の改善点』はまだまだ幾らでもあるぞ!……そんな気持ち迄やって来たのだった。
それがあるなら生きて見る価値はある!
『敵対関係』は外との関係より自分の中での方が余程沢山あるぞ……という発見は今後の僕にテーマと勇気をもたらしてくれたのだった。