その『妄想の原因は比較することにある』のだと精神科医の著者は述べている。
何と?比べるのか?……といえば『他者』とである。
それだけなら良いのだが……子供の頃から青春期に『自分が描いた理想』を持ち出して今の自分と『比べて』……失敗と断じ絶望するのである。
たまたま知人の結婚式で同級生と再会した。相手は凄く出世し、悠々自適の立場を生きていた。
同じ大学を卒業したのに『それと引き換え』この俺は?!!……と思考し始めるのである。
かつて僕も何度かソレに似た思いを抱いたことがある。しかし幸いなことに僕にはその思いに浸るほど余裕はなかった。文字通り西から東へ駆けずり回らざる得ないといった風情で生きていたからである。
惨めな立場には事欠かなかったけれど……何時しか『コレが自分だ!!』と前に出て引き受ける様になれた。不思議だけど……無様という立場、その『演るべきを演ってる自分』を凄く健気な奴だと好きになっていったから不思議である。
そんな暮らしの中で僕は『僕を必要としてくれるクズみたいな仕事』があることに感謝を覚えるようになった。
朝出掛ける前に玄関の立ち鏡に映る自分に『お前はよく演ってる!』と声をかけた。僕以外に僕を褒めてくれる人間なんてどこにもいなかったから…。
十年くらい前に高校の同窓の人間で集まった。
アイツは社会改革の抵抗勢力と名高い農業組織の部長になった、専務になった、アイツは区役所で出世した、彼は警察組織で、俺は云々カンヌン……と同級生の値踏みに夢中の、人間達。
そんなやり取りに夢中の同級生を僕はどこか冷めた目で遠目に見てた。
その中に早くに離婚して幼かった二人の子供を育て上げた男がいた。彼はその中で一番上等な人生を生きてきたのが一目瞭然だった。
彼は他者を褒めちぎり決して人を値踏みしなかった。何より自分に対して『根本的な自信があった』のである……。
職業だの地位だの権威だの……彼にはそんな『チンケな条件』にかまける暇なんぞなかったからだろう。
最近二十歳内外の若い娘たちまでが結構深刻な悩みを打ち明けたり相談に来たりが増えた。様々の年代の男女が相談してくれるのは無条件に嬉しい……。
『こんな自分を使ってくれる』んだから…?
小学生の頃の僕の夢、理想は『シュバイツァー博士』のように困っている人を助けたい!!
だった。
今の現実はそれよりかなりスケールダウンしたけれど『少しばかりは人のお役に立てること』もある……。
僕は今の自分を好きである。