『他の人の言うことはどうでも良いのです!』……『あなたに変わって税金払ってくれる訳でもなし』……と。
その当たり前の道理がどうして?当たり前として通り過ぎて行かない?……のは何故?なんだろう。
絵空事の正義の論に怯え、相手の卑劣な心が分かっているのに、嫉妬、ヤッカミ故の中傷に酷く傷付いたりもする……。
その度に……どうでも良い?どころかマイナスしか運ばない……その人間の台詞、表情、心ない周囲の嘲笑……が心にへばり着き……何度も再現までしてくれる不思議である。
そんなこんなを……幾度も幾度も通り過ぎ生きて来ると……分かる?というより生きる条件としてまんま受け入れられる様になる。
『そんな事は忘れて❗』なるアドバイスがそんなシチュエーションではステレオタイプの慰め&励ましなんだけど……。
ソレが出来ないから悩んでる人に取っては、軽くスゥーっと通り過ぎていく通りいっぺんの言葉に過ぎないのである。
僕は逆のアドバイスをする。
怨みつらみにドップリ浸かってトコトン相手を憎み怒り続けなさい❗……と。
そんな時に、『適当にイイコなんかなるな❗』なのである。
そんな下らないシチュエーションさえ……キッチリ学ばなければ駄目なんである。
結論は寂聴先生が仰る通り。
その『当たり前』を自分の学びとするには『体得が一番』なのである。
怒り恨むのはエラクエネルギーを必要とする。疲れ果てクタクタになってもイヤイヤまだ足りぬ❗とエネルギーを振り絞って憎み恨み怒りなさい❗
……必ず精も根も尽き果てます❗必ず。
その瞬間……スコーンっと『寂聴先生の仰る当たり前』が頭の中に降り落ちて来ます。下らないけれど、『本物の当たり前』一つ学ぶのにとてもエネルギーを必要とする❗それが人間業の基本なのです。
その当たり前の効能は素晴らしく……先般から書いてきた『綺麗な正義』なんぞ絶対語らなくなる。他人事の小さいけれどその人に取っては大きな難儀、負担を見逃さなくなれます。
しつこく付きまとう悩みには……大きな意味がある❗
中途半端に逃げず、誤魔化さず、ましてや怪しいポジティブシンキングなんぞに逃げてはなりませんぞ❗……。
自分の人生はそんな小さな大きい悩みを体得していく内に……『自分のモノ』となっていくんだと思う……。