サンチョパンサの憂鬱

『十八番に飽きる事』って必要だと思う……

十八番……オハコだけど、人多く一度、旨い思いをしたらそれを多発してしまい何時しかその人の常套句、常套手段となってしまう……。

相手構わず同じ手口で挑むモノだから、何処かで上手の手から水を溢してしまうことになる。

自分に言ったのを誰にも彼にも演ってるを見聞きすれば……その効用は別にしてコイツ、誰彼なく軒並みだな?となる……。

上手く運んだ成功体験はともすれば、その人間を停滞させ堕落させる原因ともなるのである。

あなたにだけですよ!、オタクにだけですよ!……ってな手口が発覚すれば
その条件は別にして『正体見たよ!』となり……ガッカリである。

そうやって……ああいう人間、そういう人間と呼ばれる人間に成り下がってしまう人多く……その人も、また関わる人もとても哀しいモノがある。

コレまた『生きる横着』であり、自分に対する要求を止めてしまった事によって陥る堕落なんだと思うけど……。

生きてる限り、小作根性で結果ばかりを欲しがらず……プロセスに自分の成長と発展を求めなきゃ簡単に堕落の道に踏み込んでしまうって事なんだろうなぁ……。

良い意味で『飽きる能力』って必要である。自分に対してである。
よかれあしかれ……世の中は変化、進化し続けてる。
実現した事や方法論は、成就した途端、捨てる覚悟を持たなければ……。

人間は横着だから『味をしめる!』って事になる。
弁証法って奴だ。
蕾は蕾である事を自己否定して花になる。そして花である事を自己否定して実となる……だから美しい。

花のまんま立ち枯れて、命の途上でドライフラワーと化す?……不自然なのである。不自然なモノ、コトは美しくないのである。
思考は志向の意欲失えば直ぐ堕落を呼び込む諸刃の剣でもある。

元アイドル……美しかっただけに、その人、ドライフラワーとなれば、余計に痛々しくもある……。
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