サンチョパンサの憂鬱

迂遠と思えども……

正義は……必ずしも勝たないけれど、必ず最後に自然体の人に流れは行く……。

小器用に立ち回る事を避ける、または立ち回れない人は何時も割りが合わない想いをするものだ。

そんな人は目の前であからさまな手のひら返しを見ながらも為す術を知らず、分の悪い扱いを甘受するしかない。
そんな事が?当たり前の顔をしてのし歩くってのが……ま、世の中の通例である。

『今現在』というのは絶えず刹那に強い人間に有利を与えてる。
それ位……『今すぐ貰える有利』は魅力的であり人の理性を圧倒するものである。

そうやって理不尽であろうと『今、オイシイ』に目敏い人は、何時も絶えず『今の有利』をかき集めては先を急ぐ。
世の中の興味も今にスポットライトを当てて追い掛ける。

んで?……不思議な事に気が付いた。

そうやって何時も『今の勝利』を拾い集めてる人は……どうして何時も不幸そうな寂しい顔をしているのだろう?……と。

そんな人が過ごす時間を過去、現在、未來と繋いで一本の映画として見ればその原因がよく分かる。
そんな人達が過ごす時間には一切抑揚がないのである。

全ての時間がプラスと正義と正当で出来ており、マイナスも悪徳も不当も見当たらないのである。
そう……とても『不自然』であり人工的なのである。

未來を見る時……過去の自分の認識している悪徳はとても重要な働きをする不可欠の要素だ。
自分が犯した後ろめたさ何てのも自分を未来に押し出す為の原動力になる。

時の流れの中で、マイナス故にプラスに転じ、プラス故にマイナスを呼び込む要素となる。
それは自然の運びであり、自然な成り行きなのである。

今の自分の特別扱いが……先の凡人の特色の元となるのである。
理由は簡単で……その行動原理で動く人が多数派だからである。

多数派となれば、希少性を失い、アリキタリなキャラクターとなる。
詰まり、その人の価値は……少なくなる一方なのである。

自分に恥じない人足らんとすれば、時に苦しくマイナスの立場を敢えて引き受ける事にもなる。
それを避けて正義を主張すれば余りの無理がある。
それでもソッポを向いたら自分のメンタルが苦し過ぎる……そして間髪入れず良心の呵責って奴がやって来る。

だから苦しくとも自分の不利を招いてもマイナスを背負わなきゃならない時がある。
後になれば……何故か?それが正解なのである。

世の中は見ているって言うけれど、小器用な立ち回りがバレるとかバレないじゃなく……その人としての『当たり前の態度』が自然であり妥当なのである。

それが正解だったんですよ!……という結果をくれる迄に時間を要するのは、その人がご褒美の為じゃなく、『為すべき事』としてやるか?……試されているのだと思う。

短絡的な人間とか利己的な人は……今直ぐ報われる為に必要な時間を待てないのである。
未來の事など人間には予測不能なのである。

その時、理性と美学という羅針盤だけが頼りなんだと思う。
それが人間として『自然に運営する』為のスキルとなるのである……。

瞬間、刹那的に上手く演る人は、人生の映画を撮るためには……ド下手な救い様がない大根役者なのである……。
瞬間一発芸を羅列したって映画にはならないからである……。
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