高いプライスのモノばかりに全身をくるまれて鼻高々ってなニュアンスを振り撒いてたけれど……。
そんな彼等は品のあるなしよりも以前の問題、肝心の『自分が居なかった』のである。
そんなの何人観るよりも一年遅れのイタリアのフッション雑誌一冊見ればこと足りる風景だった。
その頃からだろうか?
『自分の感性で観て感じる事』をしない大人達がやたら増えた気がする。
『自己心記録を身にまとう❗』……なんてオヤジギャグ並のキャッチコピーでオーダースーツの内見会を催したのを覚えている。
今日、……久し振りに車で市内の川沿いを走った。
ずっと続く桜並木の下で三々五々お花見気分を味わってる人達がいた。
一人残らず?といって良い体で……誰もが桜の花にスマホを寄せて撮影に夢中な風景に……強い違和感を覚えた。
その写真は今日、SNSにアップしたら恐らく……もうみる事なんて無いんだろうなぁ?……と思いながら車を走らせた。
小さな小鳥が枝から飛び立った瞬間パッと鮮やかなピンクの花びらが四方に弾け飛び散っていった……。
なんてキレイなんだろう?……息をのむ瞬間だった。
桜に関する『自己心記録!』がまた一つ。恐らくその瞬間を僕は……長いこと忘れないだろうと思った。
コレから何かの瞬間に何度も何度も心のスクリーンに再現されるだろう素晴らしい瞬間だったのである……。
自分の感性と外界との関係は、そんな瞬間刹那に融合するモノなのだと思った。
スマホは何度でもシャッターが切れる。
しかし、そんな一期一会のシャッターチャンスには巡り会えないだろうなぁ?
肝心の自分の感性の印画紙に写し撮る事をもう少し重要視しなきゃ……心がカスカスになっちまうぞ?
インスタグラムアプリの中に積み重なってる夥しい数の記録の内、一体何枚が……心の中に残せてるのだろうか……?