サンチョパンサの憂鬱

観念的女の限界……(2)

昔、気紛れに……あるblogを覗いた話を前編で書いた。

セッションって奴をやってるらしく……
薬物事件のカヌー選手を上から目線でこき下ろしてた。

何でこんなのがセッションとやらやって中身スカスカの話で人を(カネを) 集めるんだろう……と考えたら……『お手軽&お手頃』というワードが浮かんだ。

この手の女に共通するのは……自分の中にある毒を、イイ歳して知らないということだ。

自分の毒が吹き出して来るまで自分を問い詰め、追い詰めたことがないのである。

こんな女の話は、例に漏れず、観念のオンパレード。想像力なんてどっかで仕入れた言葉を使いながらも、この女の言う想像力は観念そのものなのである。

こういう女は、自分の弱さとか汚さを語れない。
そこへ行くまでに必ず逃げて引き返しているからである。

弱さを通過した強さとか七転八倒しながら自分の悪徳と勝負してなんとか導いた正義感なんてモノがないのである。

だから観念に流れるしかない。
自分の悪徳に悩み、自分の汚さに嫌悪しながら何とか踏み留まってる自分なんて居ないのだから語れない。

それで良いんです?ってか?……ポジティブって悩まない事じゃない。悩みを通りすぎる勇気を持つことなんだけど……自分を許した様にそのまんまOKてなもんである。

ま、早晩……エセの綺麗事は終わる。

こんな女が、あっと驚くハレンチ沙汰を起こすのは……自分の汚さ、弱さを認めず観念的綺麗事で済ませながら自分の毒やテーマと向き合わずに生きているからである。

そのblogを覗き終わって思った。
本当に悩めるってことは結構幸せなんだなぁ……って。
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