サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……本性とはいうものの?

先般……人間の本源的性質?について荀子の性悪説をもっての御高説を拝読させて頂く機会があったけれど……。

人間の『本性は悪』だから……ルール、教育によって『矯正・改変』するしか人間に善を守らせる事は出来ない?

荀子さんは『秩序が保たれている状態』を善とするスタンス……。紀元前の話だから、かなりの強制力と信賞必罰による『善の維持』を唱えている。

今で言う富の分配も……『礼(階級)』つまりヒエラルキーに則って粛々と行う事を主張している。
ま、何を以て善とするか?悪とするか?となれば諸説フンプンややこしくなる。

長く奴隷船に乗り奴隷貿易で財をなしたイギリス人のジョン・ニュートン。 
彼は……家畜以下の扱いを受け時に命を失う奴隷の人達を日々見ながら何の疑問を抱くこともなく何年間もその仕事に従事。そして儲けていた。

ある日、海難事故に遭い奇跡的偶然によって命が助かった事を契機にして彼は船を降りる。
ソコから六年間を経て牧師となった。

そして……かの有名な讃美歌『アメイジング・グレイス』を作った……。今もなお歌い継がれ人々の心の拠り所となる歌……である。

彼は誰かに勧められて教育を受けたんじゃなく、ルールを強制されたのでもなく自ら『気付き』を得て『自らの意志で神学』をチョイスしている。

また、この例を以て議論などしたくない事を先に申し上げて……おきますね?
性悪、性善……どちらの要素も人間の中には潜んでいる……と思う一つの例に過ぎませんので。

奴隷運搬船に乗っていた多くの乗組員達は九死に一生を得るという同じ体験をしたけれど……『悪徳に気付けた』のは彼一人かもしれない?
彼一人を以て人類は性善である?なんて言うこともまた出来ない。

人間界が『悪魔百%』か『神様百%』の何れかで作られているのなら?人間には悩みなんて一つも無い!とても分かり易い世界になるだろう。

時に悪魔が、時に神様が気紛れに顔を覗かせる中途半端さ故に……諍(いさか)いは常に起きる。復讐劇も仕返しも恨み辛みも暴力も日々生産されるのである。

僕は先日、『得る事の喜び』だけでは際限の無い欲得の世界であり、継続的な幸福感を味わえないと主張するコラムについて書いた。
『与えること』によって初めて人は安寧と幸福感を得る?という概要だった。

結構長く生きると……それは綺麗事なんかじゃなく……『自然で落ち着ける価値観』として感じたのだった。

人間は悪魔じゃなく……かと言って『神様・天使』でもない……。
その『時に悪魔の様な?、時に神様の様な?』
曖昧模糊として正体を突き止められない生物故に……人間は生きていくことに苦しみ、喜ぶのだと感じるのである。
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