サンチョパンサの憂鬱

沈黙のプロパガンダ

哀しき『間違わない人』が生産される原因は何をおいても『間違いパニック』だと思う。

世の中で一番小心者で極端な権威主義者であり安全第一の人……そんな人が教師には多い。

彼等は自分の落ち度にパニック的に対応してしまう。一番避けたいのが間違う事だからである。
何時しか言い逃れしてまで自分の安全を確保する事に専念する様になる。

一方で教師の多くは自分が純粋な教育者と信じたがるし、そう演技もする。

しかし子供達はなめたもんじゃない。
教師の言葉の端々にイイコで居て従順であれという意図を感じ取り自分の言動、行動の制御を学ぶ。

そうやってまた自らの正当性の確保を第一の目的とする人間が育っていく。
正当性を、確保するのに一番の注意事項は『バレないこと』である。

そういった間違わない人が振りかざす正義は普通一般の正義とは少し趣を異にする。

彼等の基本コンセプトは正義の人で在れというんじゃなく『正義の人に見える様にしろ』というものである。
だから土壇場まで諦め悪く詭弁そのものの言葉を駆使して正当性を主張する。

『イジメは無かった!』なんてのがこういった人種の常套句となっていく所以である。

私は間違えました!という受容・自認によってのみ自分の悪徳、罪は浄化される。

しかし、間違わない彼等は何時まで経っても自らの中で落ち度や間違いが消化されずに麻薬物質の様に残存し続ける。

彼等の自信喪失と自己否定はそうやって形成されていく。
そういう図式で彼等が生きていくから
彼等の強弁詭弁は麻薬と同じ様にエスカレートしていく定めにある。

良い年をした校長が余りにも子供染みた嘘に走る様になるのは当然の帰結と言えるのである。
自分のコンセプトで自分を律した事がなくひたすらに『人の目による管理』で間違わない人を演じ続けたことによるそれが彼等の集大成なのである……。
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