戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

師団長の玉砕の命令を受けたのが八月十五日の昼

2015-08-15 10:08:13 | 日記
8月11日~12日の連続迫撃砲の砲撃を受け翌13日は飛行機による陣地爆撃が予定の敵の攻撃パターン、いよいよ来るものが来たかと観念し、12日夜半に手元にいた軍医に後方の連隊本部に単独で報告に派遣、入れ違いに連隊本部の軍曹が夜半を利用し即撤退せよの命令を持参した。10日以上蛸壺陣地に蟄居しており、体力の消耗も予想以上で、闇夜を前を行く人を見失わないよう撤退を始めたが、途中Ⅰ名見失い、呼べど探せど遂に見失う。翌日案の定今まで居た陣地のは猛爆撃を受け、椰子の木もなくなるはげ山となる。改めて新陣地守備を命ぜられ、移動を開始、途中8月15日昼師団長より今度の陣地守備で玉砕せよと訓示され命ぜられた。訓示終了後、俄かに砲撃音、銃撃音が静かになり、敵の飛行機よりは「伝単」(中国語)宣伝ビラがまかれ、日本の敗北の情報がながれる。真偽定かでなく、戦闘音が激減した事実が何とも言えぬ不安を覚え、つい数日前に戦死した部下の死をあらためて嘆かざるを得ないやるせなさを今更ながら思い出す。一番暗い憂鬱な時間が戦後70年と言うが、つい今まで共に戦ってきた時間に引き戻される。戦争の無慈悲さが、敵も同じ思いで、人間として、止めなければならない。戦場は東部ニューギニア。