
武家蔵



本殿の隣りにあります。











人吉城三の丸から官軍砲台を望む












相良家家老・新宮家の屋敷跡です。
人吉一番隊小隊長・新宮嘉善の自宅で薩軍幹部の宿舎として使われました。
嘉善の父は官軍参謀・新宮簡で明治10年6月1日の戦闘では薩軍の宿舎という情報を得ると砲隊に自宅を砲撃するように指揮します。
親子が敵味方となった悲しい話ですね…


老神神社
西南戦争の弾痕が残る神社です。

本殿の隣りにあります。









人吉城
人吉隊は人吉城三の丸に山砲を担ぎ上げ、村山にある官軍と砲撃戦を展開します。

しかし、人吉隊が放った砲弾は射程距離が足らず、官軍には届かなかったとのことです。

人吉城三の丸から官軍砲台を望む
(写真中央の小高い台地が官軍砲台跡です。)


戦死之碑(林鹿寺)
西南戦争後、元人吉隊の新宮嘉善を発起人として西南戦争殉難者の戦死之碑建設計画が持ち上がり、この寺に建立されました。




青井阿蘇神社
5月3日薩軍は決戦を前に戦勝祈願と閲兵式を行い、剣舞や相撲大会を開催しました。


戦死之碑(大信寺)
6月4日薩軍から離脱した人吉隊260名は官軍に降伏します。
大信寺は裁判までの人吉隊の拘置所となりました。
境内の山門脇に西南戦争での戦死者を偲んで戦死之碑が建立されています。




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