延岡市で新たに巡った史跡を紹介します。
この沢の奥に野営した場所があります。
本殿右側の小さな祠横にあります。
祠の横にひっそりと建てられています。
岡富官軍墓地
台雲寺に岡富官軍墓地があり、東京府士族・高橋種文の墓が一基あります。
墓石には9月22日に死亡とありました。
その日は鹿児島の城山で総攻撃が始まる2日前。
官軍のほとんどが鹿児島にいたはずなのに高橋種文がどこで死亡して、なぜ延岡に埋葬されたのかわかりません。
戦国時代末期から江戸前期にかけて延岡の領主だった高橋氏と何か関わりがあるのでしょうか?
名前に種が付く共通点もあります。
ご存じの方がおられましたらご教授お願いします。
今山招魂碑
延岡士族によって編成された延岡隊。
各地での激戦で多くの戦死者を出しています。
生存者有志にて大正5年に建立されました。
裏面には戦死者80名が刻名されており、慰霊祭も行われています。
西郷隆盛露営之地 地蔵谷
可愛岳突囲を果たした薩軍は8月18日夜にこの谷の上流(ここより約4km)に露営して一夜を明かしました。
いつか地蔵谷に行ってみたいですね。
この沢の奥に野営した場所があります。
牧野会長のブログで地蔵谷の詳しい説明がありますので読まれて下さい。
西郷隆盛宿陣跡 小野熊治宅
薩軍は地蔵谷から祝子川に出て、祝子川沿いに上流へ進みます。
途中で第一旅団川崎少佐が率いる部隊が向かっている情報を得たので待ち伏せして撃退。
そのまま上流に進み上祝子にある小野熊治宅で宿陣しました。
西南役烈士之墓
北川町川内名の天満神社内にあります。
天満神社の前にコミュニティバスの本深瀬バス停があるのでわかり易いです。
宮崎埋蔵文化センターの西南戦争遺構担当者に尋ねましたがこの墓の存在も知らないと言われました。
いろいろと調べましたがわかりません。
川内名では薩軍奇兵隊と熊本鎮台が戦闘していました。
官修墳墓ではないので薩軍兵士が埋葬されていると思われます。
ご存じの方がおられましたらご教授お願いします。
本殿右側の小さな祠横にあります。
祠の横にひっそりと建てられています。
山縣有朋中将陣頭指揮の地
明治10年8月15日和田越決戦において山縣有朋がここ樫山に官軍本営を置き、陣頭指揮をとりました。
西南戦争で西郷隆盛と山縣有朋は和田越決戦で初めて陣頭指揮をとって戦いましたが
樫山には塹壕も残っているようですが今回は行けませんでした。
くりごし峠
旧日豊街道です。
明治10年8月12日西郷隆盛はここを通り北川の吉祥寺に向いました。
薩軍奇兵隊本営跡
豊後方面に進軍した奇兵隊がここ熊田に本営を置いています。
現在は北川総合支所になっています。
和田越決戦時には官軍の熊本鎮台が熊田に牙営を置いています。
官軍・中西太平供養塔
北浦町の陣ヶ峰展望所には三川内で明治10年7月13日に戦死した官軍遊撃兵士・中西太平の供養塔が故郷石川県に向けて建立されています。
この供養塔は中西太平の一族が建立したものです。
中西太平の遺体は佐伯岡の谷招魂所に埋葬されています。
【三川内での戦い】
7月11日重岡にいた熊本鎮台・谷少将と第一旅団・野津大佐、児玉少佐は仁田原の薩軍は守備が堅固なので佐伯より後備第四大隊の二中隊と警視四番一小隊を黒沢から三川内に進軍を命令しました。
援隊として後備第四大隊の二中隊と警視六番一小隊も向かわせています。
7月12日後備第四大隊の二中隊は石神峠から三川内に向い、警視四番一小隊は石神峠を大きく迂回して三川内に突入しました。
三川内を守備していた薩軍は中津隊の増田隊一小隊・宮崎で募集した農兵の宮崎隊・その他絞兵(絞兵は一隊より十名或いは数名を抜いた兵)でした。
官軍の襲撃により三川内の薩軍は守備できず劣勢でしたが陸地(かちじ)より奇兵十六番・十九番・二十番と大原越から奇兵三番が援隊として駆けつけます。
それにより三川内では数日激戦が繰り広げられました。
この戦闘で中西太平も戦死したのでしょう。
児玉安治宅跡(西郷茶屋)
明治10年8月11日延岡市東本小路の原時行宅(現在延岡税務署)を出た西郷隆盛は北西に少し歩いた豊後口より川舟で五ヶ瀬川を下り東海に出て、北川を上りますが増水のため舟にて夜を明かします。
翌12日午前11時児玉安治宅で休憩・昼食をとり
、徒歩で北上して吉祥寺に向いました。
山田顕義少将宿営之地跡
官軍別働第二旅団司令の山田顕義が宿営した中條宅です。
元々この墓は五ヶ瀬川を挟んだ三福寺の墓地にあって、官軍墓地として明治政府からも管理費が支払われていました。明治42年に同じ場所にあった内藤家墓地が、五ヶ瀬川改修工事のために延岡城内に移されているので、そのタイミングで高橋さんの墓も現在の場所に移されたのかなと考えています。
警視局員ということは警視隊の方なんですね。
そして墓は三福寺から台雲寺に移されているのですね。
貴重な情報ありがとうございます。
新たな情報を得た時はまたご教授お願い致します。