大願寺
この寺には野村忍介が進軍して薩軍司令部を置いています。
野村忍介は大願寺を中心に東は高尾野から西は原水まで大津の台地上に守りの陣地を帯状に築きました。
大願寺の楼門
楼門前は豊前街道です。
大津町激戦地跡
明治10年4月20日に城東会戦が行われました。
熊本城の包囲を解いた薩軍は益城町の木山に本営を置きます。
木山本営を中心に最右翼は大津町、最左翼は御船町まで約20kmの防衛線を築きました。
最右翼の大津町には野村忍介隊、飫肥隊、中津隊らが官軍の第一、ニ、三旅団と激戦を繰り広げています。
高良から室町字出口で23時間にも及ぶ戦闘があり、大津付近での官軍戦死者は700名以上という激戦でした。
最大の激戦地は大谷地区・穴迫地区・高良地区だったようです。
現在、激戦地跡には遺構が残ってませんが案内板があります。
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