薩軍本陣の跡
熊本城を包囲していた薩軍が福岡より南下する政府軍を阻止すべく明治10年2月25日桐野利秋率いる4番大隊と熊本協同隊、延岡隊が山鹿に入りました。
桐野利秋はここに本陣を置きます。
長源寺
ここは薩軍野戦病院跡です。
山鹿には薩軍の野戦病院跡が2ヶ所あります。
山鹿市街地より北の山鹿口や北東の鍋田での激戦で負傷した薩軍が運び込まれました。
長源寺には運び込まれて絶命した方や戦場て倒れてここに葬られた方の墓が40数墓あったと云います。
戦後薩摩から近親者の方が尋ねて来て遺骨を持ち帰ったそうです。
光専寺
山鹿にあるもう1つの薩軍野戦病院跡です。
光顕寺
ここは飫肥隊の本部と野戦病院があった場所です。
飫肥隊は3月12日、15日の激戦で鍋田東の墓地及び松林を死守しました。
その時、第2小隊隊長の高橋元安以下数十名の死傷者を出します。
戦死者はこの寺に葬られ負傷者は本堂で看護されました。
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