
五ヶ瀬町の浄専寺











西南戦争で明治10年8月15日延岡の和田越ノ戦いに敗れた薩軍は8月17日長井村俵野より可愛岳を越え三田井(高千穂町)から鹿児島を目指しました。
浄専寺には可愛岳突破で戦死、或いは力尽きた薩軍兵士達の慰霊碑が建立されています。
ここには明治10年5月三田井方面での戦闘で戦死した薩軍兵士が埋葬されているようです。
【浄専寺過去帳】三ヶ所史 村のおもかげより
鹿児島懸大隅國姶羅郡山田郷 士族 満尾太十郎 正義七番中隊左小隊、三番分隊、兵士 熊本懸内 馬見原にて戦死 明治十年丁丑 五月十四日
同懸同郡同村 同中隊同分隊 士族 永岩助左衛門 同日同所にて戦死



五ヶ瀬町の専光寺
薩軍が宿泊した本営跡。
専光寺は鏡山の攻防戦でも薩軍本営が置かれていたようです。
明治10年8月15日和田越決戦で薩軍敗退、薩軍解散後8月17日午後10時に官軍が包囲していた俵野より可愛岳突囲戦を経て可愛岳北西尾根から和久塚方面へ尾根沿いを進みます。
その後、主要道路を避け、上祝子~鹿川越~上鹿川~鹿川峠(山浦峠)~湾洞越~三田井(高千穂町)~徳別当~小谷内~杉越と険しい山々を進み8月22日(旧7月13日)西郷隆盛以下薩軍少将ら56名が坂本のこの寺に宿泊しました。

その他薩軍兵は近くの民家の軒下などで休み、露営する兵も多かったようです。
護衛で見張りをしていた兵士は門前で抜刀して立っていたとのことです。
翌日未明に官軍が接近している報告を得たために鹿児島を目指して飯干峠へ出発しています。
朝、住民が目覚めた頃には薩軍兵の姿は消えていました。
※専光寺も5月の三田井方面での戦闘で薩軍兵士が埋葬されています。
【専光寺過去帳】三ヶ所史 村のおもかげより
旧四月三日 鹿児島懸志布志郷 士族 竹之下重市 肥後國馬見原の上に於て戦死
旧四月四日 鹿児島懸 池上森蔵 同 馬見原の上鏡山に於て戦死
旧四月十二日 鹿児島懸大隅國末吉郷 花木筑兵衛 日向國高千穂三ヶ所内室野村に於て戦死







とにかく貴重な歴史の記載を現地写真を沢山使用され、素人の私でも非常に解り易く、感謝してます。
自分が理解できる内容で書いてますので一般の方には解り易く読まれるのだと思います。
(なんせ無学ですので…)
玉東町、玉名市、鹿児島県内とこれからも更新予定なので宜しくお願い致します🙇🏻♂️