日之影町では明治10年6月24日から8月11日までの間、薩軍と官軍の戦闘がありました。
薩軍は総司令・池上四郎で正義隊・奇兵隊一部・中津隊・佐土原隊・延岡隊・高鍋隊・佐伯隊・農兵隊が三田井(高千穂町)から進軍する第一旅団を食い止めます。
新町を拠点に中村、大楠、大菅、白仁田で塁を築き第一旅団の進行を阻止しました。
7月4日官軍は一部の部隊を迂回させて新町に侵入し、5日に中村、大楠の薩軍に対して背後から攻撃を仕掛けて薩軍は敗走することになります。
薩軍は後退して椎畑に拠点を移し網瀬川沿いに守備線を巡らせます。
膠着状態の両軍でしたが官軍が8月10日攻撃を開始。
8月11日薩軍は更に後退してしまい官軍は椎畑を攻略しました。
連日の大雨で川は増水しており、薩軍・官軍共溺れる兵士が多かったとのことです。
【西南戦争史跡】
薩軍が銃の練習で使ったとされる石
現在はコンクリートで補強されています
比叡山激戦地跡
8月10日・11日に官軍と延岡隊が戦闘しています。
現地には案内、説明文もなかったです。
ここへは綱ノ瀬川沿いを上るのだが道が狭く対向車が来ないかヒヤヒヤしながら運転しました。
西南の役古戦場 大楠台場
この台場は薩軍党薩諸隊の延岡隊が構築しています。
看板上の山に塹壕が残っていました。
北側に対して土塁が3ヶ所築かれています。
こちらの塹壕は西側に築かれており、三重の土塁になっています。
三重の土塁は初めて見ました。
外側の土塁は低いのですが真ん中と奥の土塁は高さが1mほどあり、立射ができる土塁です。
かなり堅固に築かれた塹壕でした。
つつじがくま官軍陣地跡
ここには官軍(第一旅団)が陣地を構築したようです。
詳しい説明がないので明確な内容は分かりません。
標柱後ろの山に上がってみます。
歩き回ったのですが残念ながら痕跡はありませんでした。
官軍陣地跡の標柱は他の史跡3ヶ所も書かれてます。
とにかく、吃驚と嬉しさで一杯です。
西南戦争史跡は結構狭い場所や山中にありますので行ける範囲で行かせていただいてます。
内容を充実していきたいのでこれからもご教授よろしくお願い致します。
延岡隊が死守した場所でもあるのですね!
もっと勉強していきます!