ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩湖南岸の散歩道 2/4 ――― 奥多摩湖いこいの路をさなぎ沢出合まで

2015年10月06日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  山のふるさと村からがいよいよ奥多摩湖いこいの路のスタートだと言うのに、思いのほか時間がかかってしまいました。のんびりと歩いていいのは当然なのですが、いこいの路だけでも12kmあるので、歩は進めなければなりません。


▲ここが奥多摩湖いこいの路のスタートライン。11:24ころ。


▲奥多摩湖南岸の東半分がほぼ奥多摩湖いこいの路です。11:24ころ。


▲ちょっとした広場にベンチがあったので、はや休憩。11:35ころ。


▲階段を上がって行くと、「リスの広場」へ行くそうです。熊よけ用の鈴などを付けてくださいと書いてあったので、僕たちも鈴を付けました。11:47ころ。


▲栃の実の殻がたくさん落ちていました。リスとかが殻を割って食べたのでしょうか? 11:51ころ。


▲フシグロセンノウ(節黒仙翁)。茎の節のところが黒褐色なのでこの名前があるようですね。仙翁の方は京都嵯峨の仙翁寺(せんのうじ)で初めて見つかったとかで、付いた名前のようです。11:52ころ。


▲落沢にかかる橋。11:57ころ。


▲橋から上流を眺めると、堰堤が連続しています。この沢は去年の7月に遡行しています。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/4eec9772f638e96c66a00b6144a8569c
を参照してください。
まずは左側(右岸)から巻いて入渓します。11:57ころ。


▲落沢橋を通る数分前に逆方向からの登山者と出会いました。彼が言うには「落沢橋手前でサルに会いましたよ」とのこと。「手前」と言うのがどちらから見て手前なのかは聞きそびれましたが、熊鈴を外し、心の準備をして通っていました。すると、いました! 肉眼では見えるのですが、なかなか写真が撮れる場所ではありませんでした。かろうじて撮れたのがこれ。落沢出合の湖畔で遊んでいました。12:00ころ


▲前の写真を拡大したのがこれです。この2頭でじゃれ遊んでいました。


▲小さな沢がありました。12:03ころ。


▲この沢はエイ沢かと思います。12:06ころ。


▲エイ沢の上流です。沢歩きが出来れば上出来でしょうけれどね。12:06ころ。


▲黄色い星印を4つ付けましたが分かるでしょうか。その星印の下にサルがいるのです。暗い林の中なので、移動中のサルが薄ぼんやりと写っています。分からないですよね。12:09ころ。


▲サルとの出遭いも楽しんで、再び熊鈴を鳴らしながらのどかな湖畔歩きを続けます。12:12ころ。


▲蛾がいたので撮ってみました。名前は分かりません。12:16ころ。


▲ネットで調べてみました。これがタマゴタケなんですかね?! これが食べられると言われても、食べる気にはなりませんね。キノコ博士のお墨付きをもらわないと。12:17ころ。


▲また沢がありました。12:19ころ。


▲小さな沢ですけれど、少し水が流れています。すぐ先で山の斜面に消えていっている沢です。12:20ころ。


▲麦山の浮橋が見えました。12:23ころ。


▲ちょうど10kmと2kmの地点です。200mおきにこのような距離メーターが設置されています。12:27ころ。


▲さなぎ沢です。橋も見えています。12:28ころ。


▲さなぎ沢の上流には金属製の堰堤がありました。さらに上流はどうなっているのでしょう? 遡行対象にはなりえないでしょうね。12:29ころ。


奥多摩湖南岸の散歩道 1/4 ――― 麦山の浮橋から山のふるさと村まで

2015年10月03日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  前回の山行は腰痛の回復度を測るチェック山行でした。本来であればもう一段階レベルを上げた山行を計画するはずだったのですが、S子の右足の状態がいまひとつでした。階段を下る際に、痛そうにしています。と言うわけで、下りのあまりないコースを探したわけです。御岳山や高尾山周辺ならケーブルカーで下ることができます。S子が右膝を骨折し、リハビリ山行をやり始めたころにはそのあたりの山域をよく歩いたものです。
どこのコースを歩こうかと、いろいろ検討していると、奥多摩湖いこいの路が開通したとのニュースに接することが出来ました。このコースは台風やらの影響で不通になっていることが多かったですから、こんな時がこのコースを歩くチャンスだと思い、奥多摩湖いこいの路へ行くことにしたのです。

今日の全行程は15kmくらいでしょうか? 最初は小河内神社前のバス停から山のふるさと村までの約2.5kmです。


▲今日も家をゆっくりと出ました。バス停を降り、麦山の浮橋へ向かいます。10:06ころ。


▲麦山の浮橋です。10:07ころ。


▲昔はこの橋のことを「麦山のドラム缶橋」と呼んでいました。僕もそう言ってました。でも、今ではドラム缶は使われていません。写真のようなポリエチレン製の浮子になりました。10:08ころ。


▲途中に二ヶ所ほどだったでしょうか? このような浮き輪が設置してありました。使い方も何となく分かりますが、パニクっている状況でもあるでしょうから、使用法を図示しておいてくださると助かりますね。10:11ころ。


▲対岸の階段です。小河内ダムが出来たことによって、対岸とは湖で分断されてしまいましたから、対岸との生活道としてドラム缶橋が設置されたんだそうです。10:12ころ。


▲麦山の浮橋から山のふるさと村まで、このような「湖畔の小道」が湖畔沿いに付けられています。2.1kmあるそうです。10:22ころ。


▲アザミの花も種類が多くて名前を判別するのが難しいですね。このアザミを調べてみました。紫色の花の下の総苞片と言うのでしょうか、それが長いのが特徴です。
どうやら「モリアザミ」のようです。「やまごぼう」という商品名で漬物として販売されているものの正体がこのモリアザミなんだそうです。このブログでも取り上げているヨウシュヤマゴボウやヤマゴボウは有毒ですから、間違えないでくださいね。
花に止まっている蝶はイチモンジセセリ(一文字挵)。「挵」なんて漢字、初めて見ました。「もてあそぶ」とか「いじくる」とか「ひねくる」とか「せせる」とかの訓読みがあるようです。「せせる」の意味も分かりませんよね。「尖ったもので繰り返しつつく」とか「箸で食べ物をあちこちつつき回す」などの意味があるそうです。
どうやら花の蜜を吸うときの様子が「せせる」感じに例えられているのでしょうか? 10:25ころ。


▲クルミの実がたくさん落ちていました。10:31ころ。


▲ツリフネソウ。10:35ころ。


▲これもツリフネソウ。蕾や種になったものも見えますね。10:37ころ。


▲倉戸山1169.3mかな? と思います。10:38ころ。


▲昔のドラム缶橋の残骸なんでしょうか? 枠に止まっている鳥はカモでしょうけれど、何ガモなんでしょう? 10:39ころ。


▲このキノコが実にたくさん生えていました。名前は分かりません。10:44ころ。


▲これも分かりません。10:45ころ。


▲サルノコシカケなどと同様、硬くて木質なキノコです。似たのは図鑑に載っていましたけれど、自信はありません。10:46ころ。


▲きょろきょろと周りのものに目をやりながら、思いのほか時間をかけつつ歩いています。10:52ころ。


▲白くて綺麗な、美味しそうな姿のキノコ。10:53ころ。


▲先月の8月6日にヌカザス沢へ行った際に、最初間違えて入渓した沢です。イヨ山へ突き上げている山梨窪(やまなしくぼ)です。10:56ころ。


▲橋から上流部を眺めました。この沢の様子は http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/face9f9d626afa9dd660c6a0798cd16d
の前半で書いておきました。沢登りの対象にはなりません。10:56ころ。

今日、この奥多摩湖いこいの路を歩く目的のひとつは、遡行対象になりそうな沢があるかどうかを調べることです。東側から水窪沢、天神沢、京道沢(手沢となっていることもある)、落沢、岫沢、山梨窪には入渓したことがあります。小さな沢ばかりですが、ちょっと楽しむのにいい沢があれば儲けもの!


▲また、沢に橋が架かっていました。11:02ころ。


▲でも、水は流れていません。遡行対象にはなりません。11:02ころ。


▲山のふるさと村が近づいて来ました。広い河原(湖畔?)があって、人がたくさん遊んでいました。橋が架かっている沢は岫沢(くきさわ)です。現在、山のふるさと村があるあたりに昔は岫沢という名の集落があったようなのです。11:04ころ。


▲奥多摩湖が出来る前なら、岫沢もそれなりの長さだったのでしょうが、今では写真の堰堤のすぐ上までしかありません。堰堤の上で、本流はサイグチ沢、右の支流はヌカザス沢に名前を変えるのです。11:06ころ。


▲岫沢の河原です。遠くに見えるなだらかな山頂は倉戸山、その左は榧ノ木山1485mかと思います。11:05ころ。

ここからすぐのところに、山のふるさと村があります。詳しくは http://www.yamafuru.com/
で見てください。僕たちはここでトイレを使わせてもらいました。この施設内を通過することはたびたびありましたが、今回立ち寄ったところにはレストランがありました。こんな立派なレストランがあるとは! 知りませんでした。


腰痛の回復度チェック山行 2/2 ――― 日の出山から上養沢へ下山。最後に出遭ったのは?

2015年09月30日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/12  腰の状態が悪くなってから、一ヶ月ほど経過しました。少しは良くなってきた腰が軽いハイキングにどの程度耐えられるかをテストする山行です。日の出山山頂に到着するまでは問題はありませんでした。


▲晴れて空気が澄んでいると、スカイツリーも見えるのですが、今日は無理ですね。人ごみの山頂は早々に退却です。13:32ころ。


▲いつもはここから御岳山方面に向かうことばかりでしたから、この登山道を最近歩くことはありませんでした。それがいつの間にか、こんなに幅広くて大掛かりな階段の登山道になっているとは! 階段は嫌いです。13:38ころ。


▲麻生山794mが見えています。昨年の2月10に金比羅尾根をS子と二人で歩きました。あの大雪の後です。このあたりを18:40ころに通過しています。もちろんすでに真っ暗。御岳山方面へ向かう予定だったのですが、この付近でつるつる温泉へ下山するよう方針転換しました。時々、無茶をしますね。反省。13:58ころ。


▲山のハギは満開になることもなく、控えめに咲いています。13:59ころ。


▲シラヤマギクかな? こういうキク科の花は区別が難しいですね。花に止まっている甲虫はコアオハナムグリ。14:00ころ。


▲ヤマジノホトトギスに今日は数え切れないほど出会いました。14:03ころ。


▲タテハチョウの仲間だとは思ったのですが、名前は知りませんでした。ネットで調べると、ウラギンヒョウモンですね。裏側しか写せなかったので、上から翅の表側を写そうとしたのですが、飛び去ってしまいました。14:04ころ。


▲キンミズヒキです。他にミズヒキやギンミズヒキがありますが、キンミズヒキはバラ科、後の二つはタデ科なんですね。14:05ころ。


▲花がコウヤボウキに似ていますが、コウヤボウキはその枝で箒を作るくらいですから木。この花は草のようですね。調べると、カシワバハグマ(柏葉白熊)。葉が柏の葉に似ていて、花が白熊(はぐま)に似ているから付いた名前だそうです。はぐまとは仏具で払子(ほっす)のことだそうです。ヤクの尻尾で作るのだそう。昔からチベットとの交流があったのでしょうかね? 14:10ころ。


▲暗くなってきているので、写真が少しぶれています。このあたり、岩壁になっていて、急な下りでした。おそらくは石灰岩でしょう。近くに鍾乳洞があるくらいですから。14:24ころ。


▲鍾乳洞小屋はなくなっていたのですね。知りませんでした。鍾乳洞が閉鎖されたことは知っていましたが。14:36ころ。

一度、養沢鍾乳洞へ入ったことがあります。ずいぶん昔のことですが。
ここに建っていた小屋でお金を払い、ヘルメットと懐中電灯を借ります。さほど大きな鍾乳洞ではありませんが、平面的な鍾乳洞ではなく、けっこう3Dな鍾乳洞ですし、腹這いにならないと潜れないような狭い箇所があったりもします。なかなか楽しい鍾乳洞でした。
その時は、途中で借りた懐中電灯が消え、一人で来ていましたから、真の暗闇にたった一人取り残されてしまいました。一歩も動くことは出来ません。幸運にも他の入洞者が来てくれましたから、一緒に外に出ることが出来て、助かりました。


▲養沢川の支流に沿って登山道を下ります。14:45ころ。


▲最後の休憩を沢の流れの横でしていると、S子が「何か動いてる!」と言います。僕からは全然見えませんでしたし、それがクマだと嫌なので、口笛を吹いてみました。するとS子が「いやだ~っ! こっちに来る!」と逃げ腰になってます。僕もやっとその動いている獣を確認できました。すぐ近くをこちらへ下ってきます。突然のことなので少々恐怖感もありましたから、「ひょっとしたらクマかも」という思いもあります。でも、クマではないことはすぐに分かりました。ひと安心。一瞬、犬のようにも思えました。それはそれでかなり怖い! でも、犬ではないこともすぐに分かりました。ニホンカモシカです! ニホンカモシカ! 15:02ころ。


▲じっとこちらを見ています。山でニホンカモシカと出会うと、いつもそうです。じっとして暫くこちらを凝視し続けます。
山の斜面を降りて来て、山道で立ち止まり、僕たちを観察しています。僕はカメラを構え、まずは一枚撮り、望遠にしてもう一枚撮りました。その間、ニホンカモシカはじっとしています。15:02ころ。


▲それからおもむろに、降りて来た山を登り返して行きました。山の向こう側に姿を隠す直前にも、振り返ってこちらをじっと凝視します。15:02ころ。


▲舗装道路に出ました。15:19ころ。


▲登山口には公衆トイレもありました。「柿平園地便所」と記してありました。15:20ころ。


▲昔のいろいろな碑が集められていました。いちばん向こうにはお地蔵さまも。15:37ころ。


▲上養沢バス停です。次のバスの時刻が16:35ですから、次のバス停まで歩くことにしました。15:43ころ。

すぐそばのバス停は「大岳鍾乳洞入口」です。


▲養沢神社がここにはあります。こんな石像があったかどうかは記憶にはないのですが、龍の石像がありました。こちらは海の龍。15:57ころ。


▲こちらは山の龍? 15:57ころ。


▲養沢神社です。右の巨樹はとちのき。神社の右にサルギ尾根の登山口があります。昔は踏み跡程度だったサルギ尾根も今ではしっかりと標識付きの登山道になっています。15:57ころ。

武蔵五日市馴染みの「音羽鮨」で打ち上げをしました。


▲最寄り駅で降りて、自宅へ向かうと、お祭でした。20:18ころ。


▲道路を何キロも交通規制して、一晩中お祭は続きます。20:19ころ。

腰痛の回復度をチェックするための山行でした。その結果報告です。
下山後は特に問題はありません。翌朝は、腰回りが筋肉痛になっていました。筋肉痛であって、腰痛ではありません。でも、何でもない頃にはこんな風に腰回りが筋肉痛になるようなことはなかったわけですから、やっぱり腰痛の影響ではあるのでしょう。
翌々日も、より筋肉痛が酷くなっていました。まあ、年齢の影響で二日目くらいに最も影響が現われますから、これは想定内ですね。そして、三日目以降は元に戻りました。
完全に腰痛が治ったわけではありませんが、かなり回復しているようです。


腰痛の回復度チェック山行 1/2 ――― 日向和田駅から日の出山へ

2015年09月27日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/12  前回8月6日にヌカザス沢へ行って幾日か経ってから、急に腰痛が発症しました。もともと30歳ころに腰を痛めて、腰痛持ちではあるのですが、今回の腰痛はそれとは症状も違いますし、原因も別なところにあるみたいです。とにかく、朝に目が覚めると痛くなっているのです。そおっと、腰を捻じったり曲げたりしないように起きないと痛いのです。当初は、寝返りを打つだけでも痛かったのです。でも、立ち上がり、日常生活を送る中では、さほど苦痛はありません。座っていても大丈夫。そして、昼、夕方、夜と、時間が経つにしたがって腰の痛みも引いて行くようなのです。
9月になってからは、目覚めた際の痛みも弱くなって来て、だんだん改善されてきました。

ですから、腰痛が本当に良くなってきているのか否か、チェックするための山行を計画しました。
初心者が歩くような、簡単なコース。アップダウンもさほどないコースを選びました。


▲日向和田駅で下車し、歩き始めます。神代橋の上から多摩川を眺めると、ここのところの長雨続きで、川の水は"笹濁り”していました。実際の色はこの写真の色よりももう少し苔色でした。9:22ころ。


▲青梅市の梅が咲く時期の観光の目玉の一つだった「梅の公園」。ウメ輪紋ウィルスの感染が広がった影響で、この公園のすべての梅の木も伐採されました。僕も一度訪れたことがありますが、数多くの梅の種類が植栽されていて、尾根あり谷ありの山の斜面に咲き誇る紅梅白梅は見事なものでした。清掃をしていたおじさんに聞くと、近々梅の木を植える計画があるそうです。でも、それもウィルスの絶滅度次第でしょうから、楽観はできません。9:39ころ。


▲住宅街を抜けて、琴平神社の鳥居が出て来ました。鳥居をくぐってから山道が始まります。9:44ころ。


▲ときおりヤマザクラの巨樹が現われます。幹の全面に苔を生やして存在感たっぷりのヤマザクラです。10:04ころ。


▲さほど急登ではない山道が植林の中に続きます。10:21ころ。


▲カンアオイ(寒葵)。花は半分土の中に埋もれているように咲きます。10:40ころ。


▲キバナアキギリ(黄花秋桐)です。花の上部先端から出ている線状のものは雌しべだそうです。花の中に紫色のものがふたつありますが、それは仮の雄しべだとか。花の中にもぐりこんで来た昆虫の背中に花粉をくっ付けるための複雑な構造になっているようです。10:45ころ。


▲琴平神社が近づいてきて、また鳥居がありました。10:48ころ。


▲琴平神社が見えて来ました。直下にこんなものが。雨水を貯めて、手を清めるためのものでしょうか? 10:51ころ。


▲琴平神社。尾根筋に出張ったようにある岩場に建っています。もともとは金毘羅大権現と呼ばれていたそうですが、明治以降は琴平神社となりました。
この付近の麓一帯では養蚕が盛んで蚕の豊作を願って崇敬されていたそうです。この写真でもよく見れば、中にたくさんの招き猫の置き物が見えると思います。蚕の天敵であるネズミから守ってくれる猫が奉納されたのです。10:53ころ。


▲琴平神社からは日の出山に連なる東西に延びる尾根道となります。ところどころ広葉樹の森も出て来ます。11:14ころ。


▲ツルリンドウの葉(蔓)が多いいなあと思っていたら、一輪だけ花が咲いていました。11:24ころ。


▲三室山646.7m山頂にはトレールランニングらしきグループが休んでいました。11:28ころ。


▲山頂から少し外れた場所で一服入れ、三室山から下ります。11:49ころ。


▲いろいろと知らないことがあるものです。せっかくですからこの看板を全部紹介しますね。
『重爆撃機「飛龍」墜落地  北側の谷底に、昭和20年8月11日夕刻、四式重爆撃機「飛龍」が墜落しました。機体は全幅22.5m、全長18.7m、全高7.7mの大きさで、双発です。静岡県浜松基地から、埼玉県熊谷基地へ向かう途中の墜落でした。原因は不明です。  搭乗していたのは春日改造大尉ほか12名で、墜落で全員が死亡しました。全員の遺体は軍や地元住民たちによって収容された後、荼毘に付されました。機体もほとんど回収されましたが、エンジン冷却部の片側が谷底に取り残されていたので運び出され、青梅市郷土博物館に展示されています。同郷土博物館には飛龍の遺品のほか、昭和20年4月2日に柚木町二丁目に墜落した、米軍機・B29のエンジンも展示されています。これらに関する資料は、青梅市郷土博物館に保存されています。  西多摩地方の戦争遺跡を調べる会』11:58ころ。


▲植林の中の緩やかな道を進みます。11:59ころ。


▲林道がすぐ下に見えました。向うに見える山は金比羅尾根の麻生山794mでしょうか? 12:06ころ。


▲梅野木峠です。登山者が3人休んでいました。12:10ころ。


▲再び山道に入ります。右の建物は柚木中継所。12:14ころ。


▲ススキの穂が輝くようになると、季節は本格的な秋ですよね。このあたりのススキは穂の出始めでした。12:21ころ。


▲日の出山への最後の登りが始まりました。S子も僕も階段嫌いなので、階段のない山道を歩きます。12:58ころ。


▲最後の階段。山頂直下です。13:13ころ。


▲日の出山902.0m到着です。相変わらず人の多い山ですね。13:16ころ。

ここまでは腰への影響も感ずることなく歩けました。荷物も日ごろのハイキングと同じ装備です。腰が悪いからと言って、減らしてはいません。8kg程度でしょう。


後山川御岳沢出合付近で幕営後、サオラ峠へ 4/4 ――― 30年ぶりにクマを見ました。2頭も!

2015年08月17日 | ハイキング/奥多摩

2015/7/28  御岳沢の天場から一般登山道までは思いのほか順調に来ました。天平尾根の北斜面の中腹を巻き、長尾根の尾根近くの南面を巻いている山道がとてもしっかりした道だったことがその理由です。


▲一般登山道へ出ました。この登山道は三条の湯とサオラ峠を結んでいます。11:28ころ。


▲S子もすぐに到着。登山道は左の岩場沿いに上へ登っています。11:29ころ。


▲この合流点では岩場の隙間から美味しい水までもが湧き出ていました。ごくごくと飲み干します。11:31ころ。


▲水場の上の岩場ではイワタバコの花も咲いていました。11:39ころ。


▲合流点を出発し、御岳沢を渡るところまではすぐです。11:47ころ。
一昨年、この写真の左下付近でタープ泊しています。そして翌日、長尾根を登っています。その記録も読んでみてください。
1日目:http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/238911a975271f8e3746b12b97d247b2
2日目:http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/58159e027a31e03fd782e017ab8208fe


▲まだ濡れている木の桟道をS子がおっかなびっくり渡っています。12:05ころ。


▲登山道にはシカの足跡がたくさん付いていました。ここは泥地ですから、その多さが分かると思います。12:09ころ。


▲マルバダケブキの花の蜜を吸うアサギマダラ。この蝶が数100km~1000km以上もの移動をするなんて、信じられません。12:15ころ。

この写真を撮ってしばらくして、登山道脇で休憩をとりました。すると、数分もせずに前方の登山道の下の斜面を何やら黒いものが転がるように下って行きました。S子も気づき、二人で「何だったんだろう?」と話していました。僕は「カモシカじゃないかなぁ」と言いました。
と、またすぐに「フーフー」と激しい息づかいが聞こえ、先ほどの黒いものの後を追いかけるように、同じように黒いものが下って行きます。でも、今回はよく見えました。数10mほど先の斜面をクマが降りて行ったのです。丸い顔、丸い耳、胴も丸く見えました。実に可愛らしい体型。
先ほどのと合わせて2頭です。母グマと仔グマに相違ありません。後から降りて行ったのが、恐らく仔グマでしょう。母グマは声を立てずに降り(それでも、ガサゴソと草や木と刷れる音は大きかったですが)、仔グマは怖がりながら慌てて母グマを追いかけたのでしょう。

先ほどから熊鈴は鳴らしながら歩いていました。でも、休憩中でしたから鳴っていなかったのです。僕たちはクマに対する警戒を最大限に引き上げました。熊鈴はS子のザックに付いていますが、僕も口笛を吹き鳴らします。万が一もう1頭仔グマがいて、登山道より上部にいると、母グマと仔グマの間に我々が割って入る状況になってしまいます。しばらく、音を立てて、その可能性等を判断しました。
まあそれはなかろうと結論付け、ようやく再スタート。登山道の下方をよく見ながら歩を速めました。


▲登山道の下方の様子です。この辺りはシカが多いせいでしょう。すっきりして綺麗と言えば綺麗なんですが、下草が生えていません。森としては不健康な状況のはず。クマにとってはどうなんでしょうね? 12:31ころ。


▲さっきからこんな足跡もたくさんありました。大きなシカの足跡に見えなくもありません。ただ、あんなことがあった後ですから、クマの足跡にも見えてしまいます。12:38ころ。


▲このあたりの森の木はなかなか美しい。いつまでも素晴らしい森であって欲しいものですね。12:39ころ。


▲こんな感じの森の中をなだらかに続く登山道。12:50ころ。


▲サオラ峠に到着しました。13:00ころ。

お昼前に登山道と合流したころから計算し、考えていたんですが、サオラ峠から天平(でんでいろ)尾根を下降するのは取り止めにしました。急げば間に合うかもしれませんが、S子に急がせるのは少し酷ですし、目指しているバスの時刻は親川バス停で15:46なんですが、その次は18:31になってしまいます。
それではと言うことで、丹波に下山。15:30くらいまでに下山できればいいわけですから、のんびりと下れます。


▲サオラ峠で休憩し、丹波へと下山スタート。右下へ降りていきます。13:21ころ。


▲この下山道は何回通ってもつまらない嫌な道です。道々、何でだろう? などと考えながら歩いていたのですが、下ることだけにしか意味を見いだせない、単調な道だからだろうなと、結論づけました。森が美しいわけでもなく、花が綺麗なわけでもなく、景色がいいわけでもなく、地形が不思議だったり、ワクワクしたりするところもないのです。そんな悪態を吐きながらも、この道はよく利用させてもらっていますね。13:37ころ。


▲キノコの名前は本当に分かりませんね。知らないキノコは毒キノコだと考えています。 14:13ころ。


▲手入れの行き届いた植林。14:49ころ。


▲丹波山村の丹波集落が見えて来ました。15:04ころ。


▲このあたりの畑は皆電気柵で囲まれています。人の通路にはところどころで出入り口があり、通過するたびに鍵を閉めます。15:08ころ。


▲両サイドに電気柵があります。山から下りてくると、暑さが身に応えますね。15:18ころ。


▲丹波バス停です。15:22ころ。
バスの出発時間は15:35でした。上半身の汗を拭き、シャツを着替えます。飲み物の自動販売機が近くには見つかりません。すぐそばに湧き水のような美味しい水が出ていますから、それをテルモスに詰めました。

奥多摩駅に着くと、天益へ直行です。地元の常連さんが多いお店でもありますから、いつも面白い情報に接することができます。この日はクマの出没が今年は多い、という話題です。僕の隣りには奥多摩でミツバチを飼っているおじさんが座っていました。彼の家の巣箱を狙ってクマが来るのだそうです。最近、そのクマと遭遇し、持っていた角棒で必死に抵抗、なんとか怪我だけはしなくて済んだ話をしてくれました。その後、クマ檻を設置。なんと! すぐにクマがかかり、猟友会の人に頼んで、処分してもらったそうです。
僕も今日見たクマのホッカホカ情報を提供しました。ついでにその方から蜂蜜ひと瓶を購入。