ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№2 ――― 105% 麻生山を登り、金比羅尾根を下りました

2022年02月01日 | ハイキング/奥多摩

前回の青梅丘陵から、標準コースタイムで歩けるようになることを具体的な目標にすることを決めました。前回は標高差250m、コースタイム3時間20分でした。それで今回は、少しだけ高く長くして、標高差480m、コースタイム3時間55分のコースを設定しました。武蔵五日市駅からつるつる温泉行バスに乗って、白岩滝下車。そこから歩き、麻生山~金比羅神社~武蔵五日市駅というコースです。

 

2022年1月27日(木)

▲9:01。武蔵五日市駅です。ここからつるつる温泉行バスに乗ります。SLの外見をしたバスに乗れるかな、と思っていましたが、残念ながら普通のバスでした。

 

▲9:25。白岩滝バス停で下車すると、すぐに標識がありました。ここから950m先のようですが、昭文社の地図では30分もかかることになっています。せいぜい20分ですよね。実際、僕は18分で着きました。

 

▲9:37。林道終点です。ここからは真正面の山道に入って行きます。

 

▲9:39。白岩滝までは遊歩道が整備されていました。左の階段を上って行きます。

 

▲9:43。麻生山への登山道は右なんですが、左の橋を渡ると白岩滝の真正面に立つことが出来ます。観瀑台ですね。

 

▲9:49。その観瀑台からの白岩滝。2段に落ちているのですね。解説板には下段の滝は8.5m、上段の滝は12mとなっています。この2段の滝を見上げるような位置で、雨乞いの儀式が行われたそうです。

 

▲9:53。ここから沢沿いに遊歩道が続いているのですが、この先で山道が崩壊していて、通行禁止になっていました。

 

▲9:55。右の小尾根通しに遊歩道の巻き道が付いています。ピンクのテープがたくさんぶら下がっています。よく踏まれた道のようでしたから、遊歩道よりも昔から歩かれていた山道なんだと思います。

 

▲9:58。その証拠にも祀られていました。人々がよく歩いていた場所なんでしょうね。

 

▲10:03。通行止めになった遊歩道の反対側に出ました。この柵の向こう側から左下の沢に下りるしっかりした道がありました。

 

▲10:10。階段を上って、林道へと出ます。

 

▲10:11。林道を左へ少し歩くと、このガードレール(橋なんです)の右から下へ降りるんです。この林道を左へ進むと、麻生山東尾根の登山口があるようですね。日の出山の会が設置した道標ですが、東尾根のことを「困難な急坂」と書いてあります。そっちを歩きたいのは山々なんですが、今日はコースタイムの分かっている一般登山道を歩きます。

 

▲10:18。先ほどの日の出山の会の道標によるとこちらの一般登山道は「割となだらかな道」なんだそうです。確かにそうですね。

 

▲10:28。白岩滝の解説看板にも巨岩Big Rockと書かれていました。おそらくこの岩のことでしょう。10m近くありそうな巨岩ですね。近所の公園にこのくらいの巨岩がデ~ンとあったらいいですね。

 

▲10:39。植林の先に明るい場所が見えますね。峠でしょうか?

 

▲10:43。峠と言うか、広い場所に出ました。麻生平です。眼の前には1ヶ月前に歩いた日の出山から東に延びる尾根が見えています。

 

▲10:45。麻生平は林道なんですが、ここだけ広場のようになっています。左の道標のところに登って来たのです。ここからは写真の中央から右上に登っている登山道を歩きます。

 

▲10:51。見覚えのある電波塔が見えました。梅野木峠のそばにありました。

 

▲10:52。1ヶ月前三室山から向こう側へ降りました。御嶽駅から高峰に登る高峰北尾根もS子と二人で登ったことがあります。

 

▲10:56。麻生平から麻生山へ登り始めます。

 

▲11:00。葉が落ちた枯れ木の山ですから、明るくて暖かでした。

 

▲11:06。麻生山794m山頂です。登山者がひとり休んでいました。

 

▲11:25。山頂で大休止しました。この日初めての大休止です。休んだ最後に山頂から見える景色を撮りました。三室山から続く登山道を降りて行くと、琴平神社に至ります。送電鉄塔のすぐ右側だと思います。青梅市街地の左側に見える丘陵地が青梅丘陵ですね。前の週に歩いた場所です。

 

▲11:26。の景色も望遠で撮ってみました。左端の白く光っているのは西武ドームだと思います。中央に薄茶色の線が横に広がっていますが、これは横田基地なんだと思います。もっと空気が澄んでいればよく見えるんでしょうけどね。

 

▲11:27。麻生山の山頂を僕は初めて踏みました。金比羅尾根は何度も歩いているんですが、その尾根からは少し離れて聳えている山なので、いつも登らずに通過してたんですよね。いい山ですね。

 

▲11:34。麻生山を下っています。急な下りです。振り返って写真を撮りました。

 

▲11:37。麻生山から降りて来て、このまままっすぐ進めば東尾根です。日の出山の会の標識にあった東尾根ですね。いつか歩いてみたいと思います。この日は右に向かいます。

 

▲11:41。金毘羅尾根の登山道と合流しました。金毘羅尾根を縦走するのなら、本来は麻生山経由が正しいのでしょうが、これまで僕も麻生山は省略して、日の出山への巻き道を歩いていました。麻生山は不遇の山ですね。

 

▲11:53。金毘羅尾根は歩き易い登山道が続きます。ところどころ、陽当たりの良い暖かい場所も多いですね。

 

▲11:58。北側が開けたので写真を撮りました。右側の山は三室山ですね。

 

▲11:59。その北側が開けた場所です。この場所の景色で、昔のことを強烈に思い出しました。こんな奥多摩の低山が本格的雪山になったことがあったのです。

 

2014年2月10日。上の写真と同じ場所です。この日のことはよく覚えています。

上の写真の時のブログがこれです。

奥多摩の低山が完璧雪山に変貌! 雪山遭難に接近遭遇した金毘羅尾根ハイキング?

関心ある方は読んでみてください。

 

▲12:00。振り返ると、麻生山が見えました。

 

▲12:05。右の道が金比羅尾根、左の道は真藤ノ峰543mや勝峰山454.3mを経て、幸神へと下る山道です。

 

▲12:36。こういう感じの登山道がよくありますけれど、かなり人が手を加えた登山道に思えますね。

 

▲12:37。桜の幹だとは分かるのですが、何桜なんでしょうね? 多分、ヤマザクラだとは思いますが。

 

▲12:38。楢の木の仲間だとは分かりますが、何楢なのかは分かりません。とにかく、ドングリの木ですね。

 

▲12:40。宇江敏勝氏の本で読んだような気がしますが、檜を急斜面に植えるのは良くないそうです。この写真の中に檜の枯葉がいっぱいこぼれています。檜は葉が枯れると、米粒ほどの大きさにパラパラと細かく分かれてしまいます。急斜面だと、雨が降るとその米粒大の枯葉が全部流されてしまって、斜面の土壌を保持できないのだそうです。

 

▲12:42。それに対して杉の枯葉はバラバラにはなりません。

 

▲12:48。低山ですから、杉や檜の植林だらけです。手入れが行き届いていると、綺麗ですよね。

 

▲13:09。右の斜面は伐採も終わり、植林も終了したようです。若木を鹿に喰われないよう、で囲っています。

 

▲13:15。いつものこの場所に来ました。橋の下には林道が通っているんです。左へ降りて行くと、アジサイ山に出ると思います。

 

▲13:19。昭文社の地図でも、468m標高点を金比羅山としています。でも、金比羅という名前はインドの王舎城の守護神クンビーラが日本の四国に降り立った際、仏法守護の神「金比羅大権現」と称したことに由来しているそうです。この写真から左上に登ったところにある山頂にも行ったことはありますが、そんな宗教的な雰囲気は一切ありませんでした。僕はこの標高点は金比羅山ではないと思っています。

 

▲13:25。じゃあどこが金比羅山かということですが、この岩場の上あたりが金比羅山だと思っています。琴平神社のすぐ裏です。

 

▲13:28。琴平神社です。この裏が岩場になっています。

 

▲13:45。この東屋でこの日2度目の大休止。眼下には五日市の街並みが見えています。

 

▲13:50。琴平神社周辺は公園のように整備されています。春から初夏にかけては様々な木の花が咲くようですね。

 

▲14:06。里に降りて来ました。

 

▲14:18。萩原タケ(1873~1936)五日市に生まれ、看護婦となる。日露戦争などに従軍し、1910年には日本赤十字社病院看護婦監督に就任。1920年には第1回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞。彼女の生涯を称えて「日本のナイチンゲール」と呼ばれています。

 

▲14:31。武蔵五日市駅に戻って来ました。

 

この日はコースタイムの105%かかりました。青梅丘陵の時と比べると、かなり良いパーセンテージです。でも、このコースタイム表記の厳密性はさほどないでしょうから、今回割と良かったからと言って、喜べるわけではありません。それに、休憩時間込みでは130%かかっていて、青梅丘陵の131%と同じでした。昔はS子と二人で歩いていても、休憩込みでほぼコースタイムで歩いていましたから、まだまだ遅いです。


『標準コースタイムで歩く』シリーズ№1――― 116% 青梅丘陵を歩いてみました

2022年01月22日 | ハイキング/奥多摩

前回のゴンザス尾根のブログの最後に書きましたけれど、僕の山体力復活山行の進行度を可視化、具体化、数値化することにしました。すぐに理屈っぽい表現に走ってしまいますけれど、簡単に言うと、標準コースタイムで歩けるようになろう! ということです。昭文社の山と高原地図に載っているコースタイムを基準にしたいと思います。ですから、今後は出来るだけコースタイムが表示されている一般登山道を歩くことにします。破線や破線すら無いコースはしばらくお預けにしたいと思います。まあ、絶対という訳ではありませんけどね。

標高差のあるコースを選んだ方が、脚の筋肉への負荷が大きいでしょうから、最初は奥多摩湖そばの水根から六ッ石山を登って、石尾根を奥多摩駅へ下ろうと思っていたのですが、天気予報でがちらつくかもと言っていたので、青梅丘陵に変更しました。やっぱり早く軽登山靴を新調しなければ駄目ですね。

急登や急な下りで遅くなると思っていますから、なだらかな青梅丘陵程度ならコースタイムとほとんど違わずに歩けるだろうと、高をくくっていました。ところがどっこい、タイトルにもあるように116%! この数値はもちろん休憩時間を除いた歩くのにかかった時間だけです。休憩時間も込みなら、131%!

取り敢えずの目標は100%に近づけること。昔はS子と二人で歩いていても、休憩込みで100%くらいでした。沢登りでも遡行図に出ている参考タイム(コースタイムとは違って、そのパーティーがかかった時間)と同じくらいの時間でS子と二人では遡行できていました。僕たちはせいぜい中級の下レベルの沢までしか行っていませんが、徒○行山岳会のN瀬さんの遡行タイムが圧倒的に速いと思ったくらいですね。

 

2022年1月20日(木)

あっ、そうそう。23日の日曜日が日和田での岩トレなので、いつもなら天覧山ひとり岩トレの木曜日ですが、歩くことにしました。しかも、短いコースなので朝食もゆっくりと食べて、遅い出発です。

 

▲10:28。軍畑(いくさばた)駅です。左のトイレも使わせてもらいました。最近はどの駅にも綺麗なトイレが設置されるようになりましたね。こちらから歩くと、全体としてはゆっくり下るようになるのですが、青梅駅に降りた方が帰りの電車が多いですから便利なんです。

 

▲10:40。車道を北へ歩いて行きます。ここは高水三山との分かれ道。この日は真っすぐ進みます。

 

▲10:51。榎峠です。トラックの右が登山口。

 

▲11:11。雷電山まではこのような階段の登山道が多いですね。

 

▲11:23。青梅丘陵の最高地点、雷電山494m。ここで14分間の休憩を取りました。

 

▲11:43。山頂から階段の登山道を下ると、北側の山腹を巻くようになります。杉の植林が美しいですね。

 

▲11:44。峠でも何でもない場所の尾根が不自然に無くなっています。雷電山から続く尾根の途中です。左へ進むと辛垣(からかい)城址があるのですが、これはどう見ても堀切だと思われます。

 

▲11:59。前の写真の場所はこの地図の左上から外れた場所にあります。北斜面から南斜面に回ってきています。いつもは辛垣城址のある尾根沿いに歩くことが多いのですが、そちらのコースタイムは載っていませんから、この写真の赤い線のコースを歩きました。

 

▲12:06。上の地図にも右下に出ていますが、名郷峠387mです。右下の大きめのペットボトルに御神水が入っているというのは理解できるのですが、祠の前の小石の山は何なんでしょうね?

 

▲12:12。送電鉄塔がありました。標高410mほどですね。空はまだ薄曇りです。

 

▲12:14。下から高齢の男性が登って来ました。「何駅から来られたんですか?」と聞くと、「風を避けて、すぐ下でお昼にしてたんですよ」と。そうですね。陽射しがないので、弱い風でもとても寒く感じます。

 

▲12:24。狭い範囲ですが、高い木がない場所がありました。網で囲まれていて、写真のように書かれていました。「植栽地(幼木)保護 シカ害防止ネット設置中 (公財)東京都農林水産振興財団 花粉対策室」

 

▲12:39。三方山454.3m山頂です。榎峠から三方山までのコースタイムが1時間になっています。でも、僕は90分かかりました。150%です。雷電山から62分かかっていますから、雷電山~三方山が60分で、榎峠~雷電山のコースタイムの記載漏れではないかと勘ぐってしまいます。でも、そうじゃないんでしょう。昔の僕なら60分で楽に歩けていたんでしょうね。ここは眺望もなく寒そうなので、すぐに離れました。

 

▲12:50。枯れススキの綺麗な場所に出ました。空も雲が消え始め、青空が広がって来ています。

 

▲12:53。ススキの間の道を進むと、山道が下り始めます。山道はしっかりしていますが、これまでとはちょっと雰囲気が変わりました。これまでよりもあまり踏まれていない山道のようなんです。少し違和感を感じながらも下っていきました。

 

▲12:54。すぐに林道終点に出ました。間違った道を降りたことに気付きました。ここですぐにさっきのススキの場所まで戻ればよかったのですが、山腹を巻いても青梅丘陵のメインルートに合流できるはずと思って、この林道を歩くことにしたんです。

 

▲12:59。立派な林道が続いていました。でも、進むにつれ可笑しなことに気付きました。三方山の少し先からは登山道は南向きに進むようになるのですが、この林道は北に向かったり西に向かったりしているのです。完全に真反対! 戻ることにしました。

 

▲13:05。林道脇に暖かそうな場所があったので、休憩することにしました。道を間違えたりした際には、立ち止まって食べたり飲んだりすると落ち着きます。この時は戻りさえすればいいことなので、何も問題はないのですが、念のために地図も見ておきたかったですし、お腹も空いていましたしね。このザックは貰い物です。ザイルもとめられますし、ちょうどいいサイズなんですが、天蓋のチャックが壊れています。何年間もそのままで使い続けているんですよね。

 

▲13:17。元のルートに戻る途中、麓の風景が見えました。本当なら青梅市街地が見えるはずですが、山並みが続いています。やっぱり青梅丘陵の北側が見えているようですね。

 

▲13:21。林道終点に戻って来ました。写真の右端から登り返します。

 

▲13:22。林道終点から続く山道です。右へと上がっていく道を僕は戻ります。その左の山道を真っすぐに進む山道は成木や黒沢へ続いているようですね。

 

▲13:25。枯れススキの場所に戻って来ました。

 

▲13:25。向こうに見える山が三方山ですね。

 

▲13:26。この広場に左から入って来て、そのままススキが光っている左の道に入ってしまったんです。右端の標識にはまったく気付きませんでした。

 

▲13:27。印の現在位置から破線のコースに入ってしまったようです。三方山の漢字がここでは三芳山になっていますね。この方が感じはいいのですが、ほとんどで三方山となっています。

 

▲13:32。青空が広がって陽射しが嬉しくなって来ました。

 

▲13:46。杉の植林がまだ多いですね。この辺りはずっと南に向かって登山道を歩きます。ですから、この時間は右前方に太陽があるんですね。

 

▲14:03。この辺りからの青梅丘陵のコースは写真のような林道がほとんどになります。

 

▲14:06。縞模様が綺麗でした。

 

▲14:08。暖かな散歩道。青梅市民にとっては本当に散歩道なんですよ。普段着でザックもなしで歩いている人や、犬の散歩で歩いている人もよく見かけます。

 

▲14:09。矢倉台に到着しました。解説板を載せておきます。「市指定史跡 物見櫓(矢倉台) 青梅地方、かつての杣保(そまのほ)に拠点を置いた豪族三田氏は、代々、市内東青梅の勝沼城に居住していたが、北条氏照の八王子滝山入城による、多摩地方の情勢の変化をうけ、永禄年間(1558~1569)の初め頃、二俣尾の辛垣(からかい)山に城を築いたといわれる。物見櫓(矢倉台)は、この辛垣城(別名西城)から南東約3キロメートルに位置し、戦略上重要な物見の場所であったという。「武蔵名勝図絵」には「柵跡、ここは二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、この山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台ともいう」と書かれている。昭和46年11月3日指定 青梅市教育委員会」。確かに、ここから青梅の市街地がよく見渡せます。

 

▲14:19。写真中央上部にトイレが見えます。矢倉台で休憩したかったのですが、小用のため、ここまで我慢しました。何度も歩いていますから、ここにトイレのあることを知ってしまっていますからね。

 

▲14:22。です。ずっと昔から、桜の咲く時季に来てみたいと思い続けているのですが、一度も実現していません。近々、散歩気分で来てみたいですね。

 

▲14:23。第4休憩所です。ここで休憩しました。

 

▲14:35。第4休憩所から見える青梅市街地。手前には多摩川が見えていますね。

 

▲14:55。太陽聖髪塔です。どういう施設なんでしょうね? 

 

▲14:59。叢雨(むらさめ)橋の袂にこんな看板がありました。去年設置されたようですね。都立青梅総合高等学校は都立高校では唯一広大な演習林を持つ高校で、この叢雨橋の北側斜面に平成30年、「森林レンジャー」の授業を選択する生徒6名が紫陽花の苗を植栽したのが始まりだそうです。5月上旬から7月下旬までは一般公開もしているそうです。紫陽花観賞してみたいですね。

 

▲15:07。第1休憩所まで来ました。

 

▲15:14。青梅丘陵入り口です。永山丘陵とも呼ばれているようですが、その理由は調べてみても分かりませんでした。永山という地名もありません。青梅駅の裏に永山公園があるくらいですね。

 

▲15:17。青梅鉄道公園です。入ったことはありません。庭には明治時代からの貴重な蒸気機関車などの実物もたくさん置かれているそうです。室内には様々な模型もあるとか。入場料は100円だそうですから、いつか入ってみようかな。

 

▲15:19。鉄道公園のすぐ隣りには桜見本園があります。車道を歩くのも無粋なので、この公園内を降りて来ました。

 

▲15:26。青梅駅のホームに電車が停まっていました。この位置は上りのホームです。この電車に乗れるかもしれませんから、少し急ぎました。15時30分出発で、ギリギリ間に合いました。


2ヶ月前とまったく同じコースを歩いてみました。山体力が少しは増して、速く歩けるはずです。結果は?

2022年01月18日 | ハイキング/奥多摩

2022年1月16日(日)

3年間のブランクを克服すべく登山を再開して7回目、2ヶ月間が経過しました。どこを登ろかな? と考えましたが、この2ヶ月間でどの程度山体力が戻って来ているか、知りたい気持ちが生じました。

ですから、2ヶ月前に最初に歩いたコース、ゴンザス尾根~本仁田(ほにた)山~大休場尾根、を歩くことにしました。乗る電車も同じにします。

 

▲9:22。関東地方の冬は晴天続きです。日本海側の方々に申し訳ない気持ちになりそうですね。降り立った奥多摩駅の上にも快晴の青空が広がっています。

 

▲9:42。左にアパート、右に神社があります。ゴンザス尾根の登山口。階段を上って、アパートの裏手で上着を2枚脱ぎました。

 

▲9:57。前回はここで朝食タイムでしたが、この日は家でしっかりと朝食を食べて来ましたから、そのまま通過です。

 

▲10:03。登山道の脇に「NHK施設に至る」の杭が数多くあります。この場所で山道を鋭角に曲がりました。

 

▲10:15。杉の植林の中にしっかりした登山道が続きます。

 

▲10:29。これがNHKの施設だと思いますが、何の表示もありません。

 

▲10:38。送電鉄塔が出て来ました。標高700m付近ですね。ちなみに登山口の標高は350mくらいですね。

 

▲10:48。鉄塔の下で大休止です。風もなくポカポカと気持ちのいい休憩。コップの中身はミルクチャイ(インスタントですが)。中央に見える山は大岳山1266.4mでしょうか?

 

▲11:15。写真中央の山は六ッ石山1478.8mだと思います。石尾根がほぼ一直線に六ッ石山の後方に連なっているはずですね。その右、遠方の山はどこなんでしょう? 天祖山1723.2mかな? 全然確信はありませんが。

 

▲11:23。この日登る最高地点の本仁田山1224.5mが中央に見えますね。その左下の山頂が平らな山は平石山1075mだと思います。

 

▲11:27。木の名前を幹だけ見て分かるようになれば格好いいな、と思うのですが、難しいですね。図鑑を見ての独学は大変そうだし、僕の周りには詳しい人はいませんし・・・・。この幹は小楢か楢か、だろうなくらいは分かりますけどね。幹が3本出ていますから、炭焼きなどで切られた切り株から芽生えたひこばえが育ったものでしょうね。

 

▲11:29。ゴンザス尾根は急登の尾根ですが、時々なだらかな尾根も出て来ます。

 

▲11:36。両側とも急な斜面になって来ましたね。馬酔木の木が増えて来ました。

 

▲11:37。馬酔木のです。

 

▲11:42。岩場も多く出て来ます。

 

▲11:55。写真の左から石尾根が右に続いています。その先、写真中央少し右の山、雲取山2017.1mじゃないかなと思うのですが。

 

▲11:57。尾根上に大きな岩が立ちはだかりました。直登も出来そうでしたが、右側から巻きました。

 

▲12:04。花折戸尾根に合流です。

 

▲12:09。合流地点からはしばらくはなだらかな山道が続きます。

 

▲12:10。筑摩山1040m山頂です。ここでは休憩せず、もう少し先の暖かそうな場所で休憩するつもりです。

 

▲12:11。河原の石ですね。歩荷で運んだのでしょう。僕は歩荷訓練は嫌いです。雪山や長期山行になれば、どうせ荷物は重くなりますからね。泊りの沢で歩荷訓練っぽいことはしたことがありますよ。アルコールを多めに持ったり、肉や生野菜をたっぷり持ったりしました。

 

▲12:14。馬酔木(あせび)の林の隙間を歩きます。

 

▲12:16。10日前の雪が残っていました。

 

▲12:17。タヌキの溜め糞でしょうか?

 

▲12:30。前回目を付けていた暖かそうな場所で2回目の大休止。インスタントカフェオレと石窯パン。パンにはハム、レタス、マヨネーズなどがサンドされています。この日は軽登山靴です。

 

▲12:42。見上げると輝くような青空! 唐松の木かな?

 

▲12:42。枯葉も暖かいですね。

 

▲12:44。大休止を終えて、また歩き始めます。休んでいた場所はここです。船底地形のような場所です。山の斜面を吹き上がってくる風がない場所なので、その分暖かいですね。

 

▲12:51。本仁田山が近づいて来ましたね。

 

▲13:00。本仁田山への最後の急登が続きます。

 

▲13:05。枯葉で踏み跡が消えてしまっています。歩きやすい場所をひたすら登ります。

 

▲13:10。大休場(おおやすんば)尾根の登山道に出ました。ちょっと登ると本仁田山ですから、山頂を踏むことにします。

 

▲13:16。本仁田山山頂です。山頂には男性が2人いました。僕に「髪の長いバングラディッシュ人に会いませんでしたか?」と聞きます。「花折戸尾根から来たので、会ってないですよ。どうしたんですか?」「疲れたから先に行ってって言われたんですよ」。他にもいろいろ話したのですが、最後に「携帯で連絡は取りあえてるんですけどね」と言います。それなら大丈夫そうですね。いくら「疲れているから先に行って」と言われても、弱ってる仲間を一人置いて先に行くなんてね。日本語もあまり得意でない外国人、しかも山のないバングラディッシュ人ですから、急登の大休場尾根は拷問のようなものだと思いますよ。

 

途中で高齢の男性に会いました。「バングラディッシュの方に会いませんでしたか?」と聞くと、「誰にも会いませんでしたよ」と言うんです。ちょっと不思議な気がしましたけれど・・・・

 

▲13:26。それからすぐに、バングラディッシュの青年に会いました。まだ元気は残っている感じでしたね。「二人が山頂で待ってるよ」「あと15分か20分で山頂に着くから、頑張って」と言いました。写真の中央に黒い服の彼が写っています。

 

▲13:49。降りて来た登山道を振り返って撮りました。岩場の危険な登山道です。

 

▲14:04。ここからは大休場尾根を離れて、右へ下ります。

 

▲14:36。安寺沢の登山口に降りて来ました。

 

▲15:03。氷川の町が見えて来ました。中央の建物は奥多摩町役場。右の山は愛宕山507m、その左のピラミダルな山は天地山981mだと思います。

 

▲15:06。奥多摩駅に戻って来ました。天益に顔を出し、挨拶だけして帰りました。

 

2ヶ月前と今回とかかった時間を比較してみました。詳細は別にして、登山口のスタート時刻と奥多摩駅のゴールした時刻を記せば結果は明瞭だと思います。

          登山口 → 奥多摩駅

2ヶ月前  9時47分 → 15時10分

今回    9時42分 → 15時06分

一目瞭然ですね。2ヶ月前と今回とはまったく変化がありません。同じです。より詳細に、休憩時間を引いた行動時間を比べてもまったく同じでした。

このような結果が出たからと言って、2ヶ月前とまったく成長が見られないのか、と言うとそれは違うと思います。下山直後にしても、翌日や二日後の体の疲労は小さくなっているように思います。歩いている最中の、息の上がり具合も今回の方が明らかに息は上がっていないように感じました。筋肉や心肺機能は山歩きに慣れてきています。

山を歩くスピードはもう少し別の要素に影響を受けているのではないでしょうか? 脚の筋力自体がパワーアップしなければならないのかもしれません。筋トレでもそうだと思いますが、一定の成果を出すには数ヶ月間、最低でも3ヶ月間は必要だと思います。僕は高齢者ですから、もう少しかかるかもしてません。

 

今回の結果を受けて、僕は今後の新しい目標を設定しました。それは「標準コースタイムで歩く」です。標準コースタイムは昭文社の山と高原地図を基準にすることとします。まずはそれを目標とし、クリアしたいですね。


湯久保尾根から御前山を目指しましたが、僕はまだ歩くスピードが遅くて、御前山山頂はパスしました

2022年01月17日 | ハイキング/奥多摩

2022年1月8日(土)

前回、僕のために高水三山を計画してくれたT橋さんが湯久保尾根から御前山1405.0mを計画しました。ブランク以降では僕にとっては最長、最大標高差のプランなので、参加させてもらっていいものかどうかちょっと悩みました。T橋さんに聞いてみると、参加を歓迎するとのことでしたから、有難く参加させてもらうことにしました。

本当はもうひと方、女性が参加するはずだったのですが、直前で参加できなくなり、T橋さんと僕だけになりました。結局、その女性にまで迷惑をかけなくて済みましたから、僕の心の負担は少しだけは減りました。T橋さんは「僕は山頂には拘らないタイプなので」と言ってくれますし、「自分の歩くペースなんてないんですよ。ゆっくり歩くのも好きだし、少し速く歩くのもいいし」とも言ってくれます。実に優しい人ですね。

 

山行全体を通して、T橋さんに甘えているような状態になってしまいましたけれど、僕個人的には反省だらけですね。まだまだ山体力は衰えたままです。この日歩いたコースの標準コースタイムは4時間40分なのですが、僕は7時間20分(休憩込み)かかりました。何回もの長い休憩を差し引いてても、かかった時間は標準コースタイムの3割増しほどだと思います。僕もS子も歩くのはさほど速い方ではありませんでしたけれど、普通でも標準コースタイムの9割くらいの時間では歩いていました。

まずは、標準コースタイムで歩けるようになること、これが当面の目標だなと、感じられる山行になりました。

 

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この日の山行でいちばん気になったのは、前々日に降った雪のことでした。これまで奥多摩の山には積雪はなかったと思いますから、前々日の雪がどの程度かが問題です。関東地方でも南岸部に多く降り、都心で積雪9cmだったようですが、少し北のさいたま市では1cmと報道されていました。僕が住むあたりでも、ほとんど積雪はありませんでしたし、気象庁のHPで御前山付近をチェックしていましたが、1mm未満の降雨(降雪ですが)が半日も続いていないようでした。

あまり降っていないな、とは分かったものの、主観的にはやはり心配です。まずは、登山靴。いつものハイキング用の軽登山靴にするか、それとも雪山用の本格登山靴にするかですね。軽登山靴は少しくらいの雪には大丈夫なのですが、もうだいぶん踵が擦り減っていて、いつ穴が開いても可笑しくない状態なんです。いつも、万が一のために運動靴も予備に持って行っているくらいなんですね。少しだけだとしても、雪の中で穴が開いたりしたら嫌ですからね。本格登山靴にしました。スパッツも持って行こうかと考えましたが、これは却下。雪を触っても大丈夫な雪山用手袋は念のために持って行くことにしました。そして、大切なアイゼン。北面を下降しますから、あった方がいいですよね。4本爪のアイゼンがあるはずなんですが、探し回っても見つかりません。仕方なくピッケルを持って行くことにしました。

 

▲9:19。武蔵五日市駅からバスで小沢バス停まで来ました。写真の右に見えている橋を渡ります。

 

▲9:22。昨年オープンした「檜原 森のおもちゃ美術館」です。ここは1984年に廃校となった旧北檜原小学校の跡地なのだそうです。

 

▲9:23。こんなツリーハウスもありました。美術館の内部の楽しさが伝わって来るようですね。

 

ただ、この美術館敷地(昔の小学校の運動場だと思います)に入って来たものの、御前山への登山口が分かりません。登山口はここよりもう少し集落を北へ向かわないとないようですね。そう思って、敷地から出ようとすると、さっきからここにいたおじさんが「御前山に登るの?」と声を掛けてくれました。そして、登山口を教えてくれます。

 

▲9:26。その登山口は美術館の左奥にありました。従来の登山口ではなく、ここからも登れるよ、レベルの登山口だとは思います。

 

▲9:27。でも、想像以上に立派な歩き易い登山道が続いていました。

 

▲9:33。そんな立派な登山道(と言うよりも遊歩道)がある理由が分かったような気がします。斜面にはたくさんの桜の樹が植えてあったのです。春になると、ここでお花見が出来るようですね。

 

▲9:38。桜の樹々の隙間からは麓の小沢集落が見渡せます。北側の風景だと思いますが、遠くに見えるピークは鋸山1109mなんでしょうか? まったく自信はありませんが。

 

▲9:47。尾根筋に出ると、桜の樹は減りますが、代わりにツツジやシャクナゲの若木が増えて来ました。何年か後には見事に花を咲かせるんでしょうね。

 

▲9:47。尾根筋も遊歩道のように整備されていますね。

 

▲9:49。伊勢清峯神社。この鳥居をくぐって、尾根沿いに進んだ方が良かったのでしょうかね?

 

▲9:58。神社から左の山道を進むと、この舗装道路に出てしまいました。

 

▲10:14。そのまま舗装道路を進みました。写真では左下から歩いて来たことになります。まっすぐに進んでも尾根筋には出ませんから、ここからは今いる道路を登ることにしたのです。

 

▲10:19。地形図にも建物記号がたくさんあったのですが、最初に出て来たのがこの別荘風建物。

 

▲10:24。これも別荘かな?

 

▲10:54。舗装道路が一旦途切れたところで、休憩することにしました。前の家には人が住んでいて、姿も見えましたし、犬も吠えていました。T橋さんは仕事の電話がかかって来て、長く話していました。大変ですね。

 

▲10:56。右の道にの後ろ姿が見えますが、この犬はさっき休憩した場所にいた犬です。僕たちを道案内するように、前を歩いてくれます。ここでもどちらへ行こうかと考えましたが、犬が右へ行くので、僕たちも右へ。

 

▲10:59。途中、柚子の果樹園がありました。

 

▲11:02。さっきの犬がここまで連れて来てくれました。犬にとってはお隣りさんですね。

 

▲11:04。その家のすぐそばにこの標識がありました。

 

▲11:13。再び山道を歩きます。

 

▲11:21。標高780m付近、地形図にある岩記号の場所にこの鑾野御前(すずのごぜん)神社があります。高さ15m以上はありそうな石灰岩の巨岩の元に小さなが祀られていました。

 

▲11:22。祠の前には狼の狛犬が。いかにも狼にぴったしな雰囲気の場所です。

 

▲11:22。祠のすぐ下には壊れた狛犬が4体置いてあります。

 

▲11:47。鑾野御前神社からは山腹の登山道を歩きました。そして、ここで尾根に合流です。写真の右に928m標高点があるのだと思います。

 

▲11:48。尾根に出ると立派な標識がありました。本来は右側から928m標高点を経て、ここに出て来るはずだったのだと思います。伊勢清峯神社の鳥居をくぐって尾根沿いに歩くのだと思います。

 

▲12:05。ずっと手入れの行き届いた杉の植林が続いています。

 

▲12:24。久し振りに広葉樹の森になると、明るくて暖かいので嬉しくなりますね。ひこばえのような幹の生え方をしている木が多いので、昔炭焼き用に切られたのでしょうね。

 

▲13:01。前々日に降った雪が現われました。日陰にたったこの程度の雪です。本格登山靴を履いて来るまでもなかったですね。

 

▲13:04。船底地形のような場所がありました。ここで再度休憩することにしました。20分間ほど休みました。

 

▲14:06。休憩後もたんたんと登って行くと、主稜線に到着しました。ここの標高は1340mくらいですね。ブランク後としては最高地点です。ここから左へ行くと御前山1405.0m山頂なんですが、T橋さんは山頂には寄らず、このまま向こう側へ下ることを決断しました。僕の歩みが遅いことと、ここから北面になるので登山道が凍結している可能性もあるからでしょう。的確な判断だと思います。それにしても気遣いが有難いですね。早く山体力を元に戻したいです!

 

▲14:09。御前山避難小屋です。中には男性2人がいて、食事を作っているようでした。今晩はここに泊まるようですね。一般的に避難小屋は緊急時に利用するだけで、泊り前提での利用は出来ないことになっているのですが、僕は昔奥多摩の避難小屋の管理者(東京都の公園課とかだったかな?)に問い合わせたことがあります。すると意外なことに、「どんどん自由に泊まって大丈夫ですよ」との返答でした。泊まった痕跡を残さないように、綺麗に掃除をして帰ることは当然ですけどね。避難小屋の維持管理をしてくださっているボランティアのような方々もいらっしゃるようですし。

 

▲14:33。避難小屋の横の水場はまだしっかりと流れていました。でも、そのすぐ下ではこんな感じで凍っています。もっと冷え続けると、水場の水も止まってしまうでしょうね。

 

▲15:02。下りの山道は北面ですからずうっとこんな感じでした。雪はこの程度しか降らなかったのですね。雪は融ける間もなかったでしょうから、凍結しているような場所もほとんどありませんでした。T橋さんはそのまま下りますが、僕はピッケルを出しました。僕にとってはピッケルを杖代わりに使えて良かったですね。

 

▲15:14。だいぶん下まで降りて来ました。写真の中央に巨木が写っていますが、カツラの木です。

 

▲15:19。林道が見えて来ました。この林道は歩かずにすぐに横断して山道を歩きました。それにしても真っ白な林道ですね。

 

▲15:31。再び林道が現われ、今度はその林道を歩きます。雪はぜんぜん積もってはいないのですが、黒い道路を雪のペンキで塗ったようになっています。

 

▲15:43。向こう側に西日を浴びた石尾根が見えました。T橋さんが「御前山がある尾根の名前はないんだろうか?」と言います。確かにそうですね。奥多摩三山と称される大岳山、御前山、三頭山と続く大きな尾根です。少し調べてみましたが、分かりませんでした。

 

▲16:41。境橋に到着です。橋の上にバス停があります。

 

▲16:42。月が出ていました。ちょうど日没時刻頃の下山でした。

 

20分ほど待ってバスが来ました。奥多摩駅に着くと、僕は天益へ行きました。T橋さんは拡大するオミクロン株のこともあって、そのまま帰宅することに。T橋さんのお客さんに高齢者が多いので心配なんだそうです。

この日の天益は地元のお客さんばかりだったようです。そんなお客さん達の会話を聞きながら、お任せで出してくれる料理をちびちびと食べ、飲みます。会話をする相手がいなくても、聞いているだけ座っているだけで幸せな気分になれる馴染みの店が天益なんですね。


復活登山第4弾は日の出山から愛宕神社へ

2022年01月05日 | ハイキング/奥多摩

最近4回の登山を復活登山と称していますが、その意味するところを少しだけ説明しておこうと思います。「復活した登山」ではなくて「復活するための登山」なのですが、その復活の基準はこんな風に考えています。

2019年から2021年の3年間、全力を注ぐような登山はもちろん、それなりレベルの体力を要求されるような登山を実行していません。ですから、それ以前の2016年から2018年当時の山体力が戻るべき基準となるでしょう。それよりももっと若い2000年代や20世紀の自分にまで戻りたいとの過大な欲は持っていません。まあ、当り前ですけどね。そんな時代の山体力と比べると、5年前の自分は半分以下なのは確実ですからね。

いま所属している山岳会YYDには6年前に入会しました。ですから、YYDの山仲間たちに迷惑かけずに同行できるレベルの山体力が目指すべき具体的な復活基準になると思っています。当時は僕自身の山体力にも余力がありました。YYDの仲間にもひけを取らない自負心もありました。ただ、現状ではそこまで復活するのは困難でしょうから、迷惑をかけないレベルまでを目指すわけです。

 

で、復活登山第4弾ですけれど、昨年の12月26日に行ないました。急登コースを組み込むことにしました。昔の僕の感覚では気楽なハイキングですが、今の僕にとっては少しの苦役です。選んだコースは奥多摩の人気の入門の山、日の出山です。その山を日の出山北尾根から登ることにしました。この北尾根は昭文社の地図でも赤の破線になっています。標高差600mを一気に登って行きます。たかだか600mの標高差ですし、全体の距離も短いのですが、今の僕にはちょうどいいくらいのコースだと思われます。

 

▲8:22。御嶽駅で下車し、御岳渓谷の遊歩道に降りて来ました。渓谷にはまだ日差しが差し込まず、寒々としています。

 

▲8:24。ここは都内では有名なカヌーの練習エリアです。こんなに早く、水も冷たいのに、練習している人がいました。

 

▲8:36。神路(かみじ)橋です。

 

▲8:39。神路橋を渡って対岸へ行きます。

 

▲8:43。鳥居をくぐって、御岳山へ進みます。

 

▲8:45。御岳ケーブル終点駅のさらに上の展望台だと思います。

 

▲8:49。光仙橋横のこの階段が日の出山北尾根の登山口です。ところが、東京都森林組合の看板が出ています。「立入禁止 森林作業中につき立入禁止 危険」と書かれています。「こんな看板にびびってちゃあ山なんか登れね~ぜ」と強がって、階段を上り、ロープをくぐりましたが、・・・・

 

▲8:50。続いて出て来たこの看板には、僕の勝手な強がりもシュンとなってしまいました。「はい、分かりました。入山なんてもってのほかです」

 

▲8:53。道路から見える範囲の伐採風景。

 

▲9:14。御岳ケーブルの下の駅まで歩きました。復活のためのトレーニングですから、ケーブルカーは使いません。この鳥居の下の道を歩いて、御岳山へ向かいます。

 

▲9:37。その前に朝食にしました。ケーブル駅の駐車場の脇にあるベンチで食べました。トイレもすぐそばにあります。

 

▲9:42。歩き始めると、参道の両脇には杉の巨木が並びます。説明板を書き写しておきます。「青梅市天然記念物 参道の杉並木 滝本から山頂まで二十六丁(三キロメートル余)の参道は、江戸時代初期に整備されたものと伝えられ、両側に並んでそびえ立つ杉の巨木は、御嶽神社に参拝する人々に霊山の荘厳さを感じさせている。年間の雨量が多く多湿で肥沃な奥多摩の地形と地質は、杉の生育に最適であり各地に美林が多いが、このように巨木が群れをなしているところは少ない。幹回りが約六メートル、樹齢三百年以上と推定されるものもあって、その総数は六百本以上を数える。植物名 スギ科スギ 昭和四十三年十一月三日 指定 青梅市教育委員会」

 

▲9:49。途中、この部分だけ昔の道のまま残されていました。今の道は車も通れるようになっていますからね。ここのカーブが多い箇所はろくろっ首と呼ばれているんだそうです。説明板を書き写しておきます。「ろくろは細長い首が、左右に曲がっている、若い女性のお化けである。この付近の坂道は急で、左右に蛇行している。まるでお化けのろくろの首のように、曲がりくねっていることから、いつしか付近をろくろっ首と呼ぶようになったと伝えられる」

 

写真はありませんが、うまたてばの説明板もありました。

「たてばは、休息所である。参道は坂道が続くため、かつては数か所で、馬や駕籠を休ませながら、山上へ進んでいた。ろくろっ首付近は、特に急な坂道である。上がり終わったたてばで、人はもちろんのこと、馬も重い荷物を下ろして一休みし、元気を取り戻してから、山上へ向かっていた」

 

▲10:03。そんな急な坂道を自転車を漕いで登る人に会いました。凄い!

 

▲10:23。途中で1回、ケーブルカーの路線の下をくぐります。

 

▲10:24。横に立っていた説明板を書き記しておきます。「だんごどう かつて団子堂と言う御堂があり、地蔵様(八大地蔵)が祀られていたと伝えられる。地蔵様が困らないよう、地蔵様の膝下には、参拝する人たちが、団子をお供えしたことから、いつしか団子堂と称されるようになったと伝えられる。現在も祠があり、新しい地蔵様が道中の安全を願っている」

 

続いて、じゅうやっくぼとの説明板もありました。それも書き記しておきます。

「じゅうやくは漢字で書くと十薬、重薬で、薬草のドクダミの別名である。この谷間には、薬として利用できるドクダミが、たくさん自生している場所であったことから、いつしか、十薬窪と呼ばれるようになったと伝えられる」

でも、どうやらその谷間には杉が植林され、自生していたドクダミも育たなくなったみたいですね。

 

▲10:37。道の傾斜がなだらかになったこのあたりをだいこくのおと呼ぶのだそうです。これも説明板がありましたから書き記しておきます。「漢字では大黒の尾と書く。禊橋(みそぎばし)を渡った場所からここまで、急な坂道が多かった。ここでは尾根を横切り、ここから先は勾配が緩やかな参道となることから、気を楽にして歩けるようになったのは、大黒様のおかげと感謝の意を込め、大黒様の尾根と称されるようになったと伝えられる」

 

その先の途中にやまのかみとの説明板もありました。書き記しておきます。

「禊橋を渡ったこの参道は、北側から御嶽神社へ向かう参道なので、北御坂と呼ばれている。山ノ神は、山に宿り、そこに棲むすべての生物を支配する、神霊の総称である。往来する人たちは、山地内での安全を、山ノ神に祈願する」

 

もうひとつ説明板がありました。昔、門があった場所なのだそうですが、今はその痕跡もありません。

「くろもん 江戸時代、それぞれの集落(街)の出入口には、夜間、外部からの訪問客を防ぐため、黒門が設けられ、番人が見張っていた。この場所は山上の御師集落の出入口にあたるため、黒門が置かれていたと伝えられる。しかしながら、番人がいたかどうかについては、不明である」

 

▲10:50。御岳の集落の道に合流しました。コースタイム1時間のところ、1時間10分くらいでの到着です。ゆっくりと歴史や民俗を味わいながら歩きましたから、まあ、そんなものでしょう。説明板のお陰で退屈せずに、いいトレーニングが出来ました。

 

▲11:05。御岳ビジターセンター。中でトイレを使わせてもらいました。それから展示物を見ていたら、学芸員さんが来て、について説明してくれました。苔には葉緑素があって、葉や茎のようなものがありますが、根はないみたいです。動物で言えば精子みたいなものが水の中を泳いで移動し、動物で言えば卵子のような存在と合体して胞子となるようです。胞子で増える点はキノコなどと同じですが、キノコは菌類ですが、苔は原始的植物なんだそうです。不思議な存在なんですね。(この文章はネット等で調べ直して、僕なりの理解で適当に構成したものです。間違いがあるかもしれません。学芸員の方も同様のことを説明してくださったのですが、詳細は忘れてしまったものですから)

 

▲11:09。御岳の山上には集落があります。多くは御師(おし)の集落です。御師とは現代で言えば、ツアーコンダクターや旅行会社のようなものでしょうね。日本中から御嶽神社に参拝する御嶽講を引率し、お参りしてもらい、宿の手配等を行なってくれるのです。伊勢講や富士講が有名ですが、現代でも比較的活発に活動しているのは、ここ御嶽講だけだと言われています。

 

▲11:15。神代欅(けやき)です。国指定天然記念物で、幹回り8.2m、樹高約30m。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に植えたとの伝説があるそうです。

 

▲11:39。御岳の集落を抜けて、日の出山へ向かいました。途中に鳥居があります。振り返って写真を撮りました。この鳥居の向こう側が神域になるのでしょうね。

 

▲11:56。ほとんど標高差のない登山道を歩いて来ると、日の出山直下に到着します。右は巻き道で、階段は山頂へ向かいます。右の建物はトイレ。

 

▲12:00。日の出山902.0m到着。いつ来ても、この山頂には人が多いですね。写真には写っていませんが、東屋の向こう側に何十人もいるんです。

 

▲12:02。関東平野が眼下に広がっています。空気が澄んでいればスカイツリーも見えるそうですが、この日は少し霞んでいて見えませんでした。

 

▲12:21。左は鍋割山1084m、右が御岳山929m。鍋割山の右手前には奥の院、御岳山山頂には武蔵御嶽神社が建っています。

 

▲12:24。日の出山を離れ、三室山へと歩き始めました。最初は急な下りが続きます。

 

▲12:48。奥多摩ではの茂みが減っています。シカが増え、冬の間のシカの食糧が笹ですから、食べ尽されてしまったからのようです。僕が奥多摩を歩き始めたころは、奥多摩の山の斜面は笹の蜜藪でした。温暖化が進行し、厳しい冬期間を生き延びるシカが増えると、笹が急激に減少していきました。この写真のように笹藪が残っている場所は珍しくなっています。

 

▲12:52。登山道下の斜面が伐採されて明るくなっていました。登山道沿いの杉は残されていますね。登山道が崩れるのを保護するためなのかもしれませんね。有難いことですね。

 

▲13:19。梅野木峠手前の鉄塔。何かの電波塔のようですね。

 

▲13:26。ここが梅野木峠。

 

▲13:30。峠からしばらくも見晴らしのいい登山道が続きます。

 

▲13:34。この写真中央の杉の幹に説明板がくくりつけてありました。重爆撃機「飛龍」墜落地という説明板です。内容は「北側の谷底に、昭和20年8月11日夕刻、四式重爆撃機「飛龍」が墜落しました。機体は全幅22.5m、全長18.7m、全高7.7mの大きさで、双発です。静岡県浜松基地から、埼玉県熊谷基地へ向かう途中の墜落でした。原因は不明です。搭乗していたのは春日改造大尉ほか12名で、墜落で全員が死亡しました。全員の遺体は軍や地元住民たちによって収容された後、荼毘に付されました。機体もほとんど回収されましたが、エンジン冷却部の片側が谷底に取り残されていたので運び出され、青梅市郷土博物館に展示されています。同郷土博物館には飛龍の遺品のほか、昭和20年4月2日に柚木町2丁目に墜落した、米軍機B29のエンジンも展示されています。これらに関する資料は、青梅市郷土博物館に保存されています。西多摩地方の戦争遺跡を調べる会」

 

墜落したB29について調べてみました。

このB29は空襲終了後に高射砲弾を受け、炎上し、墜落、爆発したもののようです。愛宕山山腹に墜落したのですが、破片は麓の吉野街道付近まで散乱したそうです。5人は機体とともに墜死、遺体は火葬し即清寺に埋葬されました。当時、近くに疎開していた吉川英治が、「死ねば敵も味方もない。丁重に葬るべし」と提言されたそうです。パラシュートで降下した5人のうち4人は憲兵隊へ送られたのち、戦後、アメリカに帰国しました。1人は重い火傷を負っていて、回復の見込みなく死亡。小石川の陸軍墓地に埋葬されました。そして、最後にもう1人。数日間、山中に隠れていた米兵もいました。空腹に耐えきれず里に出て来たところを捕らえられ捕虜となりました。東京陸軍刑務所に移送されましたが、5月26日の空襲による火災で死亡しました。その後、2001年には墜落現場にB29搭乗員の慰霊碑が山林所有者によって建立されたそうです。

こんな小さなひとつひとつが歴史なんですね。実際に飛龍が墜落したすぐそばの山林を通り、この日最後あたりでは、B29が墜落した近くの愛宕山も通ります。ただ、本で読んだりする以上にほんの僅かではあるのでしょうが、実感を伴うことが出来るように感じました。

 

▲13:41。左を登ると三室山646.7m、右は巻き道です。この日進む愛宕神社方面はここから左下に下ります。

 

▲13:43。三室山への登りは巨岩がごろごろありました。

 

▲13:46。山頂には三角点が設置されていました。2万5000図では646.7mになっています。この山名標識では646.9mになっていますが、何か理由があるのでしょうか? 単なる悪戯なんでしょうか? (三角点のある地点がその山の最高地点でないケースも時々ありますからね)

 

▲14:20。三室山でしばし休憩し、愛宕神社方面へ下山開始しました。

 

▲14:29。愛宕神社の奥の院です。ここが愛宕山山頂584mでもあるようですね。

 

▲14:31。僕にはこの石像が何なんだか、誰なんだか、さっぱり分かりません。奥の院の左後方にあったのですが、左の石像は羅漢さんのようでもあります。ネットで調べると、石仏専門家のブログがありました。偏平足 石仏111愛宕山(東京)の記事です。結論を言えば、役行者の可能性が高いようですね。

 

▲14:50。途中、幸せの鐘という表示があったので、寄り道してみました。昨年出来たみたいですね。鐘の鳴らし方の説明がありましたから、その通りに、1打目はそっと自分のために鳴らしました。2打目は心を込めて、S子のために鳴らしました。3打目は世界中の人々の平和を祈りながら鳴らしました。

 

▲14:50。幸せの鐘の前には長閑で平和な里の景色が広がっていました。

 

▲14:55。昔、この尾根を登ったことがあるので、知ってはいたのですが、四国のお遍路道を摸したミニ四国八十八ヶ所札所巡りがあるんです。下っていますから、最初は八十八番から。

 

▲15:04。七十番前後はまとまって設置されています。

 

▲15:20。この標識から下にはありませんでした。僕は愛宕神社へ下りますからね。即清寺方面には一番まであるのでしょうね。いつか、即清寺から登ってみたいと思っています。

 

▲15:29。愛宕神社です。

 

▲15:30。愛宕神社からの眺め。青梅丘陵が広がっています。左端の山は雷電山494m、中央の形のいい山は三方山454.3mだと思います。

 

▲15:31。愛宕神社の前の階段です。

 

▲15:51。この日のゴール、二俣尾駅に到着しました。

 

復活登山の第4弾でしたが、なかなか容易には山体力の復活はないことが今回自覚できました。3年間のブランクは数回の山行で取り戻せるような簡単なものではないようです。今後は復活などと気負わずに、自分の大好きな登山を続けていくだけにしたいと思います。そうする中で、衰えきった山体力も少しは戻ってくるはずだと考えるようになりました。