ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

復活登山の第3弾は奥多摩の高水三山+下山ルートは地図読みバリエーション

2021年12月28日 | ハイキング/奥多摩

先月下旬に山岳会の山仲間に僕の登山再開を宣言して、最初に誘ってくれたのがT橋さんでした。有難いことです。

日程が合わず、すぐには実現されなかったんですが、やっと12月19日(日)にS森さんも加えて3人で行って来ました。

 

▲9:36。軍畑駅は少し遅めの9時10分着の電車でした。高水三山は奥多摩入門の山として人気がありますから、降車する登山者も多くいます。トイレにも行列が出来るくらい。僕たちもゆっくりと出発し、舗装された道路を登山口へと歩きます。写真の道は左の狭い道へ入ります。大きな道を真っすぐ進むと、榎峠があります。この峠を南東へ向かうのが、青梅市街地へとつながる青梅丘陵です。

 

▲9:46。里の村を進みます。左前方に見えている山が高水山759mでしょうか?

 

▲10:07。舗装道路が終わり、ここから山道です。

 

▲10:08。いきなり巨大な堰堤が出現します。インパクトが強くて、この堰堤のことはよく覚えていました。

 

▲10:27。S森さんが「雪かな? それとも霜柱かな?」と聞きます。霜柱ではなさそうでしたから、「雪かな」と答えましたが、雪ではなさそうですね。その理由は、ここよりもっと標高の高い場所でまったく雪が残っていなかったからです。霜柱ではなさそうなので、なのでしょうね。それにしても、気温の低い日でしたね。

 

▲10:52。植林の中に歩き易い登山道が続きます。

 

▲11:08。これは霜柱ですね。長く成長しています。

 

▲11:10。高水山常福院龍學寺の山門下の階段。ブリキ(?)の国旗は何なんでしょう? 開創は9世紀とのことで、とっても古いですね。

 

▲11:11。日原の大日如来窟で修業した智証大師が高水山でも修行をし、その時に浪切不動尊を感得したんだそうです。それ以降、本尊の浪切白不動明王が深く信仰され、不動堂が建立されました。幾度も山火事で焼失しますが、そのたびに再建され、現在の不動堂は1822年に再建されたものだそうです。

 

▲11:17。不動堂の前には狛犬が・・・・。秩父や奥多摩には狼が祀られていたり、狛犬になっていたりすることがよくありますが、これも狼かな、と思いました。でも、耳が垂れていたりして、どこか狼っぽくありません。ネットで調べてみると、どうやら狼ではなくて日本犬のようですね。なぜ日本犬なのか、理由は明確ではないようです。

 

▲11:19。常福院のすぐ裏です。この斜面では春になるとカタクリの花が咲いていたように記憶しています。

 

▲11:22。遠く左には大岳山1266.5m、手前の山は高水三山のひとつ惣岳山756mです。惣岳山から左に延びている尾根を最後に辿る予定です。

 

▲11:26。高水山山頂759mです。毎回思うんですが、この山頂は全然山頂らしくありません。この標識の向かいには鉄柵で囲まれた鉄塔が建っていて、その存在感の方が大きいんです。

 

▲11:42。高水山759mから岩茸石山793.0mへはなだらかな尾根道が続きます。尾根の北側を通る登山道には霜柱がこんなに。この日は気温が氷点下ですから、融けずにあります。

 

ここまで、短い小休止はありましたが、食事もするほどの休止はしませんでした。それが必要に感じるほどのペースでは歩いていませんでしたし、実際、疲れはなかったからです。

でも、歩き始めて2時間ほど経過していますから、途中の日当りのいい場所で大休止を取りました。僕はパンを食べ、熱い飲み物を飲みます。S森さんから温かな柚子ジュースをいただきました。

美味しかったです。

 

▲12:12。いかにも冬枯れた奥多摩の低山ハイキングですね。無風快晴! 素晴らしい日和です。

 

▲12:14。すぐ北隣りの尾根の向こう側は埼玉県です。T橋さんとS森さん。

 

▲12:18。山頂には長居せずに、すぐに出発です。向こうに見えている中央の山は川苔山1363.3mだと思います。T橋さんは前の週に川苔山左手前の尾根のさらに支尾根から登って、右手前の鉄塔の見える真名井北稜を下るコースを歩いています。

 

▲12:19。岩茸石山からはすぐに急な岩っぽい登山道になります。

 

▲12:41。高水三山、最後の山は惣岳山756mです。登って来た2山とこれから登る1山を眺めながらの山歩きです。

 

▲12:53。惣岳山直下の岩場。

 

▲12:54。惣岳山の北東斜面は伐採されていて、霜で白くなっていました。

 

▲12:58。惣岳山山頂は青渭(あおい)神社の建つ広場です。展望もなく、日当りも良くありません。

 

▲13:03。惣岳山山頂からこの日のメインルートがスタートします。一般登山道から外れるんです。他の登山者が間違えて付いて来ないか心配でした。

 

▲13:06。右端の山が高水山、左の山が岩茸石山です。

 

▲13:09。さらに左にパーンして、岩茸石山から惣岳山への尾根。

 

▲13:28。標高620mほどの小ピークです。向こうに見えるのは高水山。

 

▲13:32。左の斜面には伐採後に杉の植林がされています。

 

▲13:49。手入れの行き届いた植林は林の内部にまで日差しが入って来ます。

 

▲13:54。ここは556m標高点。

 

▲14:02。556m標高点の少し先で尾根が南向きになると、その尾根をそのまま辿らずに、標高500m付近から西へ進路を変えて下降します。ここがこの日最大のルートファインディングポイントです。写真は下降し始めたところ。

 

▲14:11。正しいルートなら標高差20mほど下ると、コルが出て来るはずでした。でも、数10m下降しても、まだまだどんどん尾根が下っていきます。間違いに気付き、登り返すことに。正しいルートのコルが左前方に見えています。S森さんが「このままあっちへトラバースしたら」と言いますが、T橋さんも僕も登り返して、元へ戻ることを選びました。こんな時のトラバースが大変なことが多いことを知っているからです。つまりは、そんな大変だった仕打ちを何度も経験しているということ。

 

もとの尾根に戻ったところで、僕は「休もうよ」と言いました。最初の大休止以降、2時間以上休憩なしです。そんなに疲労感はありませんけれど、復活途上の身ですから、休憩も大切。

 

▲14:33。大休止後すぐに、西へと下りました。踏み跡も少しあって、今度は正解でしょう。

 

▲14:36。すぐにコルも出て来ました。

 

▲14:38。コルから最初の小ピークには[←東光寺]の標識が。東光寺はこの日のゴールの軍畑駅裏側にあるお寺です。

 

▲14:44。コルから2つ目の標高480mほどの小ピークには山名があるようですね。物見山というそうです。

 

▲14:47。物見山からは気持ちのいい尾根の下りが続きました。痩せ尾根だったり、岩っぽかったり、馬酔木が多かったり。

 

▲15:04。標高320m付近でJR古里線の送電鉄塔の下をくぐりました。

▲15:14。鉄塔のすぐ先で、そのまま尾根道を行くか、沢筋へ降りるルートを行くかの選択がありました。どちらでも行けるはずです。沢筋を選びました。写真は沢筋へ少し下ったところから振り返って撮りました。

 

▲15:17。小さな沢が現われ、壊れそうなおっかない木橋を渡ります。

 

▲15:19。伐採された木や枝なのか、最近はほとんど歩かれていないみたいですね。でも、なんとなく山道の痕跡は残っていました。

 

▲15:29。山から里へ出て来ました。

 

▲15:30。朝歩いたのは、下の横断歩道です。向こうには青梅線の高架が見えていますが、この後すぐに下り電車が通って行きました。

 

▲15:36。軍畑駅で30分ほど待ちました。この駅周辺には食事をするところはないようですね。

 

T橋さんのご好意で僕の下車駅で打ち上げることになりました。僕の好きな ネパール料理店に行くことにしました。 カトマンズの場末の食堂のようなやる気のない雰囲気が好きなんです。 いつ行っても、客がいることはまずなくて、客ではなさそうなネパール人がたむろしています。 なんとも形容しがたい、僕にとっては好ましい雰囲気のお店です。

ただ、店のドアを通って中に入ると、ネパール人のおばさんが「今日はない」と。 営業していないようですね。 でも、すぐ隣りに同系列のお店があります。入りたかったお店がレストランなら、隣りの店は居酒屋さん。 お料理はお酒のつまみ風で、味が濃いですね。 つまり、辛い。

ここの写真も撮っておけば面白かったんですが、撮り忘れました。やっぱりお客さんでもなさそうなネパール人が2人いました。彼らは店に飾られている写真のことを説明してくれました。鳥の剥製もあったのですが、ネパールの国鳥なんだとか。帰ってからネットで調べると、ニジキジというキジ科の鳥なんですね。日本の国鳥はキジですから、共通してますね。キジよりもひと回り小さくて、ニジキジとの名前のようにキラキラ光り輝く綺麗な鳥です。

T橋さんが生ビール3杯、S森さんも2杯、僕はククリラムを2杯、 チーズナン(SRさんに食べさせてもらって以来、大好きになりました)、他にも5皿ほど食べて、 トータル6400円!  安い! S森さんはまだご自宅まで遠くて時間がかかるのに、最後まで楽しく付き合ってくださって有難うございます。


復活登山の第2弾は奥多摩の天地山から鋸山。山仲間に声をかけてもらって歩いて来ました

2021年12月08日 | ハイキング/奥多摩

12月5日の日曜日、同じ山岳会のK野さんに誘われて、奥多摩の天地山へ行きました。山の仲間というのは実に有難い存在ですね。感謝しかありません。

 

最初の計画では天地山~鋸山~鞘口山~江戸小屋山~九竜山、と言ったコースだったのですが、おそらくそれでは僕が大変だろうと、変更してくれたんだと思います。鋸山から鋸尾根を直接奥多摩駅に下山することになりました。鞘口山を回れば、僕の足ではほぼ確実に日没後の下山になってしまいそうですからね。

 

それにしても山仲間と歩くのは実に1年9ヶ月ぶりのことです。それだけでも、心がウキウキしますね。1年9ヶ月前はSS木さんとS子と3人で歩き、茅ヶ崎ロックに下山し、岩トレしていた仲間に合流したんです。

 

朝も久し振りに早い電車(と言っても以前はこれが普通だったのですが)で奥多摩へ向かいました。電車内は登山者で溢れていて、これも久し振りのことですね。奥多摩駅に着き、駅前広場へ出ると、K野さんとT原さんが声を掛けてくれました。1本前の電車で来たんだそうです。それからW泉さんやS上さんとも合流しました。本当に懐かしく、嬉しいですね。SS木さんも参加する予定だったのですが、今朝起きると微熱があったとのことで、急遽不参加。残念です。 

 

▲8:32。奥多摩駅前の商店街から海沢方面へと出発です。

 

▲8:58。後方に見える尾根は前回僕がひとりで登ったゴンザス尾根です。(K野さん撮影)

 

▲9:07。この日の奥多摩の最低気温はマイナス3度とありました。まだ日陰ではが残っています。

 

▲9:13。前方の山の斜面に建っているのは東京多摩学園。天地山へは学園の前を左へ進みます。

 

▲9:20。学園前を左へ進むと、天地山への標識がありました。この標識がなかったころはこのまま左へ進んで、適当な場所から尾根に取り付いていたと思います。

 

▲9:34。多分、途中で左へ進まずにまっすぐ行った方が良かったんだと思います。確かにそこでは左の方がいいかな、と思えたんですがね。こちらはそのうち踏み跡も消え、完全な藪漕ぎになってしまいました。それだけならいいのですが、棘の多い植物も混ざっていたので、掴むと痛い! 半袖の元気者K野さんはなおさら被害を受けてましたね。

 

▲9:57。藪漕ぎを抜けて、尾根に出ました。そこからは明瞭な踏み跡が付いています。

 

▲10:29。寝転がって居たいような落ち葉の斜面です。

 

▲10:46。クマの爪痕でしょうか?

 

▲11:21。天地山に到着。(W泉さん撮影)

 

松浦隆康氏の『バリエーションルートを楽しむ』(新ハイキング社)にこの天地山にまつわる言い伝えがよく纏められていますから、抜粋して掲載したいと思います。

「『海沢村地誌』には、天地山のことを「割山(さけやま)」とか「天地の割山」と表記されており、割山という名前は、海沢の昇竜伝説と係わりがある。

昔、海沢一帯は沼であり、地底に一匹の竜が棲んでいた。ある時、竜が沼底を揺るがして天に昇り、その時の地鳴りで向雲寺と海沢神社との間で沼が決壊した。天地山は、昇竜によって天地が割れた山という意味を持つ。天に昇った竜は再び地に舞い降りたが、向雲寺裏山の神路山頂で岩に化したという。ちなみに向雲寺の山号は竜岩山である。」

ちなみに、奥多摩の山を愛する者たちにとってのバイブルとも言われている宮内敏雄著『奥多摩』には今の鋸山のことを天地山だとしている。天地山のことは高岩山と呼んでいる。どちらが正しいかの確証はないが、個人的には現在の呼称どおりがいいのではと思います。その理由ですが、今の天地山の方が昇竜伝説の持つ神秘的なイメージに近い感じがするからですね。

 

▲元気者のK野さんは天地山山頂にあった木の枝で懸垂を始めました。何回もやってます。顎もずいぶん高くまで持ち上がっています。(W泉さん撮影)

 

▲他のメンバーもチャレンジしました。僕もやってみましたが、1回だけしたら疲れてしまって、2回目をする気にはなれません。(W泉さん撮影)

 

▲11:27。天地山山頂南西斜面は岩場の急斜面でした。2014年4月にS子とふたりで天地山に来ていますが、ここの下りでS子が大変だった記憶が残っています。もう、こういう山は無理だな、と感じた記憶があります。

 

▲11:32。ロープが付いている箇所もありました。

 

▲12:05。踏み跡通りに辿って来ました。鋸尾根が見えています。登山者の声も聞こえてきます。

 

▲12:10。鋸尾根の登山道へ出て来ました。

 

鋸山(1109m)山頂での記念撮影。

 

▲ここでもK野さんはトレーニング。足をこの位置まで持ち上げられるのは凄いですね! コロナ禍で山へ長い期間行けなかったK野さんですが、筋トレはしっかりやっていたようです。

 

▲13:04。鋸尾根下降中、木の間から天地山が見えました。奥多摩の槍とも呼ばれているそうですが、確かにそうですね。

 

▲13:30。左からK野さん、W泉さん、S上さん、T原さん。後方の山は石尾根だと思います。

 

▲13:42。鋸尾根途中のクサリ場。K野さんは鎖に頼らずにクライムダウンして来ました。

 

▲14:28。愛宕神社の鳥居です。

 

愛宕神社というのは火伏せ(防火)の神様を祀っているんだそうです。修験道の祖とされる役小角が関わっているので、行者たちが修行を重ねる岩山に愛宕神社が祀られることが多かったようです。奥多摩の愛宕山も岩山。元来、麓の地名にもある登計(とけ)山と呼ばれていたようで、登計はトケ→トッケであって、つまりトッキ、突起なんですね。

詳細は忘れましたけれど、僕は昔こんな実話を聞いたことがあります。

「今のむかし道にある白髭神社を火事で焼失させてしまった(放火ではなく過失だったと思います)男がいました。そのまま逃げたのですが、愛宕神社の神様が夢の中に繰り返し出て来て、彼を苦しめたんだそうです。数日後、彼は自首し、心は楽になりました。その火事の跡は今の白髭神社の脇の石灰岩の岩壁に黒く残っています。この事件はそれほど古い時代のことではないようですね。明治時代以降のことだと思います」

 

▲鋸尾根最後に待ち受けている関門がこの188段の階段。みんなにけしかけられてK野さんが階段ダッシュをしました。元気ですね! 降りて来たばかりの階段を、再度上って下って来るのです。さすがのK野さんも疲れたようで、上部で足が止まってましたね。

 

▲14:55。鋸尾根の下山完了です。(K野さん撮影)

 

▲14:56。これから駅へ向かいます。

 

▲14:57。昭和橋上から氷川の町を見る。写真中央上部に見える白い岩場は氷川屏風岩。また行ってみたい岩場ですね。

 

▲15:07。2020年に駅前の公衆トイレを新しくしたんだそうです。綺麗になっていました。左には多機能トイレも設置されていました。

 

みんな天益に行きたかったんですが、鋸尾根の途中から電話を入れた際、今日の天益は予約の客だけで手一杯だということでした。降りて来て店を見ると、すでに終了との札が出ていました。鍵も掛かっています。

 

天益の代わりに『むら㐂』に入ることにしました。カウンターに我々5名が入って独占です。

 

▲左からT原さん、K野さん、僕、S上さん、W泉さん。複数の人と居酒屋さんで飲食を共にするのも1年9ヶ月ぶりです。ちょっと嬉しくてお酒を飲み過ぎたかもしれません。芋焼酎お湯割りを3、4杯、日本酒を1杯飲みました。普段飲む量の数倍飲んでしまいました。山仲間と山の話をする。堪えられない悦びですね。(W泉さん撮影)

 

▲酔っ払いが電車の床で寝落ちしているわけではありません。僕が30代40代の頃は、帰りの車内がトレーニングジム化していたとの話題の一環で片腕腕立て伏せを始めたのはいいのですが、筋力低下の影響か、それとも単なる酔い過ぎか、1度も出来ずにこの有り様。写真に撮られているとは思いませんでしたが。(W泉さん撮影)

 

▲そのW泉さんもチャレンジ。これは誰が撮影したんだろう?

 

もちろん、乗客が増えてくると、僕たちも大人しくしていました。こんな馬鹿なことが出来るのも山仲間だからです。

 

僕にとっての2回目の復活登山。1回目は単独でしたから、自分のペースでゆっくりと歩きました。今回は仲間と一緒なので、そのペースにある程度は無理しない範囲で合わせて歩きます。ですから、自分だけのペースよりもほんの少しですが速くなります。休憩も少なくなります。先頭を歩いていたK野さんは僕のことも考えて少しゆっくりなペースで歩いてくれたんだと思います。彼は2リットルのペットボトル4本に水を入れてザックに入れていました。他にもザイルや金具の登攀器具を入れていましたから、ザックの重さは20kg前後はあったようです。とは言え、特に遅れることなくみんなと一緒に歩けたことは少しだけ自信につながりました。

 

ですが、下山の翌々日から肉体へのダメージが現われ始めました。筋肉痛です。久し振りに腰も痛くなっています。今の僕にとってはハードな山行だったようです。このレベルの山行をして、肉体を傷めつけ、そこから回復し、そんなことを繰り返すことで、山体力が復活していくんだと思います。


何年振りかの普通の山歩きを奥多摩駅裏の本仁田山で行ないました。山体力が悲惨なほど低下しています

2021年11月27日 | ハイキング/奥多摩

このブログではまだ公にしていない事情によって、ここ何年かは普通の登山や沢登り、雪山は出来ていません。易しくて短い、急登がなく標高の低い丘のような山のハイキングがほとんどでした。コロナ禍の前まではこれも超簡単な沢歩き程度はしていましたが、それも昨年からは出来ていません。今年は丘ハイキングも出来なくなっていました。ただひとつ、週に1日だけ平日に天覧山の岩場で2時間ほどのトラバーストレーニングだけ実践していました。

ですが、嬉しいことに11月21日の日曜日、何年ぶりかで普通の山歩きを奥多摩で行なうことが出来ました。僕にとって普通と言うのは、ほぼ自分のペースで歩ける登山のことです。同行者にほとんど気を遣うことなく、山が与えてくれる喜びを体いっぱいに享受しながら歩けるということです。

今後は月に1回か2回は日帰りでそのような登山を楽しむことが出来ると思います。このブログでも、そのような山行の記録を残しておきたいと思っています。

 

当然のことですが、長いブランクがあると山体力の衰えは避けられません。ただでさえ高齢なのに、ブランクの影響は若いころのそれとは比較できないくらい壊滅的影響を及ぼすはずです。

自覚はあります。日常生活の中で一番よく分かるのは自転車ですね。買い物へ行く途中に長い坂道があって、昔はそこを6段変速のいちばん速いギアでもきついと思わずに漕ぎ上がったのですが、最近は上から3番目のギアで上ります。最速ギアなら立ち漕ぎしてしまうでしょうね。

そんな衰えまくった僕ですから、コース選定は短いルートにしました。ただ、なだらかで楽なコースだと自分に負荷がかかりませんから、急登で急な下りのあるコースを選びました。

それが今回のゴンザス尾根~大休場(おおやすんば)尾根です。

さらには下山後に天益に寄ろうと思っていますから、下山時刻が早くなり過ぎないように出発を普段より1時間ほど遅く設定しました。

 

▲9:23。奥多摩ビジターセンターです。駅でトイレに入りたかったのですが、男子トイレにも行列が出来ていました。どうやらトイレが新しくなったみたいでした。便器の数が減ったのかもしれません。男性用で行列が出来るのは珍しいことですから。駅前での用足しは諦めて、そのまま歩いていたらビジターセンターが開いていました。遅い出発だったので、開いていたんですね。ここのトイレを使わしてもらいました。綺麗なトイレでした。有難うございます。

 

▲9:33。もえぎの湯です。

 

▲9:36。日向の馬頭さま。横に解説板がありましたから、それを転記します。「奥多摩は関東随一の急峻な地勢で道路問題は古くから住民の大きな負担になっていた。ここ、氷川と白丸は隣合せの集落でありながら地形が急峻で江戸時代の中期までは、その往来は山上の根石越えが主要道で、元禄時代に数馬の切り通しが開削されるまで、ひどい難儀を強いられていた。また、この氷川の七曲りには、オオカミ落しの呼称のある多摩川まで逆落しに落ち込む岸壁があり、交通の難所で道路開削後も宝暦四年、嘉永二年を含め度々大がかりの道普請が行なわれている。この日向の馬頭観音は文化十一年に建立されたものであるが、刻まれた銘等を見ると青梅をはじめ交通に関わり合いのある多くの人達により、供養されたものと思われる。当初は現国道より十数米上部の旧道に建立されていたものであるが、現国道が昭和二年~四年に改修されたときに現在地より百米程青梅寄りの国道添いに移築され、通行する人々の安全を見守っていたところである。今般、日向人道橋の工事に伴いこの地に移築したものである。平成八年十二月四日 奥多摩町」。奥多摩駅と隣りの白丸駅との間に、昔あった山越えの道がどこを通っていたか分かっていないそうなんです。どこを歩いても大変そうな急峻な地形だから。

 

▲9:40。写真奥のトンネルのすぐ左から出て来ました。この歩道橋が馬頭観音の解説板にある人道橋なのでしょうね。左下には多摩川が流れています。確かに急峻な地形です。

▲9:47。久し振りなので、この登山口を見つけるのに少しだけ迷いました。これからゴンザス尾根を登ります。

 

▲9:57。朝食はしっかりと家で食べて来ましたが、まずは本格的登りが始まる前に再度の軽い腹ごしらえ。この祠の脇で、コロッケ1個とミルクチャイを飲みました。

 

▲10:09。写真中央部分、植林の間に人の姿が複数見えると思います。僕がここで休憩していると、10人以上のパーティーが通り過ぎていきました。「高校生?」と聞くと、「はいそうです。※#*のアルペンクラブです」との答え。帰宅して調べると、どうやら青山高校アルペン部のようですね。

 

▲10:38。これがNHKの設備なのかな? ここの左奥で高校生パーティーが休憩を取っていました。白い柱の左にちょっとだけ姿が写ってますね。

 

▲10:48。途中、送電線鉄塔のある広場があります。標高700m付近です。昔、ここで送電鉄塔を保守点検している方たちに会ったことがあります。その日は確か、氷川屏風岩の左をそのまま登って、ここまで来たんだと思います。昔の道の根石越えの可能性を探ろうと思っていたのですが、登りが険し過ぎますよね。

▲10:57。僕が小休止していると、元気な声が聞こえてきました。さっき追い越した高校生パーティーです。僕も出発するところだったので、彼らの前を歩こうとすぐに出発しました。写真中央に彼らのオレンジ色のユニフォームが見えますよね。

 

▲11:09。紅葉の盛りなんですが、生憎の曇天なので、鮮やかな輝きとはほど遠いですね。

 

▲11:14。あれが目指す本仁田山(1224.5m)でしょう。

 

▲11:23。少し陽が射し始めました。

 

▲11:31。急登のところどころでこの程度ですが岩場が現われます。

▲11:35。高校生パーティーの声が時々僕に迫って来ます。本当なら彼らにはすぐに追い越されて、さらにはどんどん引き離されてしまうのでしょうけれど、10人以上のパーティーですから、いちばん遅いメンバーに合わせたスピードです。山体力の衰えた僕と同じくらいのスピードでした。

 

▲11:50。ゴンザス尾根はここで終了です。ここからは鳩ノ巣駅から始まっている花折戸尾根になります。

 

▲11:58。築摩山(1040m)に到着しました。東京三五〇というのは何だろう? と思って調べたら『東京周辺の山』という本におよそ350の山が掲載されているので、どうやらその意味のようですね。この山名標識を掛けた方は350の山々を巡りながら、標識板を作り、取り付けているのでしょうか? 僕は日本百名山すらほとんど意識していません。数えてみたら50とか60山くらい登っていましたが、まったく興味ありません。自然に増えて、95山くらいになったら、「あと5つ登ってみるか」という気が起きるかもしれませんけどね。

 

▲11:59。筑摩山で3回目の休憩を取りました。休んでいると、高校生たちが通り過ぎていきました。顧問の先生のような方が一人いて、「ここは狭いからもう少し先へ行こう!」と言いました。陽はまだ射していて、風もなく、太陽へ体を向けて暖かなひと時を過ごしました。

 

▲12:21。筑摩山山頂で20分近く休憩しました。筑摩山から本仁田山に近づくまではなだらかな尾根道が続きます。

 

▲12:35。途中で高校生パーティーを抜きました。この写真とよく似た広い場所で昼食休憩のようでした。バーナーの音が聞こえていましたから、皆の昼食を作っていたのかもしれませんね。この写真の前方の山は本仁田山だと思います。

 

▲12:45。本仁田山への急登が続きます。昔よりもこの急登が長くなったような気がしました。昔はもっと早めに左へ進んで行き、大休場尾根の登山道へ合流していたような記憶があるのですけれど。

 

▲12:55。大休場尾根の登山道に出ました。

 

▲12:58。先ほどの合流点から3分しかかからずに本仁田山山頂です。こんなに近かったかなぁ? 正午には山頂到着の予想だったのに1時間も遅くなってしまいました。

 

▲13:14。山頂には3パーティー、10人の登山者がいました。男の子3人を連れているお父さんもいました。

 

▲13:30。大休場尾根です。奥多摩の登山道の中にも下りでしか使わない登山道が幾本かありますけれど、ここもそうです。何回下りてもあまり好きになれない道です。

 

▲13:44。こんな看板が。

 

▲13:45。この岩に注意しろと言ってたんですね。この日は岩も乾いていてさほど滑りませんが、濡れていたりすると凄く滑るでしょうね。ツルツルのスラブですから。

 

▲13:52。見事に手入れされている美林ですね。

 

▲14:03。登山道は大休場尾根をここで離れて右へと曲がります。尾根はこの先も続いています。昔、この先の様子が気になって、降りてみたことがあります。山道は途中で消えて、尾根左の急斜面を下降せざるを得なかったように記憶しています。その下降はけっこう嫌らしいものでした。確かに二度と通過したくない場所でしたよ。

 

▲14:18。またこんな看板が。先ほどのは多摩環境事務所でしたが、こちらは奥多摩自然公園管理センターです。駅裏の山ですし、登山初心者も多く登る山なんでしょうね。おそらく、この辺りで滑落した人がいるんだと思います。

 

▲14:30。里が近づいて来たようですね。石垣が現われました。

 

▲14:35。安寺沢の登山口に降りて来ました。本仁田山山頂からここまで1時間20分かかってしまいました。一般的なコースタイムは50分になっています。そんなに遅く歩いたつもりはないのですが、この時間です。脚が弱っているんでしょうね。

 

▲14:56。人家が現われました。中央の陸橋のような構造物は奥多摩工業氷川工場に石灰岩を送るトロッコ軌道です。

 

▲14:57。正午頃から少しだけ晴れ間が出ましたが、すぐに再び曇天に戻りました。陽が当たっていればこの楓の木ももっと美しかったでしょうね。

 

▲14:59。氷川国際ます釣り場とその向こうには奥多摩工業氷川工場です。石灰石関連製品(生石灰、消石灰など)を作っているようですね。

 

▲15:05。左端は氷川工場、中央の建物は氷川小学校です。小学校上に見える尾根がこの日に登ったゴンザス尾根です。

▲15:10。今日の目的のもうひとつがここ天益です。お客さんがちょうどお勘定で、カウンターに座ることが出来ました。僕にとっては1年8ヶ月ぶりの外食です。外食するなら最初は天益と決めていましたから、それが実現できて嬉しかったです。この店へ通い始めてからもう35年は経っています。今の女将さんのお母さんの時代からです。昔は餃子と冷奴だけがメニューでした。中国で教えてもらったというニンニクの入っていない餃子でした。店もこの場所ではなくて、この通りの一番奥にありました。奥多摩の山の想い出も天益と共にあると言ってもいいくらいです。楽しい、懐かしい、哀しい想い出がたくさんあります。この日の天益では静かなしっとりとしたひと時を過ごすことが出来ました。再びこの店に来ることが出来た喜びを噛みしめながら過ごしました。迎えてくださっただけでも嬉しいのに、密かにお土産までくださって本当に感謝です。天益さんは僕のことを少し大切にし過ぎてくださっているとまで感じます。下山した山の麓にこんな素晴らしいお店があるとは、僕は本当に幸せです。


無風快晴の陽溜りハイキング。倉沢見通シ尾根を滝入ノ峰まで登りました

2017年03月24日 | ハイキング/奥多摩

2017/2/15  今年はまだ雪山を歩いていません。そのトレーニングにまずは少しでも雪の上を歩いて来ようと、奥多摩の1000m以上の山へ行くことにしました。そのくらいの標高になれば必ず雪がたくさんあるはずと思ったからです。 


▲S子との山行です。短い距離しか歩きませんから、今回も出発はのんびり遅い時刻です。10:10ころ。


▲倉沢バス停で下車。倉沢林道ではなく、バス道路を少し先へ向かいます。10:37ころ。


▲倉沢のヒノキへ行く階段からスタート。10:39ころ。


▲向かいには日原の石灰岩鉱山が見えます。10:40ころ。


▲あちらこちらで山道の脇が崩れていました。10:41ころ。


倉沢見通シ尾根に出ました。10:49ころ。


倉沢のヒノキの前に立つS子。立派なヒノキです。胸高周囲6.3m、樹高34m。11:01ころ。

▲巨樹には独特の存在感がありますね。何かを語りかけて来るようです。11:02ころ。


▲倉沢のヒノキから右へ水平な道が延びています。これは廃村になった集落への道。以前は建物もそのまま残っていたのですが、今では階段状の敷地だけが残っています。11:13ころ。


▲ほぼ尾根沿いに踏み跡がありました。そこをしばらく歩きます。11:19ころ。


▲その踏み跡が尾根から離れ、尾根の南西側を巻くようになりました。11:21ころ。


▲その巻き道はまだまだ続いているのですが、あまり尾根から離れても不安ですから、適当な場所から尾根へ戻ることにしました。11:24ころ。


▲再び尾根へ戻りました。11:27ころ。


▲岩のゴロゴロある尾根の結構な急登を登って行きます。無風快晴ですから、気分良く登れます。11:37ころ。


▲落葉広葉樹が続いていましたが、植林帯に入ります。ほの暗い中を歩くことに。11:49ころ。


▲日陰で北面だからでしょう。雪が融けずに残っていました。12:04ころ。


▲東隣りの鳥屋戸尾根が見えています。左の山がその尾根上の笙ノ岩山1254.8mでしょう。右に見えている山は本仁田山1224.5mだと思うのですが。12:26ころ。


▲広葉樹の苗を植えているようです。シカの食害から守るために網で囲ってあります。12:32ころ。


▲本仁田山だと思います。その右の遠くには御岳山や大岳山が見えます。12:40ころ。


▲相変わらず岩はゴロゴロしています。12:46ころ。


▲もうこの辺りでは標高が1000mは越えているはずです。1120mあたりのなだらかな尾根へ向かって直前の急登を登って行きます。13:07ころ。

▲積もった枯葉をラッセルしながら急登を直登! 13:15ころ。


▲平らな場所に出ました。心がほころんできますね。13:27ころ。


▲こんな空はいつ見ても何度見ても大好きです! 13:45ころ。


▲大休止後、再び歩き始めます。しばらくはそれほどでもない登りが続きます。13:50ころ。


▲植林が現われると日陰になりますから雪も残っていました。14:04ころ。


▲東京都レンジャーによる野生動物調査のためのカメラです。多分、僕も映ったことでしょう。14:06ころ。


ヨコスズ尾根の登山道へ出ました。普通ならここから下山していくのでしょうが、今日はそうではありません。14:08ころ。

▲登山道をそのまま突っ切って、滝入ノ峰へ向かいます。でも、かなりの急登が標高差70mあまり続きます。14:28ころ。


▲山頂が近づいています。14:32ころ。


滝入ノ峰1309.9m山頂の三角点にあとわずかのS子です。14:34ころ。

S子は山頂で脚が攣りました。ここまでの急登が影響したようです。今回は足の攣りに効くと言われているツムラの漢方薬を持って来ているので、それを飲んでもらいました。
下りもいつも以上にゆっくりと歩くことにしましょう。


▲山の世界には山名標識を自作して設置する趣味の人たちがいるようですね。この猫の標識は初めて見ました。14:35ころ。


▲どの方向を見て撮影したのかを忘れました。でも、長沢背稜なのは確かでしょう。右の三つのピークの連なりは三ツドッケ(天目山)1576.0mでしょうか? 14:37ころ。


▲下山開始です。ほんの僅かですが、雪を踏みしめる感覚も味わいます。14:57ころ。


▲まさに枯葉のラッセルです。よく乾燥してますから、そのクッション性や音も心地いいですね。15:06ころ。


▲わざと雪のある場所を歩きます。15:08ころ。


▲おそらく雲取山の方向だと思います。木にボンボンのようなヤドリギがたくさん付いていますね。15:17ころ。


▲滝入ノ峰からヨコスズ尾根に忠実に尾根筋を下ってきました。でも、登山道は南東側山腹を巻くように通っていますから、適当な場所から登山道へ降りることにしました。なだらかな傾斜の斜面を下ります。ここも枯葉のラッセルでした。15:42ころ。


▲登山道に出ました。ここからは一般登山道です。15:46ころ。


▲S子は途中また1回脚が攣りました。それでも、注意しながらゆっくり降りて来ましたから、軽くて済んだようです。日原の町が見えて来ました。16:31ころ。


▲東日原のバス停です。楽勝で間に合う予定だったバスには乗ることが出来ませんでした。S子にバスに間に合うために通常のスピードで歩くことを強制はできません。それは仕方のないことです。16:59ころ。


▲バス停そばの食堂が営業していればそこで次のバスまで時間を潰すことも出来たのでしょうが、開いていませんでした。じっと待つのも退屈ですから、奥多摩駅目指して行けるところまで歩きます。振り返った日原の町は、いつも思うのですが、ナムチェバザールに雰囲気が似ていると思いませんか? 17:03ころ。


日原トンネルです。このトンネルの竣工は昭和54年3月のようです。完成間もないころに、こんな立派なトンネルが出来たんだと、感激しながら車で通った記憶は確かにあります。ただ、それ以前の旧道を通った記憶もかすかながらあるのですが、その記憶が本当だかどうかは確信持てません。年代的には旧道を通ったことがあったとしても可笑しくはないはずですね。17:09ころ。


▲日原トンネルの右側に旧道が残っています。今の道路に合流する橋は壊されているのですが、いまS子が立っている横から旧道へ入ることが可能でした。17:10ころ。


▲旧道を100mほど進むとトンネルがあり、写真のように鉄柵でふさがれていました。残念! 戻ることにします。17:12ころ。


▲日原トンネルを通り抜けます。17:28ころ。


▲今日の登り口の倉沢ヒノキへの階段が現われました。意外と近かったんですね。17:33ころ。


▲川乗橋バス停に到着です。バスの時刻まであまりなかったので、歩くのはここまで。すぐに来たバスに乗りました。18:33ころ。

久し振りに「天益」が開いていました。平日は営業していないことが多いのですが、予約があれば開けるのだそうです。今日は予約があったのだとか。予約した人、有り難う。Kさんも来られていたそうですが、入れ違いでした。Kさんとは少し前に愛犬(豆柴)の散歩中に偶然お会いして、立ち話を長くしました。でも、会いたかったですね。

 


こんなに寒いのに、奥多摩山中で焚火キャンプを決行しました! おまけで廃村訪問も

2017年02月27日 | ハイキング/奥多摩

2017/1/26  このブログのタイトルにもあるように、僕は焚火が大好きなんですが、そんなチャンスはなかなか多くはありません。それで2014年11月のことですが、登山はともかくとりあえず焚火だけのキャンプを計画したのです。
その時の様子はこちらで。奥多摩の秘密の場所で焚火キャンプ

その同じ場所へ再び訪れることにしました。今度はH樹さんも一緒に。


▲前回は11月でしたが今回は1月です。寒さがまったく違います。林道の水の流れも凍ってしまっていました。13:04ころ。

焚火キャンプだけが目的ですから時刻も超遅いです!


▲途中の広場で動物の頭蓋骨が落ちていました。角の土台みたいな骨があるので、シカの雄でしょうか? 13:10ころ。


▲こちらはメスかと思います。13:11ころ。


▲大きな堰堤が現れました。左側を巻いて行きます。13:28ころ。


▲天場到着。周辺を探しましたが、やっぱり前回と同じ場所になりました。13:39ころ。


▲S子が立っている場所が焚火の位置です。焚き木を集め始めます。14:46ころ。


▲僕は水を汲みに行きました。前回の2年前も上流へ水を汲みに行きましたけれど、今回は前回よりもさらに上流へ行きました。沢が凍っています。14:50ころ。


▲手前の沢は完全に凍っています。その先は凍っておらず、水の流れが見えます。そこで給水。14:53ころ。


▲ここら辺の焚き木は火が付き易いものだらけです。それは前回体験済みですからまったく心配していません。今回もまずは杉の葉やその小枝を集めて、写真のように山積みにしました。15:08ころ。


▲ライターで直接点火すると、スギの葉はすぐに勢いよく燃え始めます。15:09ころ。


▲だんだんと太い焚き木を載せて行くだけで、簡単に焚火の完成。15:17ころ。


▲今回は最近購入したLEDランタンの初お目見え。15:57ころ。


▲太陽光パネル付きなので、長期間のキャンプには重宝すると思います。重量も75gしかありません。15:57ころ。


▲ビリー缶も中と小を持ってきました。16:45ころ。


▲焚き木も大量にあります。16:53ころ。


▲焚火とLEDランタンの他は暗黒です。17:27ころ。


▲LEDランタンの灯り。17:31ころ。


▲今回もホットワインを持って行きました。ホットワインは家でスパイスと蜂蜜を入れて温めたワインをチタンテルモスに入れて持ってきます。それを再び温めて飲むと、スパイスがちょうどいい具合に効いてくるのです。ちなみに入れたスパイスはシナモン、黒胡椒、クローブ。17:55ころ。


▲メインディッシュはタイのマサマンカレースープです。紙パックに入っているのですが、一個が200gほどで2パック持ってきました。肉や野菜を入れて煮込むだけで美味しいカレースープになります。焚火のすぐそばに平たい石を置いて、そこにビリー缶を載せました。ほとんどガスストーブを使うことなく調理が出来ました。17:56ころ。


▲カレースープとホットワイン。もちろん白いご飯もあります。カレースープとも相性抜群でした。焼酎『三岳』も当然あります。18:12ころ。


▲H樹さんが焚火係で焚火の管理をしてくれています。LEDランタンがあれば、ヘッドランプなしに普通の行動は大丈夫。18:55ころ。


▲焚火の炎に引き込まれるような気分になりますね。20:37ころ。


▲燃えかけの焚き木を少しだけ離し、河原の石を焚火の上に置きます。風でも火の粉が飛ばないようにしておくのです。水はかけません。翌朝また火を熾すので。21:00ころ。


▲今晩はこの時季としてはさほど寒くはありませんでした。夜もぐっすりと眠れることでしょう。21:02ころ。

2017/1/27  僕は家では目覚めが遅いのですが、山ではほぼ夜が白むころには自然と目が覚めます。理由は分かりません。S子はその逆で家では早く起きるくせに、山では熟睡。いつまででも寝ておられるようです。
この日も僕は5:20ころには起き出しました。


▲まずは焚火を熾すことから始めます。石をどけ、スギの葉や小枝を載せて火を付けます。消えていて熱もほとんどないとは言え、前の晩の消し炭がたくさん残っていますから、すぐにこんな状態に。5:39ころ。


▲夜が白みかけています。僕は一人で焚火にあたり、お湯を沸かし、コーヒーなど飲みながら過ごします。6:38ころ。


▲焚火の煙が白く見えるようになりました。まだS子とH樹さんはテントの中。7:36ころ。


▲二人が目覚めたようです。7:56ころ。


▲朝食はH樹さんの担当。カニと梅干と柚子の入った雑炊です。起きたばかり(僕は違いますが)の胃には易しい朝食。8:36ころ。


▲朝をのんびりと過ごし、ちょっくら散歩に出かけます。9:24ころ。


▲まずは水場付近の凍った沢を見てもらいました。水汲みは僕がしたので、二人はまだ目にしていなかったのです。僕は朝も水汲みに出かけましたから、今日は2回目。9:31ころ。


▲水場付近から沢の右岸斜面を登って行きました。9:34ころ。


▲登りやすそうな場所を登って行きます。それでも急登は急登。9:59ころ。


▲山道に出ました。10:03ころ。


▲ストーブなんでしょうかね? お風呂の焚き付け口のような気もしますが。今日は廃村ピクニックなんです。10:07ころ。


▲この家には子供が暮らしていたのですね。でも、不思議なくらい色が鮮やかに残っていますね? 10:08ころ。


▲まだまだ使える立派なご飯茶碗や湯飲み茶碗が転がっています。10:15ころ。


▲この廃村には僕は40年ほど前にも訪れたことがありますが、その時にはまだ家が2、3軒はしっかりと立っていました。10:25ころ。


▲用水池だったのでしょうか? 溜まっている水には氷が張っていました。10:26ころ。


▲この集落の守り神なんでしょう。この社はまだどなたか氏子さんが守り続けているようです。10:28ころ。


▲壁の上に飾られた板に描かれた絵です。意味は分かりかねますが、立派な建物に月と太陽でしょうか、二つの白い円が描かれ、右下には鷹に見える鳥も横棒にとまっています。10:29ころ。


▲この社は立派な二本の巨樹で守られています。10:32ころ。


▲この廃村の最上部あたりに墓石を集めて祀ってあるところがありました。ここの村人が離村し、墓参りに来るのが大変になったのでしょう。お墓を里に移したのだそうです。墓石だけは肩を寄せ合うように一か所に集めておきました。10:40ころ。


▲そのことが記された墓碑。「〇〇家永代墓所ヲ菩提寺瑞龜山正法院内ニ奉遷ス」とあります。10:42ころ。


▲別の廃村もそうでしたけれど、山の斜面にある村ではどうも上に住む人ほど偉いみたいですね。s子の背後の石垣の立派なこと! 11:04ころ。


▲帰りは沢沿いに下ることにしました。ここは前回も下った沢です。11:13ころ。


▲僕の指よりも長い霜柱がありました。11:25ころ。


▲傾斜の緩い沢です。11:34ころ。


▲沢の終了点に出ました。11:40ころ。


▲テントに帰着です。11:43ころ。


▲焚火に水をかけ、完全に消し、テントを撤収し、帰路につきます。もうこの時刻で、この河原の半分以上が日陰になってきています。12:32ころ。


▲帰路の途中でテントの残骸、そして生活の痕跡を見つけました。この人はどういう訳あってここで長く暮らしたのでしょう? ガスカートリッジ、卓上コンロ、フライパン、石油ストーブ、折りたたみ椅子などがあります。12:45ころ。

青梅駅で途中下車し、そば屋さんで遅い昼食をいただきました。もちろんアルコールも。

H樹さんとは初めての焚火キャンプでしたけれど、こんな楽しみ方も今後は大ありだと感じます。だんだんと春めいてくれば、もっと気楽に山中で泊まれると思います。