ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

東京都と埼玉県の境界尾根を小沢峠~黒山~棒ノ折山と歩きました 2/2 ――― 日没と競争して少し急ぎました。すると、大変な事態に!

2017年01月13日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/19  馬乗馬場(まのりばんば)を予想よりもずいぶん遅く通過することになりましたから、この先のこと、林道に出る百軒茶屋に日没後の、せめて薄暮の時刻に到着したいということが最大の目標になりました。
とは言え、あまり急ぎ過ぎると、足を怪我したりしかねません。ゆっくりと急がねばなりません。

 
▲低山とは言え、標高が800mほどを越えて来ると、一日中日陰の地面では霜柱が残っていました。14:37ころ。


▲ここを登って行けば、この目の前のピークが黒山だろうかと、期待が膨らみます。でも、そんな期待は幾度も裏切られるのです。14:39ころ。


▲落葉広葉樹の尾根道は冬の低山歩きを実に悦び多いものにしてくれます。14:43ころ。


▲こんな痩せ尾根も出て来ました。午後の斜光も強まり、僕の内心の、まだ焦りとも言えないほどのものが、ほんの少しだけ膨らみ始めます。14:49ころ。


▲青空も今日は一日中綺麗でした。14:50ころ。


▲黒山842.3mに到着しました。14:53ころ。

馬乗馬場から20分かかりませんでした。30分はかかると思っていましたから、ちょっとだけですが、先行きに明るさも見えてくる気もしました。


▲本当ならば、ここでもゆっくりと休憩をとりたかったのですが、すぐに出発しました。14:59ころ。


▲前方に見えている山が、おそらく左の山が棒ノ折山でしょう。あそこまで行けば、あとは下山だけ。15:04ころ。


▲ごく普通の尾根筋に慰霊碑がありました。碑の右下には「トレイルランナー 高橋香 ここに眠る 2007年5月12日 享年40歳」とあります。この方(男性)はその世界では有名なトレイルランナーだったようです。2006年のトランス・アルプス・ジャパン・レース(北アルプス、中央アルプス、南アルプスをつなげて、日本海から太平洋までの420kmを走るレース)を完走したことで、一躍有名になったのだとか。東京トレイル・ラン100kmに出場している際に、この地で心不全により死亡されたとのこと。
僕はトレイルランはしませんから、理解できない部分の方が多いのですけれど、この人のような優秀でまだ若い人が病気で亡くなるのは残念で仕方がありません。何とか防ぐ手段を講じて欲しいですね。15:25ころ。


▲権次入(ごんじり)峠です。そそくさと通過します。黒山から権次入峠までのコースタイム30分とぴったし同じ時間で到着しました。15:29ころ。


▲植林の中の急登を休まず登りました。15:34ころ。


▲棒ノ折山山頂です。北側の奥武蔵の峰々がよく見えました。15:42ころ。


▲空気が澄んでいたら、関東北縁の群馬や栃木の山々も見えるようです。今日はそこまでは見えませんでした。15:42ころ。


▲手前には名栗村の山々が見えているはずなのですが、山座同定は難しいですね。15:42ころ。


▲S子も到着しました。山頂は霜柱が融けて、泥だらけになっていました。権次入峠からコースタイムは20分になっていますが、14分で歩くことが出来ました。15:43ころ。


▲棒ノ折山969m山頂で記念写真。15:46ころ。


▲山頂の東屋で小休止後、再出発。林道までのコースタイムは50分ですから、何とか薄暮ギリギリで林道へ出ることが出来そうです。15:58ころ。


▲植林の急降下が続きます。16:14ころ。


▲太陽は山の端には沈んでしまいました。でも、まだ明るいです。16:22ころ。

16:30ころだったでしょうか? S子の足が久し振りに攣りました。落葉で少し分かりにくくなっている急下降の登山道を過ぎたばかりあたりです。帰宅後、地形図で確認すると、棒ノ折山からのちょうど中間点あたりです。これまでも幾度となくS子の足の攣りは経験していますから、しばらくじっと休憩していると、再び歩くことができるよう回復します。そんな風に見守っていました。
でも、今回はいつもと違っていました。猛烈に痛がるのです。もだえ苦しんで、痛がるのです。地面に座っていたのですが、寝転がって痛がります。本人もどう対処すればいいのか分かりません。「どうすればいいの!」「なんとかして!」と唸りますが、僕には何ともしようがありません。
待つしかないのです。

だいぶん経って、痛みも少し収まって、3回ほど20mずつくらいS子をおんぶして下山してみました。


▲おんぶしては、座りやすい場所に降ろします。S子のザックは僕のザックの中に一緒に詰めています。まだ時々攣るみたいですが、さっきほどの痛さではないようです。攣ってすぐに、青い上着の下にダウンのライトジャケットを着こみました。黒っぽく見えているのがそれです。これだけでも、体へのダメージがかなり軽減できるはず。17:35ころ。

それからすぐに「自分で歩く」と言うので、そうしてみました。ゆっくりですが、歩けるようです。登山道もほぼ明瞭ですから、時間はかかっても確実に下山は出来そうです。


▲奥茶屋の林道へ出て来ました。これで一安心です。18:56ころ。

何事もなければ、2時間以上は前に到着していたはずです。まあ、ツエルトも持っていますし、バーナーもありますから、暖は取れます。最悪、ビバークすることになっても大丈夫とは思っていましたから、精神的には安定していました。


▲百軒茶屋あたりです。19:01ころ。


▲途中の民家だと思いますが、イルミネーションが綺麗です。19:19ころ。

実はこの大丹波の集落ではイルミネーションのイベントが催されていたのです。S子には黙っていて、日没とほぼ同時刻に下山したならば、このイルミネーションを楽しみながら駅までの道を歩くことが出来ると、考えていたのです。

奥多摩大丹波イルミネーション2016 ←←←オフィシャルサイトはこちらです。


▲民家自体がまばらですから、イルミネーションはあってもところどころまばらにしか出て来ません。でも、こんな山里にイルミネーションがあること自体、いい意味で違和感たっぷり、人もほとんどいませんから、殺風景ですが、メルヘンチックです。19:34ころ。


▲それなりに大仕掛けなんですが、そうは見えないところが、山里たる所以。周りの空間が大き過ぎるのでしょう。19:56ころ。


▲恐らくここが「光のお花畑」と名付けられたエリアなのでしょう。この中を散策できればいいのでしょうけれど、立ち入れないようでした。狭く見えますけれど、広いのですよ。20:00ころ。


▲民家の方々も協力しているのですね。20:02ころ。

S子も足の攣りが再度起こることなく、普通に歩くことが出来ました。少しはこのイルミネーションを楽しんでもらえたことと思います。
でも、大きな疑問がひとつ。ここ大丹波の集落はこのイベントを催して観光客が少しは訪れたとして、どれくらい経済的利益を見込んでいたのでしょう。まだイルミネーションは輝いていても、店はどの一軒も開いていませんでしたし。


▲川井駅に到着しました。20:33ころ。


▲川井駅の待合室です。20:33ころ。

二人とも気持ちは落ち込んでいません。山歩きを続けていると、このようなことも起きる可能性はあるのです。ひとつひとつ無事に解決し、通過・経験して行くことが登山の醍醐味の一部でもあります。でもまあ、S子の体力も低下する一方でしょう。(まあ、僕もでしょうが)今後は、よりゆとりを持った計画を立てる必要があるのだろうと、反省もしています。


東京都と埼玉県の境界尾根を小沢峠~黒山~棒ノ折山と歩きました 1/2 ――― 冬の低山歩きをのんびりと楽しみ過ぎたようです

2017年01月04日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/19  今回歩こうとしている小沢峠~黒山~棒ノ折山は、その前半部分を僕はまだ歩いたことがありません。山歩きを始めた大昔に、黒山や権次入峠あたりを歩いたことはあります。でも、黒山より東の尾根は僕にとっては未踏の地。そんな理由と、本当はもうひとつ、後でお教えしますが、理由があってこのコースにしたのです。

小沢峠には上成木から歩き始めるのですが、東青梅駅から上成木行きのバスは7:40の他は10:53しかありません。躊躇なしに後者を選択。 


▲バスが来ました。東青梅駅北口バス停10:53発上成木行きです。ほんの少し遅れてますね。10:56ころ。


▲終点の上成木バス停で下車。ここは高水山への登山口でもあります。11:31ころ。


▲左に見えるのは小沢トンネルです。登山口は右の道。11:38ころ。


▲舗装道路を少し進むと、左に標識が現われ、山道になりました。11:40ころ。


▲山道はすぐに林道へ出ます。林道が二手に分かれ、右を選びましたが、小沢峠の下を右へと遠ざかります。上に林道が見えたので、斜面を登りその林道を右へ進むと、すぐに小沢峠でした。どうやら、最初に分かれた林道の左を選んだ方が良かったようです。写真のすぐ前方が小沢峠。11:51ころ。


▲小沢峠になかなか凝った作りの小さな祠がありました。瓦や板塀、土台の石組などがそれと分かるように作られています。11:53ころ。


▲ここ小沢峠から東の境界尾根には成木尾根と名前が付いているようです。けっこうハイカーも歩いているようですね。11:54ころ。


▲僕たちは西へ向かいます。11:55ころ。


▲こんな木の階段が出現! アスレチック遊具のようです。歩き辛いことこの上なしですが、遊びだと思って僕は歩きました。S子は振り向きもせず、土の上を歩きます。11:57ころ。


▲カンアオイ。根元の土を少しどかすと、花が二つ現われました。12:02ころ。

カンアオイ(寒葵)はギフチョウの食草だということはよく知られていますけれど、花粉媒介者が何者なのかは分かっていないのだそうです。半分土に埋もれたように咲いている花ですから、風媒花ではないでしょうし、通常の昆虫も難しそうです。ですから、珍しい仮説だけがあります。それはカタツムリやナメクジが媒介するのではと言う説。他にもワラジムシやヤスデではないかと言う説などがあるそうですが、真実は分かっていないようですね。


▲植林を抜け出すと、ちょっと低山らしい山道になりました。12:05ころ。


▲植林の中の急登です。12:17ころ。


▲八幡様を祀ったのでしょうか? 裏面には明治43年建立と彫られていました。濱名氏が作ったもののようです。12:23ころ。

ここで最初の休憩。


▲ベンチが出て来ました。ここで休めば良かったですね。12:49ころ。


▲ここにもリアルな祠がありました。12:50ころ。


▲熊野三社大権現と書かれています。熊野三社とは熊野本宮大社、速玉大社、那智大社のことですから、そこに祀られている神のことです。碑の横には「寛政十一巳未四月建立」と彫られています。江戸時代のものとしては素人目にも少し新しい感じがしますが、それはともかく、どういう思いでこの碑を置いたのでしょう? 12:51ころ。


▲石灰岩がゴロゴロした急登になりました。12:56ころ。


▲植林の中を参道のように山道が続きます。左の樹々は太いのが並んでいました。13:08ころ。


▲冬の低山歩きは落葉広葉樹の林に限りますね。13:09ころ。


▲高水山759mや岩茸石山793.0mが見えているはずなのですが、同定は写真だけでは難しいですね。13:15ころ。


▲ススキの中を歩きます。雰囲気最高ですが、すぐに終了。13:15ころ。


▲石灰岩がゴロゴロしている横を歩きました。13:25ころ。


▲標高690mの長久保山とありました。小沢峠と黒山のちょうど中間あたりに689mの標高点がありますから、きっとこの長久保山のことでしょう。旧名は「大クラ屋根ノ頭」とあります。13:36ころ。


▲まだまだ植林は続きますね。杉のようです。1本だけ松が生えていて、松ぼっくりがたくさん落ちていました。13:49ころ。


▲珍しく北の方角が開けていました。先に見えている山は棒ノ折山方面でしょうか? 13:55ころ。


▲枯葉の斜面をカサコソと登ります。13:59ころ。


▲このベンチで休憩しました。これから出発です。14:22ころ。

小沢峠から黒山までのコースタイムは2時間なのですが、もうすでに2時間以上経過しています。休憩もたっぷりしていますから、まだ到着しないのは当然なのですが、せめて馬乗馬場にくらいは着いていて欲しい。
このころから「少しだけ急がなければ」と思い始めていました。


▲林道が出て来ました。馬乗馬場が近づいた証拠です。14:28ころ。


▲馬乗馬場です。「まのりばんば」と読むようですね。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄で坂東武者の鑑と称された畠山重忠の軍勢が鎌倉幕府への道の途中、ここで馬を休ませたのだそうです。14:34ころ。


▲馬乗馬場を振り返りました。今では植林でその広々とした様子は分かりませんけれど、かなりの広さで平らな地面が広がっています。14:36ころ。

馬乗馬場を確認できましたから、現在位置が分かりました。そのことはいいのですが、あと、黒山、棒ノ折山を経て、奥茶屋の林道へ出るまで、コースタイムで2時間以上かかることが確実だということも同時に明らかになったのです。つまり、林道へたどり着くのはいちばん早くても16時4、50分ころ。つまり、日没後ということです。S子の足で、コースタイムと同じ時間で下山できるとも思えませんから、暗い山道を下山しなければならないことを、覚悟しなければならないようです。
ここまで、ちょっと甘く見過ぎていたようです。馬乗馬場へは14時には到着すべきでした。反省。


刈寄山西尾根の滑入(ナメリ)沢対岸尾根(仮称)を登路に、刈寄山~今熊山と歩きました 2/2 ――― でも、二つとも山頂はなぜか踏まず

2016年12月07日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/2  まさかロープを使うほどの尾根だとは思っていませんでした。でも、それが逆に楽しさを増してくれました。
もちろん、20m補助ロープですから、S子のための念のための使用です。僕自身がプロテクションを取りながら登らなければならないようなら、登るのを中止して降りるのは当然のこと。
もし、もう一人参加していて、そのメンバーにもロープを使用する必要があるのなら、やはりこの尾根は登らなかったでしょう。そんな場合はひとつ手前の尾根から登れます。

標高差では70mほどの急斜面を20mロープ4ピッチで登り切りました。あ~あ! 楽しかった!


▲尾根の左(北)を眺めると、刈寄山西尾根の北へ分岐している隣りの尾根が見えています。12:29ころ。


▲隣りの尾根の下部にはツバキが多く自生していたように記憶しています。この尾根にもツバキらしき木がたくさん生えていました。まだ咲いている花は見かけませんが、一輪だけ地面に落ちていました。12:33ころ。


▲それほどの傾斜ではないのですが、ジグザグに登れるわけでもなく、直登しますから、体感的にはかなりの急登です。12:39ころ。


▲植林はないと思っていましたが、この付近にだけありました。ここで昼食にします。12:47ころ。


▲昼食タイムをゆっくりとり、再びのスタートです。13:17ころ。


▲尾根が少しずつ左(東)へ曲って行きます。13:26ころ。


▲後ろの山はどこでしょう? だんだん遠くの山々も見えるようになってきました。13:28ころ。


▲大岳山1266.5mです。どこから眺めても、前方後円墳みたいな、あるいは和式トイレみたいな形は目立ちますね。右へ延びる尾根は馬頭刈尾根です。13:30ころ。


▲葉もほとんど落ちて、明るい尾根です。13:35ころ。


▲S子は足元ばかりを見て、数メートル先や10~20メートル先を見ていませんから、結局、嫌なルートとぶつかってしまいます。僕はこの倒木をかなり手前から避けて歩いて来ましたが、S子は気付けば目の前にこの倒木が出現したという感じ。下を潜りますが、ザックが引っかかります。13:40ころ。


▲次第に平坦な尾根になってきました。13:44ころ。


▲予想はしていたことですが、突然眼前に林道の工事現場が。13:48ころ。


▲本当はこの写真の尾根を登って行く予定だったのですが、林道で分断されてしまっていますし、登山道でもありませんから迂回路があるはずもありません。刈寄山西尾根はここで終了。
昔、隣りの尾根から刈寄山西尾根を登った際は、林道で分断されていたような記憶はありません。まだそこまでは延びていなかったのでしょう。13:49ころ。


▲林道脇から北西方向が開けていました。左の山は御前山1405.0m、中央は大岳山です。その二つの山の間、遠くには石尾根が見えています。手前の尾根はグミ尾根。13:50ころ。


▲大岳山の右手前、馬頭刈尾根上につづら岩南面の岩場が見えていました。13:51ころ。


▲林道を入山峠へ向けて歩き始めました。13:53ころ。


▲入山峠からこちら側はまだ車両は通行禁止です。ガードレールはありますが、法面などの工事はまだのようです。14:01ころ。


▲以前は上の登山道から眺めたのですが、今日は下からです。植林の最上部だけが折れています。林道が通ったことで、木が弱り、そこへ強風が吹いて葉の残してある上部だけが折れたのでは、と考えるのですが。14:10ころ。


▲入山峠に着きました。林道横に登山道が通っています。14:14ころ。


▲直進して登って行く登山道が刈寄山山頂への道。右は今熊山への登山道です。刈寄山へは何度も登っていますし、今日はロープを出して時間がかかっていますから、先を急ぐことにしました。刈寄山はカットです。14:18ころ。


▲小さなアップダウンはありますが、平坦な山道が続きます。14:29ころ。


▲カンアオイだと思います。花がふたつ咲いていますね。半分地面に埋もれるような感じで咲く花ですから、色も地味ですし、まったく目立ちません。ギフチョウの食草でもあります。14:47ころ。


▲今日は一日中無風快晴! 上を見上げます。これは黄葉ではなくほとんど枯葉、落葉する寸前ですね。14:52ころ。


▲先ほどから東や南の方から何やら大きな音がしていました。最初は飛行機が飛行場でエンジンを掛けている時のような音に感じましたから、横田基地に戦闘機が来て(横田基地にはほとんど戦闘機は来ません)エンジンを吹かしていると思いました。でも、横田基地は遠い。でも、次第にダンプカーのような音や重機の音が聞き取れるようになりました。
写真の採石場も見えるようになりましたから、音の正体が判明。ダンプカーや重機も見えます。入山尾根の採石場です。以前、この入山尾根も歩いたことがありますが、この採石場のすぐ脇を、時には採石場内に入るようなコースを歩いた記憶があります。今でも入山尾根は歩けるのでしょうか? 14:57ころ。


▲今歩いている尾根の地形によって、採石場からの音が大きく聞こえたり小さくなったりします。山歩きとしては少々興ざめですが、平日ですから仕方ありませんね。足元の枯れた落ち葉がカサコソとさざめくような音だけだと素晴らしいのですが。15:08ころ。


▲いつも思うのですが、何故カメラは眼で見た通りに写らないのでしょう? 肉眼では青空がまだ澄んだ青さを輝かせ、すくっと立ち上がった広葉樹の黄色に輝く葉の群れがキラキラとしており、まだ明るい登山道をS子が枯葉の音を立てながら歩いている。
それなのにS子を明るく映し出そうとすると、青空と黄葉は醜く白く飛んでしまいます。青空と黄葉をそれなりに映し出すと、S子は薄暗い山道をさ迷い歩いているようです。
三脚を立てて一眼レフで写すような大事ではなく、コンパクトカメラで写しても目で見た通りに映し出せないものなのでしょうか? 肉眼がどのよな調整をしているのか? それと同様のことをカメラにもやらせることは出来ないのでしょうか? 15:10ころ。


▲傾いた夕陽が当たり、風もなく、枯葉のクッションが柔らかい場所で最後の休息をとりました。15:15ころ。


▲東京の日没は16:28ですけれど、山の端に沈むのはもっと早い。本当は手前の樹々も地面も陽に照らされて輝いているのです。先ほどのコメント同様、写真は難しいですね。15:29ころ。


▲黄葉が夕陽に輝いています。真横から照らされていますから、真昼より輝いているような。15:29ころ。


▲自信はないのですが、ヤブコウジのような。15:31ころ。


▲僕の長~い影が。15:33ころ。


▲小ピークがあると、巻き道を選択して楽をしてます。15:42ころ。


▲今日初めて、咲いているツバキに出会いました。15:43ころ。


▲入山尾根の採石場もこの時間になるとわりと静かです。15:44ころ。


▲ヤブコウジだと思います。万両や千両はご存知ですよね。でも、百両は知らないでしょう? そしてこのヤブコウジ、別名は十両なんです。15:48ころ。


▲入山峠からここまで幾つもの巻き道がありました。標識もない分岐もありましたが、「今熊山(巻き道)」と書かれた標識があると、今熊山山頂へ行きたい者としては巻かずに尾根通しに登って行きますよね。でも、登り終えても、今熊山はまだ先でした。
この写真の直前にあった巻き道を示す標識には「今熊山」としか書かれていませんでした。それでここに来てみると、この階段を戻るように登らなければならないじゃありませんか! 巻き道ではなく尾根通しに歩けば、山頂に至ったはずなのに。
バスの時刻まではあと40分ほど、コースタイムは35分です。十分間に合うのですが、今熊山山頂へここからピストンするほどの余裕はありません。
と言うわけで、刈寄山に引き続き、今熊山山頂も踏まないことになりました。僕もS子も全然ピークハンターではありませんから、残念とも何とも思いません。今熊山には何度も登っていますし。15:49ころ。


▲途中、五日市の町がよく見える場所がありました。家に帰ってパソコンで拡大して見てみると、武蔵五日市駅らしき建造物が写真中央より少し左にありました。僕は右の方にあると思っていたので、まだまだ地形感覚が出鱈目ですね。15:51ころ。


▲急な下りになって来ました。15:54ころ。


▲なぜここに御幣が渡されているのでしょう? 山頂の今熊神社奥宮や登山口の今熊神社に関係があるのでしょうね? 15:59ころ。


▲再び急な下降になりました。このころから、僕はちょっと不安を感じるようになりました。今熊山山頂から登山口の今熊神社までコースタイムは15分となっているのに、すでに10分以上たちますが、まったく里へ下りる雰囲気にはなりません。最悪でも16:10には今熊神社へ出たいものです。16:01ころ。


▲今熊神社に出ました。16:16ころ。

ここからバス停までは20分となっています。バスの時刻は16:30。間に合いません。でも、急げば、16時30分ちょっと過ぎには着くかもしれません。それにバスは八王子から出ているでしょうから、絶対に遅れているはず。16:30に乗り遅れると、次のバスは17:30です。まあ、待っているのはかったるいですから、武蔵五日市駅まで歩くことになるでしょうけれど。とにかく急ぐことにしました。


▲S子の笑顔です。バス停にはJust16:30に到着しました。間に合いました。16:31ころ。

バスは10分近く遅れて来ました。世の中まあこんなもんですよね。一生懸命急いで歩いて来たのに。こんな時には定刻で来て欲しいですよね。

『音羽鮨』へはバス終点の武蔵五日市駅から西へ歩かなければなりませんから、今日はこのまま電車に乗って拝島へ戻ることにしました。そこの『九州料理 かさ』へ。ここは料理も旨いですし、奄美大島の黒糖焼酎『長雲』があるのです。いつも長雲のロックを頼みます。


刈寄山西尾根の滑入(ナメリ)沢対岸尾根(仮称)を登路に、刈寄山~今熊山と歩きました 1/2 ――― まさかロープを使うことになるとは!

2016年12月05日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/2  今週末の土日は先週に引き続き仕事で僕は山へ行けません。と言うわけで、天気の良さそうな金曜日にS子と二人で奥多摩を歩いて来ることにしました。コースタイム4~5時間と言っても、久し振りに一般登山道ではない、しかも僕もまだ登ったことのないルートへ行ってみることにしました。

それが刈寄山西尾根です。刈寄山西尾根と言っても明瞭な尾根が西へ延びているわけではありません。標高670m付近で北と西へ分岐しています。その北へ分岐している尾根は2000年4月にS子と登っています。石仁田沢出合の先、盆堀川を少し上流へ進んだあたり、盆堀川林道が右岸へ渡ったところから登っています。
今日はその先で再び林道が右岸へ渡って来る付近から登ろうと考えています。地図から読み取る限り最初の標高差70mほどがかなりの急登になりそうです。


▲H樹さんやYYDのメンバーにも声はかけてみたのですが、予想通りS子と二人だけの山行になりました。3人ならば採石場までタクシーで入ろうと考えていたのですが、今日はバス。沢戸橋バス停から歩き始めます。8:29ころ。


▲盆堀集落に朝陽が当たって暖かそうです。8:52ころ。


▲今日は平日ですから、棡葉窪出合前にある採石場を出入りするダンプカーが行き交っています。9:04ころ。


▲採石場からも砂利か砂を積んだダンプが降りて来ます。9:06ころ。


▲昔からこの街道は物資が行き交っていたのでしょうか? 馬頭観世音の石碑です。最上部にはわりとリアルな馬の頭部のレリーフが。9:07ころ。


▲すぐ隣りにもいろいろな石碑が集めて祀られていました。9:08ころ。


▲前日の朝に降った雨の水分でしょうか? 無風快晴の暖かな陽気であちらこちらから湯気が沸き上がっていました。9:13ころ。


▲陽の当たっている側の屋根からも湯気が。9:15ころ。


▲採石場も湯気に覆われています。9:24ころ。

伝名沢出合の広場で朝食タイム。


▲ガードレールからも湯気が上がっていました。10:23ころ。


▲まっすぐ延びている林道は石仁田線。盆堀川林道は石仁田橋を渡って右へ進みます。10:28ころ。


▲葉の落ちた木の枝には大きな露が並んでいました。10:32ころ。


▲奥多摩でこれほどのサルオガセは珍しいですね。沢沿いの木なので湿度が高く冷涼だからでしょうか? 10:33ころ。


▲石仁田橋からは林道が二度目に右岸へ移った地点から滑入沢対岸尾根(仮称)に取り付きました。10:45ころ。

【1ピッチ目】


▲傾斜は急ですし、落ち葉のたくさん積もった地面は濡れています。泥なのか岩盤なのか浮石なのか木の根なのか、枯葉で隠されています。僕が先行しますが、S子には少々危険だと感じましたから、ロープを出すことにしました。上の木に固定し、7mm×20mロープを持って、待たせておいたS子のもとへ降ります。S子にはスワミベルトを装着してもらい、僕はもう一度上へ登ります。そこで僕はS子の確保をします。「登っていいぞ~っ!」とコールすると、返事が来て、S子が登り始めました。11:03ころ。


▲左のカラビナではロープ末端を固定しています。右のカラビナで半マストノットを使ってS子の確保をしています。11:04ころ。


▲この辺りにかなり手こずっていました。11:07ころ。

【2ピッチ目】

2ピッチ目を登り始めるときに、僕もロープを自分の腰に巻きました。S子にはロープがスムースに出るよう、見ていてもらいます。


▲2ピッチ目の終了点。安定した場所でしたからセルフビレイは取っていません。11:17ころ。


▲すぐ足元の下方に木が生えているので、この場所は安定しているのですね。S子が藪の中に小さく見えています。11:20ころ。

【3ピッチ目】


▲3ピッチ目の終了点は不安定な場所でした。僕の足を置いている場所が滑りそうなのです。右のロープはセルフビレイ用です。カラビナに付けると、確保の際邪魔になるので、シュリンゲに付けていますね。11:36ころ。


▲目を少し水平に向けると、こんな風景が広がっているのです。11:37ころ。


▲S子が登って来ました。ついついロープを引っ張ってしまうようです。よくない登り方です。11:42ころ。


▲僕が立っている場所は不安定な斜面ですから、S子にはもう少し上部へ登ってもらいました。この写真の位置は安定していますから、そこで待ってもらい、僕がそこまで登ります。11:48ころ。

【4ピッチ目】


▲4ピッチ目の終了点です。安定している場所なので、セルフビレイは取っていません。11:55ころ。


▲ちなみに、僕はブーリン結びで腰に装着しました。昔はいちばん使われた結びのようですが、その危険性が指摘されて以降は使われなくなりました。でも、簡単に結べますし、何故か一度覚えておくと忘れていないので、こんな際には使ってしまいます。もちろん、留め結びもしていますから、この程度の現場ではほどけることはないと思いますが・・・・ 12:02ころ。


▲S子が上がってきます。簡単かと思っていましたが、4ピッチ目もまだまだ嫌らしかったですね。12:03ころ。

この斜面もロープ使用は4ピッチで終了しました。
ただ、念のためにまだアンザイレン(二人がロープを結びあっていること)はそのままです。


▲アンザイレンしたまま、すなわちコンティニュアス(通常コンテと言っています)で登りました。僕がS子の後ろからロープを持って付いて歩いています。12:11ころ。


▲まだ、コンテです。後、数メートル。12:15ころ。


▲どんな簡単なハイキングの時にも、僕はこの写真の装備を持って行きます。スワミベルト、シュリンゲ4本、カラビナ3枚、7mm×20mロープです。ロープを使う可能性が最初から予想される場合はもちろん最初からハーネス等持って行きます。
でも、今回はまさかロープを出すことになるとは思いませんでした。ですから、この装備を登るために使うことは数年に1回程度ですね。普段はタープを張ったり、テントの張り綱に使ったりすることはしょっちゅうですが。12:22ころ。


▲これまでに比べると、ここからは格段に傾斜が緩やかです。ここで装備を外し、普通の尾根歩きが始まります。12:27ころ。

S子にとっても久し振りのロープを使った本番の登山でした。全身、とりわけ足腰を酷使しますから、少し腰が痛くなったようですね。でも、登山に影響が出るほどではなかったようですね。ひと安心。
僕にしても、途中で1回右足のふくらはぎが攣りました。いきなりの急登でしたから、ふくらはぎが悲鳴を上げたようです。

この急登は、僕自身S子に確保してもらっているわけでもありませんし、ロープなしでも僕には登れる程度の斜面です。ただ、一度足を滑らせると、大きな事故にもつながりかねませんから、念には念を入れてS子を確保したということです。

普通の尾根歩きのつもりで来ていますから、こんなロープを使うような斜面があって、二人とも楽しい気持ちが湧き出しているようです。


今季最後の紅葉狩りに醍醐丸と市道山をつなぐ吊尾根を歩いて来ました

2016年11月30日 | ハイキング/奥多摩

2016/11/20  今回もS子と二人の山歩きです。コースタイムの目途は5時間くらい。そしてもうひとつ、紅葉の綺麗なエリアを選びました。里のカエデも綺麗に色づいている頃ですから、あまり標高の高い場所ではすでに紅葉は終わっているでしょう。かと言って標高が低いと植林が多くて赤や黄色に色づく広葉樹は少なくなるのが普通です。

そんな条件でピンと来たのが吊尾根でした。


▲高尾駅から陣馬高原下行きのバスに乗りました。前日の土曜日が天気が悪かったですから、好天の日曜日に皆が集中したようです。臨時バスが2台も出ました。終点のバス停も人で大混雑。とりあえずその混雑から抜け出そうと、僕たちは歩き始めました。8:50ころ。


▲和田峠に続く車道を歩いていると、左に山道が出ていました。みんなその山道へ入って行きます。標識や地図もその入り口にあるのですが、要領を得ない標識や地図で、この山道を行けば和田峠に行けるのかどうかはっきりしません。車道を歩くよりも山道の方が心地よいですから、「まあ、つながってるはず」と、その山道を歩くことにしました。
ところで、僕の昭文社の『高尾・陣馬』のMAPは1992年発行でした。24年も前のものですから、新しい登山道が出来ていても載っていない可能性がありますよね。あまり行かない山域のMAPですけれど、最新のを買っておかなければ。9:12ころ。

買いました! 最新の『高尾・陣馬』です。出てますね。僕のこれまでのMAPには記されていない登山道が。陣馬高原下のバス停から徒歩20分の場所から陣馬山へ向かっている登山道が新しく出来ているのですね。


▲植林のなか、急登が続きます。車道も近くを通っているようで、時折、車の音も聞こえました。9:23ころ。


▲バス3台分の登山者のほとんどがこの山道を歩いているようです。のんびりゆっくりの僕たちはどんどん抜かれて行きます。この登山者たちはほとんどが陣馬山へ登るようです。
このころになると、ちょっと不安になってきました。どうもこの山道は僕たちが行こうとしている和田峠へは向かっていないようだ、と。9:40ころ。


▲このまま陣馬山まで行ってしまうのではと恐れていた矢先、和田峠への巻き道が現れました。陣馬山山頂の400m手前です。遠回りにはなりましたけれど、和田峠もさほど遠くありません。10:13ころ。


▲誰か読める方はいませんか? 10:15ころ。


▲モミジが光に透けて綺麗です。10:16ころ。


▲和田峠に到着しました。遠回りしましたから、40分くらいのロスですね。和田峠から陣馬高原下バス停に降りたことは幾度かあると思いますが、登るのは今回初めてでしたから、間違えてしまいました。車道をそのまま歩いて来た方がよかったようですね。10:30ころ。


▲峠ではトイレを使って、すぐに出発しました。まだ、朝食を食べていないのですが、和田峠はのんびりと朝食を食べるような雰囲気ではありませんでしたから。醍醐丸へ向かいます。10:36ころ。


▲苔の上に杉の若芽の森が出来ていました。10:42ころ。


▲小さな祠の横を通り抜けていきます。10:46ころ。


▲右のピークは高岩山800mだと思います。左を巻きます。10:54ころ。


▲写真ではあまり綺麗な色に見えませんが、もう少し鮮やかな黄色の葉です。コアジサイの黄葉。10:55ころ。


▲醍醐丸への登り。11:19ころ。


▲醍醐丸山頂867m。11:28ころ。

山頂でブランチにしました。


▲八王子市最高峰と書いてありますね。11:49ころ。


▲休憩を終え、吊尾根を市道山へ向かいます。11:50ころ。


▲途中から曇って来ていますから、モミジも少しくすんだ感じですが、綺麗です。11:59ころ。


▲見上げても青空ではありません。12:11ころ。


▲歩いていると、黄葉の森がずうっと続きます。12:13ころ。


▲足元には散り落ちた枯葉がたくさん積もっていました。12:18ころ。


▲たまに、少しだけ太陽が地面を照らします。12:23ころ。


▲こんな山道は奥多摩の低山ではないみたいです。奥深い山の風情ですね。12:26ころ。


▲ずうっとこんな山道が続くといいなぁと思います。12:30ころ。

この前だったと思いますが、久し振りにS子の足が攣りました。攣っている箇所も移動するようです。ただ静かに待って、収まるのを期待するしかありません。


▲雲を通して届く光がごく弱く、見上げる黄葉の葉を光が通り抜けません。透けて輝かず、影が出来て暗くなります。12:32ころ。


▲吊尾根は広葉樹の豊かな尾根ですが、植林もたまには現われます。12:44ころ。


▲あの山は御前山1405.0mでしょうか? 13:24ころ。


▲前方に市道山や峰見通りらしき山並みが見えて来ました。13:25ころ。


▲あれは大岳山1266.5mでしょう。13:27ころ。


▲尾根筋の登山道と並行して林道が現れました。僕の記憶にはありませんから、最近できたのでしょうね。13:30ころ。


▲左のピークが市道山795.1mでしょうか? 山の樹々の色づきが本当に美しいですね。13:45ころ。


▲木の根がむき出しになっていました。13:59ころ。


▲まだ作られて新しい林道です。14:00ころ。


▲その林道を車が走っていました。一般車両のようでした。この先は困難だったのでしょう。じきにバックしながら戻って来ました。14:05ころ。


▲これぞ野菊といった花が咲いていました。正式名は調べてもよく分かりません。リュウノウギクでしょうか? 14:15ころ。


▲峰見通りに合流し、市道山への最後の登りです。14:19ころ。


▲市道山山頂です。14:28ころ。


▲どうやら写真左の山が刈寄山687.0mのようですね。14:33ころ。


▲刈寄山南方のトッキリ場あたりだと思うのですが・・・・ 14:51ころ。


▲思いのほか順調に市道山まで来ましたから、山頂ではゆっくり休憩しました。下山も超ゆっくりでも大丈夫。下山スタートです。14:56ころ。


▲綺麗なカエデを見つけると、つい撮ってしまいます。15:17ころ。


▲またカエデ。15:25ころ。


▲尾根筋からは離れて、下山ルートはヨメトリ坂です。
檜原村のこの近辺の集落にとってはこのヨメトリ坂が八王子に出るための最短コースだったのだそうです。八王子は絹織物で栄えていましたから、このヨメトリ坂も重要な交易路のひとつでした。春になると「お蚕雇い」と呼ばれる臨時募集もあり、稼ぎがいいので多くの若者が働きに出たのだそうです。新緑のころ、若い男女が坂道を登りながら互いを意識し合ったりすることもありました。それが縁で男女が結ばれることもあったとか。この坂がヨメトリ坂(嫁取り坂)と言われるようになった所以です。15:30ころ。


▲小坂志川を渡る木橋が見えました。16:00ころ。


▲小坂志川の流れ。16:01ころ。

今年の7月小坂志川を沢歩きしました。詳しくはこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/611fc2c4a56a2b3233560470a74951dc


▲木橋を渡り、林道へ上がります。16:01ころ。


▲林道を少し歩くと、笹平橋が出て来ます。16:13ころ。


▲笹平橋から南秋川を見下ろします。紅葉がちょうど見頃でした。日が照っていれば最高でしたけれどね。16:14ころ。


▲川沿いに見事なカエデの木が色づいていました。16:15ころ。


▲笹平バス停到着です。16:17ころ。

バス時刻にあわせてゆっくり下山しました。バスは16:33です。バスには乗客が多く、座れませんでした。その後もたくさん乗ってきます。臨時バスも出て、3台が一緒に走っている状況。十里木の手前では信号渋滞でなかなか進みません。

「音羽鮨」には17時をかなり回ってから着いたと思います。S子と二人でゆっくり下山祝いを楽しみました。