ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

丹波山村から鹿倉山~大寺山を歩きました。紅葉が少し始まっていました

2016年11月22日 | ハイキング/奥多摩

2016/11/3  およそ一ヶ月前にS子と大岳山を歩きました。標準的コースタイムで6時間ほど。それでも、少々腰に来ましたから、今回はコースタイム5時間ほどのコースを選択したのです。

奥多摩の一般登山道やバリエーションルート、有名無名の沢などそれなりに歩き回っている僕とS子でも、まだ歩いていない一般登山道はあります。それが今回の丹波山村から大丹波峠を経て鹿倉山(ししくらやま)までのコースです。丹波川の支流、ジゴク沢を遡行した際に鹿倉山から深山橋方面は歩いています。大寺山周辺も何回も歩いています。ですが何故か今日のルートは歩いたことがありませんでした。


▲奥多摩駅から丹波行バスに乗って、終点ひとつ手前の役場前で下車しました。向うに乗って来たバスが見えますね。9:30ころ。


▲丹波川を目立たないマリコ橋で渡ります。分かりにくいですが、S子のすぐ前にマリコ橋はあります。ずいぶん昔ですが、マリコ川も遡行しました。ずいぶん荒れた沢という印象でした。10:05ころ。


▲丹波山村にお城なんてあったっけ? あるはずないよなぁ? と思い、帰ってから調べました。
丹波山村には有名なローラー滑り台があるのですが、全長247m、高差42mで一時期は日本一と言われていました(3日で日本一の座を奪われたという説もありますが)。どうやらこの天守閣風建物はそのローラー滑り台の出発点なのだそうです。10:12ころ。


▲マリコ川の支流沿いに登山道は付いていました。写真のこの場所で遅い朝食タイム。さて、再スタートです。10:41ころ。


▲沢もまだほんの僅かですが水が流れています。11:01ころ。


▲大きな糞がありました。犬でしょうか、それとも熊でしょうか? 11:19ころ。


▲この辺りは植林がずうっと続きます。11:27ころ。


▲峠が見えて来ました。車も停まっています。11:31ころ。


▲ショベルカーが動いて、仕事中でした。11:31ころ。


▲ここが大丹波峠ですね。11:31ころ。


▲標識の指示通り林道を登って行きます。大丹波峠からはしばらく標識がないので、林道が分岐している箇所ではどちらへ進むか迷いますが、まあ何となく分かります。11:42ころ。


▲林道脇に久し振りの標識がありました。ここで小休止。その後、山道を歩き始めました。12:07ころ。


▲山道を抜けると、また林道に出て来ました。多分先ほどまでの林道とつながっているはず。12:25ころ。


▲枯葉で覆われていますから、林道というよりも幅の広い山道といった風情です。針葉樹の植林もありますが、だいたいが広葉樹の林でした。12:37ころ。


▲左の山が飛龍山2077m、右のは三ッ山1949.3mだと思います。12:38ころ。


▲クサギですね。葉に悪臭があることは知っていましたが(それが名前の由来でもありますし)、クサギがシソ科の落葉小高木植物だとは知りませんでした。花もまったくシソ科の花とは似ていませんし、そもそもシソ科で木になるなんて想像すらできませんものね。12:44ころ。


▲青空をバックに透けて輝くウリハダカエデ(多分)も綺麗でした。12:47ころ。


▲尾根筋にこんなに歩き易い林道が通っているとは知りませんでした。12:50ころ。


▲鹿倉山への道しるべが林道脇に貼られていました。12:54ころ。


▲鹿倉山(ししくらやま)1288.2m山頂に到着です。12:57ころ。


▲S子も到着しました。12:57ころ。


▲山頂で風を避けて休憩しました。山頂を後にすると、すぐにまた林道が出て来ます。13:27ころ。


▲何だろう? と思っちゃいます。13:31ころ。


▲これもウリハダカエデでしょうか? 青空が綺麗です。13:35ころ。


▲これほど尾根筋通しに林道の登山道が続くのも珍しいですね。13:37ころ。


▲写真の下には大寺山の純白の仏舎利塔が見えます。左遠方の山は御前山1405.0mでしょう。13:41ころ。


▲雲取山2017.1mのようですね。13:45ころ。


▲青空が素晴らしくて、何度も見上げてしまいます。13:49ころ。


▲まだまだ続きます。アップダウンのほとんどない林道です。13:51ころ。


▲1178m標高点につきました。ここにも大マトイ山という名前が付いているのですね。でも、ここにいても山頂という感じはまったくありません。13:57ころ。


▲林道は大マトイ山の手前でついに終了しています。もう林道ではありませんが、まだまだなだらかです。14:02ころ。


▲秋の日差しがだんだん傾いて来ました。14:10ころ。


▲標高も下がってくると、木々の緑も多くなってきます。紅葉や黄葉も探さないと見つかりにくくなります。14:29ころ。


▲西日に照らされて森も輝き始めました。14:31ころ。


▲大寺山950mの仏舎利塔が白亜に輝いていました。14:37ころ。


▲4つの方向にそれぞれの有り難い像が置かれています。14:38ころ。


▲以前見たぼんやりとした記憶では、もっと汚れていて、ところどころ剥がれていたような気がします。多分、綺麗に塗り直したのでしょうね。14:40ころ。


▲東の方向を見下ろすと、奥多摩湖がうねうねと見えていました。14:58ころ。


▲大寺山からの下山道は急降下です。15:09ころ。


▲岩っぽい痩せ尾根も出て来ます。15:17ころ。


▲分かりにくい箇所ではタイミングよく標識が出て来ました。15:32ころ。


▲こんなだだっ広い場所も分かりにくいですよね。でも、ピンクのテープがあるので迷いませんでした。15:34ころ。


▲また急な尾根の下降の後に効果的な道標が。15:45ころ。


▲タイヤの階段で出来た下山口に出て来ました。15:56ころ。


▲深山橋を対岸に渡ります。15:58ころ。


▲深山橋バス停。16:02ころ。

バスの時刻は16:07でした。それを逃すと18:08ですから、遅れないように歩いて来ました。とは言え、ゆっくりと歩いても大丈夫でしたから余裕でしたね。

帰りはもちろん『天益』へ寄ります。S子にとっては久し振りです。平日に行くことが多かったからですが、女将さんが言うには平日は休みになっていることが以前より多いそうなのです。
ミニチュアダックスフントのマーフィーとも久し振りに遊びました。


深沢林道最奥から稜線へ登って、金比羅尾根をのんびりと下山しました

2016年11月10日 | ハイキング/奥多摩

2016/10/21  前回、2ヶ月ぶり以上のブランクがあったS子の山歩きでした。そのブランクの割にはS子にはハードだったようです。山行後、腰痛が出てしまいました。腰痛自体は時折あるのですが、今回の山行では無理は出来ません。様子を見る軽めの山行になります。

H樹さんも参加できることになりました。H樹さんにこの深沢地域のことを知ってもらいたかったこともありましたし、駅からすぐに歩いて行ける気軽さもあって、深沢へ行くことにしました。
深沢を経由するルートもいくつか考えられるのですが、行ってみたかったルートの中で短めのコースを選んだのです。

朝も超のんびりなスタートでした。武蔵五日市駅を11時前ころに歩き始めます。


▲穴澤天神社のすぐ先にこんな看板がありました。初めて見る看板です。この辺りは確かにいろいろと見どころがたくさんありますね。11:28ころ。


▲紫陽花の花が咲いていました。遅咲きなのでしょうか? それともずうっと咲き続けていたのでしょうか? 他にもあちらこちらでたくさん紫陽花は咲いていましたよ。11:29ころ。


▲モミジの木です。色づきが始まっていました。11:31ころ。


▲深沢屋敷跡の入り口です。H樹さんには是非ここを見て欲しかったのです。12:01ころ。


▲深沢家旧宅母屋自体は別の場所に移築され、ここにはありません。この土蔵だけが残っています。あきる野市教育委員会の解説では「昭和四三年、東京経済大学教授であった色川大吉氏らが既に朽ちかけていたこの土蔵を調査し、二階から箪笥や行李、長持などの中にぎっしりと詰まった古文書約一万点を発見しました。草案は今にも壊れてしまいそうな行李の中に、古びた小さな風呂敷に包まれて眠っていました。起草から約九〇年を経た夏の日のことでした」と書かれています。この「草案」こそが「五日市憲法草案」です。
「五日市憲法草案」とは「明治一三年に深沢権八を中心に結成された学習結社五日市学芸講談会の有志と、宮城県栗原郡白幡村(現栗原氏志波姫)に生まれ、五日市勧能学校の教師としてこの地を訪れていた千葉卓三郎が中心となって明治一四年に起草した、自由民権思想に溢れた私擬憲法草案です」と解説されています。
この「五日市憲法草案」は美智子皇后さまが「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と述べられたことでも有名ですね。12:02ころ。


▲深沢屋敷跡地です。ここに母屋が建っていたのでしょう。12:03ころ。


▲最後の民家を過ぎ、深沢林道に入りました。12:13ころ。


▲セリ科の植物だということは分かりますが、名前までは不明です。12:20ころ。


▲H樹さんが教えてくれました。「あの鉄塔は耐張型だね」と。調べると、送電鉄塔には他に懸垂型があるのだそうです。懸垂型は送電鉄塔が直線的に並んでいる場所で、電線をただ吊り下げるだけの場合に用いるのだとか。地形が複雑な日本ですから、ほとんどは耐張型のようです。送電鉄塔を支点に両サイドの送電線をしっかりと引っ張っておかないと駄目だからです。12:25ころ。


▲シソ科であることは確実です。ヒメジソのようでもあり、ヤマハッカのようでもあります。僕には判別できません。12:29ころ。


▲ヤマシロギクでしょうか。12:31ころ。


▲ショウガ科の植物なのかな、と思って調べましたが違うようです。いろいろ調べると、ヤブミョウガだと分かりました。ミョウガとありますが、ショウガ科ではなくてツユクサ科だそうです。12:39ころ。


▲深沢林道もいったんは土の道に変わりました。再び舗装された道となり、お昼の休憩をとりました。山の奥に入るにつれ、林道も傾斜が急になってきます。13:26ころ。


▲とうとう林道の終点です。13:37ころ。


▲林道の終点からかすかな踏み跡が付いていました。13:39ころ。


▲そのかすかな踏み跡はしばらく進むと右の斜面へと登って行くようです。ただ踏み跡らしきものは他にも何となく見えますから、稜線に出るためにいちばん良さそうな踏み跡を選ぶ眼が必要です。13:45ころ。


▲頭上を見上げると、稜線はすぐそこですね。13:45ころ。


▲ここまで来ると、踏み跡だか何だかよく分かりません。ひたすらに上へ登ります。13:55ころ。


▲やっと稜線に出ました。13:59ころ。


▲さらに進むと主稜線に出ます。その稜線の北側は日鉄鉱業(株)の所有地のようです。北麓には太平洋マテリアルのセメント工場があるようですから、それと関係があるのでしょうか? 14:11ころ。


▲三角点のあるピークに出ました。赤い杭にはここが標高631.7mの白岩山だと書かれています。標高は確かにそうですが・・・・ 14:12ころ。


▲すぐそばの別の板看板に誰が書いたのか白岩山がこのピークの先にあり、標高は640m余であることが記されていました。僕はこちらの方が正しいと思います。ここのピークの北方約300mにあるなだらかなピークが白岩山だと思います。さらに北麓直下には白岩ノ滝もありますから。宮内敏雄氏の『奥多摩』にも白石山642.8mと記されています。14:13ころ。


▲三角点ピークから金比羅尾根に出て来ました。いま僕たちが出て来た山道には「幸神」方面と標識にはあります。真藤ノ峰、勝峰山を経て下山する集落が幸神です。僕も何度も歩いたことがありますが、しっかりと踏まれた良い道です。14:21ころ。


▲中央の山が真藤ノ峰543m、その手前の谷沿いに深沢林道がありました。14:35ころ。


▲コウヤボウキです。高野山で箒の材料だったことからこの名前になったようですね。14:44ころ。


▲山抱きの大カシから登った際にはここに出て来ました。15:04ころ。

その時のブログはhttp://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/55d9c26c929582d5ed27b052585ad5c6
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/4d7f2fcf8adcf6bf9f7d176f00e69377
を参照してください。


▲途中、細い林道が交わっている場所がありました。ルートを間違わないようにとの配慮でしょうか、簡単なルート図がかけられています。そこに「修験道」の言葉が。調べても分かりませんでしたが、この金比羅尾根と修験道とが何か関係があるのでしょうか? 確かに、琴平神社や御嶽神社があるのですが。15:13ころ。


▲下の林道の切株なのか杭なのかに、キノコが生えていました。15:18ころ。


▲ここを右に降りれば横根峠を経て、十里木や養沢方面へつながっています。15:20ころ。


▲山道が林道の上を橋で越えて行きました。15:33ころ。


▲ここで山道が三分されます。右へ行っても左へ行っても武蔵五日市駅へは行きますが、右は金比羅山方面となっていました。僕たちは真ん中の道を行きます。15:58ころ。


▲真ん中の道は「イナカブ岩 巨岩の群」があると書かれています。15:58ころ。


▲巨岩が出始めました。15:59ころ。


▲巨岩群を右に左に抜けていきます。15:59ころ。


▲登ったり下りたりもします。16:02ころ。


▲落ちないように慎重に。16:03ころ。


▲石の祠が置かれた場所に出て来ました。ここが最後の巨岩です。16:03ころ。


▲琴平神社の横にこの山名標識が掲げられています。この場所の標高は440~450mです。468mピークはこの北西250mほどにあるピークのことでしょう。でもそこは金比羅山らしい雰囲気は全然纏っていません。昭文社の地図にも468mピークを金比羅山としてあります。
でも、僕は先ほどのイナカブ岩付近が金比羅山だと考えています。だからその巨岩群を背にして琴平神社が建っているのだと思うのです。16:05ころ。


▲琴平神社。16:05ころ。


▲深沢での紫陽花も狂い咲きでしたが、このツツジもそうですね。ただ、ツツジは少し暖かい天気が続くと、すぐに狂い咲きしますよね。16:19ころ。


▲色は違うのですが、マスタケにそっくりです。16:25ころ。


▲ここにも狂い咲きのツツジが。16:30ころ。


▲山から下りて、五日市の里を歩きます。16:35ころ。

ちょうどいい時間帯での下山になりました。馴染みの『音羽鮨』に入り、3人で下山の打ち上げ。
S子も今日くらいの歩きなら腰はまったく問題ないようです。


二ヶ月以上のブランクがあったS子の久し振りの山歩きは大岳山

2016年10月24日 | ハイキング/奥多摩

2016/10/6  S子とは7月28日に盆堀川千ヶ沢を沢歩きして以降、山へは行けていません。8月は熊本へ行きましたが、地震の影響下で、恒例のµ山行は出来ませんでした。9月に入ると、S子は眼の手術をしましたから、山どころではありません。手術は無事に成功・・・・

2ヶ月以上ぶりのS子との山行は大岳山としました。
久し振りですから、山体力がどの程度落ちているか不明です。今回のコースなら、途中で御岳山へ逃げればケーブルカーがありますし、鋸山からも鋸尾根ではなく林道に出てしまうことも可能です。


▲バスの時刻に合わせたせいでもありますが、ゆっくりの出発です。大岳鍾乳洞入口バス停で降りました。大岳橋を越えて左の尾根を登ると、サルギ尾根の登山道です。今日は橋は渡らずに手前を左に入りました。10:08ころ。


▲途中に採石場でしょうか? 何やら山を切り崩している現場があります。トンネルを通り抜けます。10:29ころ。


▲大岳鍾乳洞には平日ですからお客さんもいないようです。10:36ころ。


▲小滝橋の右手には小滝と名付けられた数十mもの滝が落ちています。この先にある大滝よりも高差があるのに何故に小滝と名付けられたのでしょう? それは流れが乏しく、貧相な滝だからでしょうね。10:39ころ。


▲林道終点にはこんなクマと鈴の絵が。11:11ころ。


▲山道に入りました。11:12ころ。


▲これが大滝。11:28ころ。


▲大滝の落ち口へ登山道は続いています。さらに沢沿いに進みます。11:42ころ。


▲時には沢を渡ります。11:43ころ。


▲苔の緑が美しい登山道ですね。11:44ころ。


▲沢に沿って気持ちの良い山道が続きます。11:45ころ。


▲陽射しが差し込む場所が近づきました。11:51ころ。


▲沢を渡る最後の場所で休憩です。12:09ころ。


▲それでもしばらくは沢沿いの山道でした。12:30ころ。


▲この青い花の名前が分かりません。12:33ころ。


▲ヤマシロギクだと思います。12:42ころ。


▲長い階段。稜線が近づいてきたような気がするのですが・・・・ 12:44ころ。


▲稜線まではまだけっこうありました。ここが馬頭刈尾根の稜線です。13:06ころ。


▲平坦な登山道が続きます。13:30ころ。


▲富士山も薄っすらと見えていました。13:35ころ。


▲山道脇に祠が立っています。ここが大岳山への分岐です。13:52ころ。


▲大岳山へ突き上げている沢の源頭はどれも急です。14:00ころ。


▲S子の前を外国人の男女二人が歩いています。彼らも大岳山に登るのですが、間違えてこちらに来てしまったのです。突然、英語で話しかけられて緊張してしまいましたが、何とか分かってもらえたようです。英語といっても “・・・・Ootakeyama・・・・" の部分が聞こえただけで、質問の意味は理解できてしまいますしね。14:04ころ。 


▲これが大嶽神社の本宮です。里宮は檜原村の白倉にあります。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折、建立されたとされる歴史の古い神社だそうですね。14:09ころ。


▲岩っぽい登山道を進みます。14:21ころ。


▲さらに急登に。14:26ころ。


▲大岳山1266.5m山頂。14:29ころ。


▲手前から浅間尾根、笹尾根、中央線沿線の山並が三重の波を打っています。14:30ころ。


▲雲でかなり隠されていますが、富士山ですね。14:31ころ。


▲手前から御前山、三頭山、大菩薩嶺が見えています。14:31ころ。


▲山頂は外国人が多くいました。鋸山方面への下りは急なんです。14:37ころ。


▲鎖も出て来ます。14:51ころ。


▲それが終わるとなだらかな登山道になります。この辺りはシカの生息数が少ないのでしょう、小笹が豊富ですね。15:27ころ。


▲アキノキリンソウだと思いますが、横に倒れた状態で花を付けていました。16:15ころ。


▲サラシナショウマだと思います。目立つ綺麗な花ですね。16:19ころ。


▲大ダワ994mに到着しました。トイレは使えるようです。16:24ころ。


▲もう時間が時間ですから、鋸山は登らずに、巻いて大ダワに来ています。ですから今この山道を下って林道へ出ようとしているのです。16:34ころ。


▲小さな白い虫がたくさんいました。PCで拡大して見ると、白いアブラムシですね。正式な名前は分かりませんけれど。16:39ころ。


▲まだ明るいうちに、林道に出ました。これで暗くなっても安心です。17:03ころ。


▲むこうの山は石尾根の何山なんでしょう? 六ッ石山でしょうか? 17:05ころ。


▲マタタビの実がなっていましたが、まだ色づいていませんから、辛いと思います。17:13ころ。

どんどん暗くなって、ついに真っ暗になってしまいました。でも、しばらくすると街灯も出て来ましたから、懐電は出さずに済みました。奥多摩駅に着いたのは18:30ころだったでしょうか。『天益』は今回も閉まっていました。すぐに電車に乗り、地元で打ち上げ。


鷹ノ巣山避難小屋泊まりを楽しみました。2日目 ――― 石尾根を下降しました

2016年07月12日 | ハイキング/奥多摩

2016/6/11  今日は石尾根を奥多摩駅へと下降するだけですから、朝のひと時はゆっくりと過ごすことが出来ます。まあ、そうでなくても大抵はのんびりと過ごすのですがね・・・・


▲僕たち以外に4人が泊まっていましたから、その中にはすごく早く出発する人もいます。窓からの光も入って来て明るくなりますし、早くから目は覚めていました。外へ出てみると、昨晩に続いて薄い霧に包まれています。6:01ころ。


▲この写真の中で寝ておられたもう一人の単独行者はすでに出発しています。6:17ころ。


▲ほぼ大雑把には片付きましたね。6:36ころ。


▲陽が高くなり気温が上がるにつれ、薄い霧も晴れて来ました。青空ものぞき始めています。6:39ころ。


▲鷹ノ巣山避難小屋のトイレです。7:14ころ。


▲清潔に保たれているようです。どなたが綺麗にしてくれているのでしょう? 7:14ころ。

トイレ内に貼ってあった『山のトイレマナー』をここにも記しておきますね。
「便槽の中は紙と生理用品でいっぱい
山のトイレはほとんどが浸透式です。便槽の中にゴミが混入していますと、し尿の分解を妨げます。特にティッシュペーパーはそれ自体溶けにくく、分解を妨げます。トイレットペーパーは溶けやすいものの、分解を妨げるのは同じです。
ペーパー、生理用品は持ち帰りましょう。
私たちの排泄行為が野生動物に悪影響を与え、水源を汚染し、景観を損ねているということを自覚してください。あなたが何気なく捨てたペーパーが、後から入る人の目にとまる、ちょっと恥ずかしいと思いませんか?」
正論ですね。ただ、紙の持ち帰りに慣れていない僕は、恐縮のあまり出るものも引っ込んでしまいました。


▲上記に続いて書くのも何ですが、朝食はまずはおさかなハンバーグ。右に箸が写っていますけれど、昨晩から使っている木を削った箸です。家から割り箸を持ってくるのを忘れてしまったので・・・・ 7:17ころ。


▲続いてラーメン。一人分を二人で分けました。野菜は昨晩のを少し残しておきました。7:44ころ。


▲朝の陽光が美しい縞模様を作っています。7:51ころ。


▲避難小屋の前のヤマツツジとS子。7:59ころ。


▲朝食も終え、のんびり過ごしていましたが、やっと僕たちも出発です。マウンテンバイクの男性が先行して登って行きました。8:40ころ。


▲昨日登った浅間尾根が見えます。8:50ころ。


▲鷹ノ巣山1736.6m山頂です。9:09ころ。


▲今日は薄霧が広がっていて遠くの山並みは見えません。眼下の谷は峰谷川の支流、入奥沢です。易しく心地よい沢です。9:11ころ。


▲このあたりの石尾根にはヤマツツジがあちこちに咲いています。9:15ころ。


▲こんな風にヤマツツジを愛でながら歩けます。9:17ころ。


▲本当に満開ですね! 9:28ころ。


▲陽も当たり始め、輝きも増します。9:33ころ。


▲水根山1620mはこれまでほとんど意識したことのないピークだったのですが、ここだったんですね。9:41ころ。


▲途中、小さな甲虫がS子の腕にとまりました。ネットで調べると、意外にすぐ分かりました。どうやらゾウムシ科のリンゴコフキゾウムシのようですね。でも、どうしてそんな名前が付いたのでしょうね? 10:19ころ。


▲ジシバリでしょうね。10:27ころ。


▲なだらかな尾根が続きます。10:33ころ。


▲城山1523mの先で北へカラ沢尾根が降りています。この写真がそうですが、木と木の間にロープが渡してあります。間違えてカラ沢尾根へ降りてしまう登山者が多かったからなのですね。10:45ころ。


▲前の写真の小ピークから登山道の急下降が始まります。10:51ころ。


▲斬新な自然のオブジェ。10:55ころ。


▲サラサドウダン(更紗灯台、更紗満天星)の小さな花がたくさん落ちていました。10:58ころ。


▲この花もよく分かりません。ユリ科のツクバネソウのようにも思いますが・・・・ 11:25ころ。


▲将門の伝説が数多く残っている奥多摩ですが、ここもそのひとつ。確かに馬が走り回ることが出来そうな平らな場所です。11:34ころ。


▲ヤマツツジの花もこのあたりではほとんど落ちていました。11:36ころ。


▲こんな花も落ちていました。バラ科のような気もしますが、ぜんぜん分かりません。11:58ころ。


▲六ッ石山に近づくと石尾根の北面に登山道は回りました。12:01ころ。


▲六ッ石山1478.8mにもちょっと寄って行きました。12:10ころ。


▲石尾根が南東を向くと大岳山1266.5mが見えて来ます。12:33ころ。


▲ウツギの花が咲いていました。13:06ころ。


▲フタリシズカの花。花と言ってもフタリシズカには花びらも萼もないのだそうです。白く見えるのは3つの雄しべでそれに囲まれて子房があるのだそうです。13:13ころ。


▲S子が奇妙なものを見つけました。僕は直感的に「これは虫だ」と思いましたけれど、脚も頭も何も見えません。でも、帰って家でPCで拡大して見ると、何となく脚らしいものも見えます。「綿毛 虫」で検索してみるとヒットしました! エノキワタアブラムシのようです。13:23ころ。


▲登山道は石尾根の南面に移りましたが、日陰が多いので涼しいですね。13:45ころ。


▲左の石像には「享保」の年号が見えます。「甲子待供養同行」という文字も読み取れます。甲子待は大黒天のことだとか。右の石像の文字はよく読めませんね。14:16ころ。


▲山道からいったん舗装された林道に出て来ました。14:26ころ。


▲「神社にすぐ着くからそこで休憩しよう」と言っていたのですが、なかなか神社が出て来ませんでした。羽黒三田神社です。1000年以上の由緒ある神社なのです。14:51ころ。


▲氷川の集落が見えて来ました。15:06ころ。

天益へ行くと、カウンターは若者(地元の人が多いようでした)でいっぱいです。今日も天益では食事できずに帰らなければならないのかな? と覚悟しましたが、「外にテーブル出すけど、それでいい?」と言ってくれます。カウンターのお客さんが料理やお酒も運んでくれて、S子にとっては久し振りの天益での食事となりました。


鷹ノ巣山避難小屋泊まりを楽しみました。1日目 ――― 人馴れた若いシカがすぐそばへ

2016年07月09日 | ハイキング/奥多摩

2016/6/10  日帰りで歩けないことはなくても、少しだけきつい距離があります。そんな場合は無理せず一泊にして歩くと、それはそれで無上の贅沢になります。
今回の「峰谷~鷹ノ巣山~石尾根下降」もそんな感じでしょうか。山の中で一夜を過ごす、そんな贅沢を今後とも数多く味わいたいものですね。 


▲今日は鷹ノ巣山避難小屋へ行くだけですから遅いスタートです。それに峰谷行きは1日に3本しかありませんから。11:43ころ。


▲峰谷橋バス停付近から撮った奥多摩湖です。左から山の尾根が延びていて、写真中央部でコルになっていますが、奥多摩湖が満水状態ならばコルが水没してしまいます。今は水面から1mくらいでていますから、「ほぼ満水」に近いですね。12:15ころ。


▲峰谷バス停が左に見えます。僕たちを運んで来てくれたバスが奥多摩駅へ出発しました。12:31ころ。


▲道路脇の石垣にユキノシタがびっしりと花を咲かせていました。とても綺麗です。12:33ころ。


▲浅間尾根への道標は分かりやすくところどころに張り出されています。写真の分岐にも道標があったのですが、行き過ぎてしまいました。少し戻って緑の土の道に入ります。12:52ころ。


▲再び舗装道路に出て、また左へ山道を登って行きます。13:27ころ。


▲また舗装道路へ出て、それが土の林道となり、立派な標識のところから山道に入ります。13:44ころ。


▲浅間神社の入り口、鳥居のある横で最初の小休止。14:17ころ。


▲休憩した鳥居の上にはいくつもの祠がありました。この写真には3つの祠がまとめて祀ってあります。ここへ来るまでも2つの祠がありました。14:22ころ。


▲また鳥居があって、立派な社がありました。14:26ころ。


▲また社が。14:29ころ。


▲その中の様子。14:29ころ。


▲ここまではほとんど植林ばかりでしたが、広葉樹も現われ始めました。15:01ころ。


▲立派なブナの木も現われました。15:03ころ。


▲シイタケの榾木が置いてありました。15:05ころ。


▲まだまだ新緑が綺麗な季節です。15:07ころ。


▲アセビの木がたくさん生えていました。15:54ころ。


▲登山道が尾根から離れて巻き始めます。そろそろ小屋ですね。16:09ころ。


▲水場も出て来ました。美味しく冷たい水です。16:14ころ。


▲鷹ノ巣山避難小屋に到着。16:21ころ。

小屋には先客が4人いました。全部男性で単独行者です。


▲夕食の準備をします。小屋の外のテーブルに運び出しました。16:48ころ。


▲野菜を水場で洗います。もちろん水も汲んでおきました。17:00ころ。


▲20mほど先にいたシカがもっと近くに寄ってきました。落花しているヤマツツジの花をしきりに食べています。まだ白い斑点が残っているので、若いシカなのでしょう。17:52ころ。


▲僕たちが夕食の準備をしているテーブルからの距離はこんなものです。17:53ころ。


▲小屋の周りをぐるっと回って小屋の反対側に出て来ました。18:12ころ。

この若いシカは警戒心が乏しいというレベルをはるかに超えているように感じます。人間に対して何かを期待して近づいて来るのかもしれません。人に馴れ過ぎているのも考えものです。何かしら悪い結果がこのシカに降りかからなければいいのですが・・・・


▲本日のメインディッシュは豚バラの黒酢煮。赤ワインを瓶のまま持ってきましたから、ワインを飲みながら。同じく外にいた単独行者と話を交わしましたから、彼にもおかずとワインを振る舞いました。20:01ころ。


▲夜になるとこの甲虫がたくさん寄ってきました。カミキリムシの仲間のようです。ネットで調べましたが、同定は困難。ハナカミキリの仲間のようなのですが・・・・ 20:08ころ。


▲その後も外であの単独行者と話が弾み、寝床に着いたのは僕たちが最後でした。22:00ころ。

鷹ノ巣山避難小屋には前にも泊まったことがありますが、平日にもかかわらず僕たちを含めて6人もの登山者が泊まっているとは驚きですね。
この避難小屋は作りが頑丈で、入口の扉も二重になっていますから、外気からは守られています。標高1560m地点に建てられている小屋ですが、まったく寒くはありませんでした。